16 根津権現門前町
「それにしても退屈だな」
修平が、うんざりした口調で言った。
御切手町の釣り道具屋・
三日前に、詰めたきりだった、三吉の手下と見張りを交代したのだ。
道をはさんで向かいには、浄蓮寺の
浄蓮寺の参道の茶店では、三吉の手下の留が、通行人に目を光らせているはずだ。
浄蓮寺の右手には、松平出雲守の下屋敷があり、その先には、入谷田圃が一面にひろがっており、夜になると、その向こうの空を吉原の灯りが赤々と照らす。
竿嘉の前の道は、松平出雲守の下屋敷の塀にぶつかり、丁字になっており、その左手に刺客が潜む百姓家があるが、この部屋からは、目に入らない。
しかし、江戸市中に出るためには、この家の前を通らざるを得ない。
この先にある人家は、その百姓家だけなので、見張りとしては、ある意味楽だが、とにかく退屈であった。
「おっ、三好屋が出前を運んでいきますぜ」
三吉が外を見ながら言った。
刺客たちは、夜中に松平出雲守の下屋敷の中間部屋に、何度か博打を打ちにいったほかは、どこにも出かけず籠っており、三度の食事は、坂本町の煮売り屋・三好屋から取り寄せていた。
しばらくすると三好屋が引き返してきた。
それと入れ違いになるかたちで、商人ふうの男が百姓家のほうに歩いていくのが見える。
「怪しいのが来ましたぜ」
三吉の声が緊張している。
浄蓮寺より先にいくものなど、めったにいないからだ。
窓から下を見ると、浄蓮寺の参道の茶店から出てきた留が、竿嘉に向かって、軽くうなずいた。
「よし……ここは、あっしが行きます。三吉親分に修平さんは、後をたのみます」
きちんとした商人の身なりをした、佐吉が部屋を出てゆく。
半刻ほどたって、百姓家に入った男が道にあらわれる。少し距離を空けて、佐吉と留が尾行にかかった。
商人は、にぎやかな坂本の町を横切り、上野の山の裏手の田圃道を、根岸のほうへ入ってゆく。
かなり離れて、佐吉と留がそれに続いた。
百姓家を訪れたのは、伊佐次であった。
伊佐次が帰ったあと、百姓家の囲炉裏の前では、ふたりの刺客が、なにやら語りあっている。
「ようやく出番か」
「退屈で死にそうだったので、ちょうどよいわ」
「しかし、蔵楠殿は、気前がよい……石橋、見ろ。
「不覚だった……俺は、あの陰陽師を、いささか舐めすぎていたようだ……」
石橋と呼ばれた男が、いかにも悔しげにつぶやいた。
この男も、尋常に立ち合ったなら、薫といい勝負をするほどの腕を持っている。しかし、薫のひとを喰った駆引きに、つい頭に血をのぼらせ、手もなくあしらわれてしまっただけに、その口調には、怒りがこもっていた。
「今度は、手強い相手ではなさそうだな」
「うむ。刀など抜いたことのないようなやつだ……全ての仕事が上手くいけば、蔵楠殿は、俺たちに、小笠原家への仕官を約してくれたのだ。命懸けでやらねばなるまい」
石橋政之助は、
もうひとりの田嶋忠昭にいたっては、寛文年間の伊達騒動と同年に、藩主の乱心によって、安中藩・四万石が、大名から旗本に減封されたときに浪人して以来だから、もはや、浪人して四代目である。
ふたりは、剣によって身を立てようとしていたが、道場を借りるにも金がいるし、そのような大金を稼ぐには、浪人の身ではどうしようもない。
なにしろ働く場とて、容易に見つからないのだ。
うまく後援者でもできればともかく、とりあえず生きてゆくためには、武者修行で各地を巡るしか
武者修行で道場を巡る……というのは、剣術の修行をするという以外にも、一種の相互扶助的な意味合いを持っていた。
「一手御教授を……」の挨拶からはじまり、相手が弱くとも必ず一本は負けてやる。
その後、一宿一飯の世話になり、出立のさいは、いくばくかの金銭を餞別に受けとる……。
こうした風習が、いつから行われるようになったのかは、さだかではないが、この風習を、無宿渡世人が模倣して、有名な一宿一飯の風習になった……とは、時代考証家・綿谷雪の説である。
こうして東海道、中山道、などを巡ったふたりは、やがて恐喝などの悪事も働きながら、大小二百以上もの道場がある江戸に腰を落ち着けた。
江戸にいれば、食う場所にも寝る場所にも困らないからだ。
そして、恐喝で稼いだ小金を増やそうと訪れた、深川の御家人・小見山の賭場で蔵楠に出会った。
蔵楠と意気投合したふたりが、道場の食客になるのに、時間はかからなかった。
「田嶋よ……俺は、もうこんな暮らしには、飽き飽きなのだ。親の代からの浪人暮らし。仕官先などあろうはずもなく、この先、なんの望みもない……」
「今どき、ひとを減らしはしても、増やそうなどという、奇特な藩など、どこにもないからな」
この時代、武家の権勢は、すっかり衰えていた。金は商人に集まる一方、旗本は札差から二年先のぶんまで録米から前借りし、農村は、年々疲弊するばかりであった。
政権を握った白川候・松平定信が、倹約政策をとり、札差の借金を棒引きしたところで、根本的な解決にはなっていない。
そもそも封建制度と、鎖国という前提に無理があるのだ。
天明の飢饉以降、離農した百姓は数知れず、それらは無宿人となり、改易された大名家の家臣は、浪人となる。
しかし、彼らが再びまともな生活を取り戻そうにも、受け入れる先がない。
浪人者、無宿渡世人や、博徒など、職につけない者たちが、ほんの数十年前からは、考えられないほどの数が、巷にあふれていた。
この時代、すでに徳川幕府の屋台骨は、静かに揺らぎはじめていたのである。
佐吉と留は、商人の姿をした伊佐次を尾けていった。
根岸の里には、薫の家もあるが、それは、もう少し金杉新田寄りである。
伊佐次は、上野に近い畑道を、道灌山に向かって歩いてゆく。
その先は、小さな寺院が密集しており、小役人の住む長屋を抜けたら、根津権現の門前町だ。
伊佐次は、尾行されているとは思っていないのか、一度も後ろを振り向かなかった。
やがて伊佐次は、根津権現の門前町にやってくると、
根津の遊所は、吉原のような派手さはなく、かといって、深川のように庶民的でもない。
ここには、京都のような落ち着きがあり、どちらかというと、通好みの場所である。
伊佐次が家に入るのを見届けた佐吉の顔は、心なしか緊張して見えた。
「佐吉っつぁん、どうしなすった……顔つきが変わりましたぜ」
いぶかしく思い、留が聞いた。
「そりゃあ、顔つきも変わろうってものよ。 ――あれを見ねえ」
佐吉は、左手にある根津権現の杜の先に見える、広壮な敷地の武家屋敷の屋根を顎でしめす。
「あの屋敷は……?」
「――そもそも、あの屋敷がすべてのはじまりさ……あれが、小笠原様の抱え屋敷だ」
「なんですって!?」
留が驚きの声をあげた。
すべての出来事は、この小笠原家の抱え屋敷(中屋敷)からはじまったといってよい。
その中屋敷が目の前にあるのだ。佐吉の興奮も、むべなるかな、であった。
「とにかく、あの家を見張る場所を設けないといけねえ。あっしは……ほれ、そこの茶店にいるから、ひとつ、飴売りの親分に、このことを知らせてくれ」
「合点だ!」
下引きの留が、勢いこんで去ってゆく。佐吉は『ひよしや』と暖簾が下がる茶店に入っていった。
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