南町奉行・根岸鍖衛 妖術事件控

橘りゅうせい

承前 根岸肥前守鍖衛という奉行 付・参考文献一覧

 時代劇で名奉行といえば、まず頭に浮かぶのは大岡越前守と、遠山の金さんのふたりであろう。

 しかし最近では、ワンパターンに飽きたのか、いろいろな小説で根岸肥前守鎮衛ねぎし ひぜんのかみ やすもりの名前を目にするようになった。

 ところで、この根岸肥前守鎮衛という人物は、いったいどういう人物だったのだろうか?


 先に結論を言ってしまうと、鎮衛は、優れた奉行ではあったが、それ以上に“優秀な官僚”であった。

 鎮衛の父親は、侍ではなかった。

 鎮衛の父親は、金で御家人株を買って侍になったのである。江戸も中期以降になってくると、侍の身分は金で買うことができた。

 そして息子の鎮衛は、末期養子という制度を用いて、百五十俵取りの根岸家に潜りこんだ。

 ここまでは、よくある話だ。しかし、鎮衛の非凡な才能は、ここから開花するのである。


 鎮衛は、御家人から次々と役職を上り詰め、ついには佐渡奉行にまで出世したのだ。封建社会では、本来あり得ない大出世である。

 このことから鎮衛の後ろ楯には、時の老中・田沼意次がついていたのではないかと推測される。


 ところが、鎮衛が佐渡奉行に在任中に、田沼意次が失脚するという大事件が起こる。

 普通なら、田沼に連なる人脈ということで、鎮衛も役を解かれ、閑職に回されるのが当たり前だが、ここでも後任の松平定信に気に入られ、さらなる出世をするという、異例の人事が行われる。


――と、トントン拍子の鎮衛の人生だが、ふしぎなのは、その業績が、後世にあまり伝わっていない、ということである。

 同じ時代の官僚としては、火付盗賊改方長官・長谷川平蔵のほうが、人足寄場を作るなど、よほどその業績が知られているのに、だ。

 では、鎮衛の名前がなぜ後世に伝わっているのか

 その理由が随筆「耳袋」だ。

 鎮衛の名前は、奉行としての業績よりも、名随筆「耳袋」の作者として、後世に伝わったのである。


 「耳袋」には、武士の心得から、世間を賑わす噂話、怪談じみた話から、ムカデが耳に入ったらどうするか、猫が喋った、庭を掘ったら、生きたままの鯉が出てきた……などという、胡散臭げな話、風邪を治すおまじないなど、あらゆるエピソードが、ごった煮のように詰まっている。


 この物語は、その随筆に記されたエピソードのひとつからはじまる。






*参考文献一覧*



* 『武道日本』森川哲郎

* 東京プレス S.39


* 『武芸流派辞典』綿谷雪・山田忠

* 人物往来社 S.38


* 『日本武藝小傳』綿谷雪

* 人物往来社 S.37


* 『術』綿谷雪

* 青蛙房 S.39


* 『武芸風俗姿』戸伏太兵

* 学風書院 S.32


* 『正傳・新蔭流』柳生厳長

* 大日本雄弁会講談社 S.32


* 『武術談義』黒田鉄山・甲野善紀

* 壮神社 S.63


* 『身体から革命を起こす』田中聡・甲野善紀

* 新潮社 H.19


* 『武術の新・人間学』甲野善紀

* PHP研究所 H.14


* 『甲冑拳法 柳生心眼流』島津兼治

* 日東書院 S.54


* 『秘伝日本柔術』松田隆智

* 新人物往来社 S.53


* 『加持祈祷秘密大全』小野清秀

* 大文館書店 S.11


* 『江戸切絵図集』鈴木棠三・朝倉治彦 編

* 角川書店 S.43


* 『風俗江戸物語』岡本綺堂

* 河出書房 S.61


* 『耳嚢』根岸鍖衛 著 長谷川強 校注

* 岩波書店 H.3


* 『江戸名所圖會』

* 日本随筆大成刊行會 S.3


* 『江戸の園芸-自然と行楽文化』青木宏一郎

* 筑摩書房 H.10


* 『月刊 秘伝』~特集・千葉周作が拓く武の新地平より

* BABジャパン H.23


以上の書籍を参考にさせていただきました。
























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