2  追分宿の邂逅


 そもそも佐吉は、鍖衛の手下ではないし、岡っ引きでもなかった。

 もっとも、与力や同心ならばともかく、岡っ引きだったとしても、奉行に直接何かを命令される。などということは、あり得ない。

 岡っ引きは、同心の手下となって働くもので、奉行の直接の配下ではないのである。

 佐吉は、鍖衛の古くからの馴染みであった。

 しかし、馴染みといっても友人だったわけではない。


 佐吉は、独り働きの盗人だった。

 大きな組織しくみで、働くより小回りのきく独り働きは、金になる。

 そのかわり、誰も助けてはくれないので、身体を壊したり、盗みを失敗しくじったときは、自分持ちである。


――そのとき。

 佐吉は、越後・新潟の豪商『倉田屋』の蔵に侵入して夜回りに見つかり、捕り方に追われ、命からがら逃げていた。

 とりあえず上越の国境くにざかいを越えて、上州まで逃げてきたが、しかし、そこで路銀が尽きてしまった。

 懐は文無しに近かったが、佐吉は焦ってはいなかった。

 というのも、盗人になる以前は、胡麻の灰の親方に可愛がられ、箱根山で旅人の懐を掠めるのを生業なりわいとしていたからだ。


――金がなければ、あるやつから奪えばいい。


 その朝、佐吉は、北国街道と中山道が交わる追分宿に足を向けた。

 追分宿は、交通の要衝である。

旅籠が七十軒以上、茶店が二十軒もあろうという、大変賑やかな宿場なので、ほどなくがやってくるにちがいない。


 ところがそのは、見事に外れてしまった。

 物見遊山の間抜けな旅人があふれていた箱根山とちがい、厳しい山岳を越えて商いをするものが多いこのあたりは、旅人に油断がないのだ。

 金回りのよさそうな身なりの良い商人は、屈強のものを伴にしていることが多く、なかには用心棒に、浪人者を伴っている商人までいる始末だった。


佐吉が宿場の外れの枡形茶屋とよばれる茶店の一軒、『つがるや』で獲物を物色しながら、一刻半がすぎたとき、街道に目をやりながら茶を飲み干すと……。

 酷薄な笑みを浮かべ、

「へへっ、鴨が葱背負って、やってきやがった」

 と、つぶやいた。

 佐吉が目をつけたのは、家来をふたり連れた侍だった。

 りゅうとした身なりは、知行地の視察にでもやってきた旗本にちがいない。

 背が低く、やや小肥りの五十年配の冴えない狸のようなその男は、いかにも物珍しそうに、あたりをきょろきょろ見回しながら、ゆっくりとした足取りで、佐吉の前を通りすぎた。

 なにより佐吉が目をつけたのは、連れていたふたりの小者が、の年寄りだったことだ。

 これなら、万が一荒事になったとしても、軽くあしらえるにちがいなかった。

 佐吉は小銭を置くと、早速旗本の一行の後をけはじめた。


 ところが、あきれたのは、一行の歩みの遅いことである。

 それも、老人に歩みをあわせているのではない。

 この旗本、とにかく落ち着きがないこと、この上ないのだ。

 道祖神があれば、立ち止まってまじまじと見つめ、小さな祠なども、いちいちながめては、目を輝かせている。

 近くに百姓などいようものなら、つかまえて祠を指し、由来などを聞いては、感心したように頷いていた。

 一行が沓掛の宿場にさしかかったのは、もう昼すぎであった。

 この様子では、松井田宿に着くころには、すっかり夜になってしまうだろう。


一行は『稲毛屋』という茶店に入っていった。

 続けて佐吉も茶店に入ると、離れた席につき、岩魚の塩焼きと茶飯を注文する。

 佐吉が飯を食べ終え、楊枝を使っていると、旗本一行が立ち上がり、店を出てゆく。

 少し間を開けて佐吉が店から出ると……。

 佐吉は思わず、ぎょっとなった。


 なんと……そこには、ずいぶん前に出ていったはずの、狸のような旗本が立っていたのだ。

「……!」

 佐吉は、一瞬息を詰まらせると、棒を呑んだように立ちすくんだ。

 旗本は、にやりと笑い、

「よう、お兄さん、たのむから俺の懐を狙うのは、勘弁してくれねえかな」

 まるで、親しい友人にでも会ったかのように話しかける。


(こいつ……いったい、いつ俺が懐を狙ってるのに気付きやがった……)


 佐吉が、返答につまり固まっていると、

「なに、俺は別段、かまやぁしねえんだが、なにしろ連れが年寄りだ……

おまえさんみたいな強面こわもてに嚇かされちゃあ、びっくりして、心の臓が霍乱かくらんを起こさねえともかぎらねえ……どうだい、こいつでひとつ、勘弁してくれるかい?」

 そう言うと、財布から小判を五枚取りだし、佐吉の手に握らせた。

「あ……あの……」

 佐吉があっけにとられていると、旗本はくるりと背を向けて、

「じゃあな」

 と、歩み去った。

 佐吉は、しばらく呆けたように立ちすくんでいたが、旗本の姿が小さくなると、急に目が覚めたような表情かおを浮かべ、あわてて後を追った。


 そして相変わらず歩みの遅い一行に追いつき……。

 あきれたことに、そのまま江戸までついていってしまったのであった。

 その侍こそ、佐渡奉行を解任されて、江戸に向かっていた根岸肥前守鍖衛であった。

 それ以来佐吉は、鍖衛、一の子分を自認してはばからない。










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