1  大名屋敷の消えた女


 寛政七年のことである。

 インフレ政策を推し進めた老中・田沼意次が失脚して四年……。

 政権は、質素倹約を旨とする白河候・松平定信に替わり、江戸の町は沈んだ空気に包まれていた。

 なにしろ白河候は、なにひとつ苦労せず育った大名家の貴公子。庶民のささやかな楽しみなどには、一切関心がなかった。


 贅沢はいかん。綺麗な着物はまかりならん、芝居などはもっての外、みんなで質実剛健、戦国の世のような質素な生活を送るべし! ――などと、野暮なことこの上ない。

 最初は田沼の失脚に、喝采を送った江戸っ子からも「こいつはたまらん」と、すっかり嫌われ、


『白河の 清き流れに 住みかねて 元の田沼の 濁り恋しき』


 などという落首を、屋敷の塀にまで書かれる始末。それにしても江戸っ子の悪口は粋である。


(ちなみにこの落首は、鍖衛の親友、大田蜀山人の作といわれている)


――話を戻して。

 この年には、長谷川平蔵が火付盗賊改・長官を辞任する……。

 そんな時代である。


 豊前小倉十五万石・小笠原家中屋敷の奥に、根津の中屋敷でも、一、二を争うたいへん美しい女が勤めていた。


(小倉藩・中屋敷には、先代藩主の隠居宅と、江戸定府の中、下級藩士の住む長屋がある)


 ところがある日、この女が、屋敷から忽然と姿を消してしまった。

 当時の大名の奥向きは、男子禁制が建前である。

 家老や用人といえども、立ち入ることはできず、したがって文字通り女の園。

 殿様のお手付きにでもならないかぎり、女たちは、いたって禁欲的な生活を送っていた。

 たまに芝居見物に行くようなこともあったが、有名な間男騒動の絵島生島事件などは、例外的な出来事で、その生活は、華やかというよりは、質素ですらあった。

 大名の奥勤めは、よほどのことがないかぎり、外出などはままならない。

 ましてや十五万石の大名家である。厳重な門番の目を掻い潜り、屋敷の外に出るなどは、とても考えられないことであった。


 ところが、いくら懸命に屋敷の敷地を探しても、女の姿を見つけることができない。

 欠落かけおちしたのか、それとも神隠しにでもあったのか、屋敷の者は、途方に暮れるばかりであった。

 念のため、女の実家にも使いをやったが、女のふた親は、娘の失踪騒ぎに、むしろ戸惑うばかりだった。

 女が姿を消してから、二十日あまりが過ぎた。


 その朝、奥女中たちが暮らす中屋敷の長屋の手水場で、奥女中のひとりが手水鉢で手を濯ごうと、ちょろちょろ流れる水に手をかざすと……。

 横からすうっと、白い手が現れた。

 その手の主は、手にした白い貝殻に水を注ぐと、呆気にとられた奥女中に向かって、にこやかに会釈する。

 それは、二十日前に姿を消した女だった。

 奥女中は「ひいっ!」と、悲鳴をあげると、その場で気を失った。

 奥女中の悲鳴を聞きつけた数人の女たちが、長屋からあわてて駆けつけると、ちょうど怪しい女が、屋敷の縁の下に潜りこむところであった。


 さて、屋敷の中は大騒ぎである。

 おっつけ男たちも駆けつける。

 やがて、尻っ端折ぱしょりに、襷掛けをした、たくましい中間(ちゅうげん・雑用係のような雇われ者)たちが、頬っ被りの手拭い姿で、縁の下に潜りこんだ。

 男たちが、蜘蛛の巣まみれになりながら、潜りこんだ女を捕らえてみると……。

 はたして、行方知れずになった女に、まちがいがなかった。


 女は、手厚く保護されて、湯や水などを与えられた。

 その場が落ち着くと、やがて奥女中たちを束ねる御年寄(奥向きの最高責任者)が、女に欠落の理由を問いただした。

 はじめは嫌がる様子で、女は、頑なに口を閉ざしていたが、親身になって御年寄が問いかけているうちに、ようやく重い口を開いた。

「わたくしめは、佳きすがありまして、宜しきところへ縁につき、今は夫を持つ身でございます」

 驚いた御年寄が、

「いったい何処へ嫁いだのだえ?」

 と、尋ねるが、女はなかなかこたえない。

 ここで強く詰問しても、女は固く口を閉ざすだけにちがいない……。

 と、感じた御年寄は、やさしく話を聞く態度を崩さず、根気よく説得するうちに、ようやく女の口が弛んだ。

「お疑いでしたら、わたくしめの住まうところへ、伴い申しましょう」

 女は立ち上がり、中間三名を引き連れて、縁の下に向かった。


 当時の武家屋敷、特に大名家の上屋敷などは、現在は大学や庭園、遊園地として残るほど広大な敷地を有していた。

 その屋敷の縁の下である。

 一行は、気が遠くなるような広さの縁の下を、苦労しながらしばらく進む。


 すると……。

 やがてその一角に、呉座蓙ござむしろを敷いた上に、どこから集めたのか、古い碗や茶碗などが並べられた場所に出くわした。

 女は、振り向くと、

「此処が我が家にてございます」

 艶然と微笑みを浮かべた。

 これには、さすがの屈強な男たちの背中にも、ざわざわと冷たいものが走った。

 さて、屋敷に戻り、御年寄が、その夫たる者は何者かと問うても、

「なにをおっしゃいます。かねてより、存じよりのはずではございませんか」

 などと、女は曖昧なことを言うばかりである。


 そこで、これはいよいよ気が触れたにちがいないと、在所から親を呼び寄せ、いとまを与えることになった。

 親は、娘が見つかったことをたいへん喜び、在所に連れて帰り、いろいろと医薬を尽くし、手厚く療養させた。

 しかし、その甲斐もなく、ほどなくして、娘は身まかったということである。


「――と、いうのが、あらましだ。どうだ佐吉、怪しい話だとは思わぬか?」

 そう言うと、根岸肥前守鍖衛は、旨そうにぐびりと盃をあおる。

 南町奉行所の奥、つまり奉行の私用の客間で、鍖衛は、向かいに座る職人風の男に問いかけた。

 佐吉と呼ばれた男は、色褪せた粗末な紺色の木綿の単衣ひとえを粋に着こなしている。

 そして、いかにも江戸っ子らしい、苦味走った二枚目の顔に、皮肉な微笑みを浮かべ、

「根岸さま……そいつぁ、たしかに胡散臭げな話しでございますね」

 と、言った。

 鍖衛は、得たりとばかりに、

「だいいちその娘は、二十日のあまり何を食らっていたのか?

いくら大名家の台所が間抜けたぁいえ、食い物がなくなったら、わかりそうなもんじゃねえか」

 伝法な口調で返した。

 鍖衛は、もともとは侍ではない。

 しかし、南町奉行という要職に就いている立場上、普段はしかめつらしい武家言葉を話さざるを得ない。

 だから佐吉と語るときは、ここぞとばかりに伝法な口調になり、また、それを楽しんでいるように見えた。

「いえ、あっしが怪しいと踏んだのは、そこじゃあないんです」

「なに……? では、何処が怪しいとみたのだ?」

「へえ、その女は、いわば気の患いでござんすよね?

それが二十日も隠れ住んで、ピンシャンとしていやがったくせに、在所に戻ったとたんコロリと逝くってえのが、どうも腑に落ちないんでさ」

「では、親と謀った狂言だと申すのか?」

「いえ、それとも違えます……」

 佐吉はそう言うと、

「奉公が嫌になったというなら、何もそんな回りくどいことをするとは思えません」

 と、続けた。


 大名家の奥に勤めた以上、嫌になったと辞めるわけにはいかない。

 奥女中は、通常は、年期が明ける三年間は、藪入りなどを除き、家には帰れないのだ。

 しかしそれも、病を理由にすれば、抜けられないわけではない。

「では、真実まことに狐に憑かれたとでも申すのか」

「その大名屋敷で、何かしら大事な物がなくなったりしては、いませんか?」


「ははあ、盗人の線か……それはないな。特にそんな話は聞いておらん」

 鍖衛が、すかさずこたえる。

 佐吉は、盃を手にしたまましばらく考えこんでいたが、

「――で、あっしは、その女のことを調べればいいんでござんすね」

 と言って、盃を干した。

「うむ、そうしてくれ。女は口入れ屋ではなく、小笠原家出入りの、日本橋通り町の小間物屋『能登屋』の類縁ということで、雇い入れたそうじゃ。まずは、その線から探りを入れて、女の実家の方も調べるのだ」

 ちなみに、商家から武家に女中奉公するのは、就職という意味合いではなく、武家作法を身につけ、嫁入りのさいの箔付けをする、というのが主な理由である。

「承知しました」

 佐吉が立ち上がると、鍖衛は、

「これはついえにしてくれ」

 見事な印伝の財布を佐吉に放ってよこす。受けとめて佐吉が中を改めようと、財布の紐に手をかけると、

「そいつは、おまえのために誂えた。持ってけ」

 と、笑った。

「それでは、ありがたくいただきます」

 一礼すると、佐吉は部屋を出ていった。

 鍖衛は、徳利から酒を注ぐと、

「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」

 旨そうにつぶやき盃をあけた。








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