23 それぞれの思惑
「――片岡主馬が斬られました」
広い部屋で、男がふたり向かい合い、密やかな声で話している。
ひとりは、上座につき、脇息に凭れかかり、もうひとりはきちんと正座していた。
「なんだと……わしは、そんな指図はしておらぬぞ」
正座の若い侍が経緯を話しはじめた。
「――というわけで、中間によりますと、暗くて顔はしかと見えなかったそうですが、襲撃者は、ふたりの浪人者だとか……」
「ふうむ。蔵楠め。手下を使ったな……先走った真似をしよって。
病死ということで、上手く処理しておくのだ」
「――はっ。それよりも、なにやら犬甘派の動きが、あわただしくなってまいりました。彼の者共が、しきりに下屋敷に出入りしているようです」
「なにかあるな……探りを入れておくのだ」
男は、苦々しく言うと、ゆっくりと煙草に火をつけ、続ける。
「それにしても犬甘めが。御建替仕法は、いくらなんでもやりすぎじゃ。
小倉の町は、灯りが消えたように寂れていると聞いたぞ」
「そのとおりでございます。それだけではありませぬ。百姓の間にも、不穏な動きが出始めております」
「さもあろう……白河候といい、上つ方は、きれいごとの理屈を押しつけるだけで、人情というものが、さっぱりわかっておらぬ。田沼様が失脚して以来、世の中は真っ暗じゃ」
「まったく仰せのとおりでございます……それよりも蔵楠めを、このまま野放しにしておいて、よいのでしょうか?」
「腕だけは一流じゃ。まだまだ使いようがある。幸い大騒ぎには、なっておらんので、災い転じてなんとやらだ……」
「なるほど……それでは早速、下屋敷を、手のものに探らせます」
「うむ。大久保は、やつらの巣じゃ。慎重に事を運ぶのだぞ」
「はっ」
男は、深々と一礼すると、部屋を退出する。脇息に凭れかかった男は、
「しかし……蔵楠をどうにかせぬと、いずれこちらの身が危うくなるな……
あやつの血は狂っておる」
と、つぶやいた。
「どうだ、やつは小見山の賭場におったか?」
「いえ。今日は、別の浪人者が睨みをきかせておりました。しかし、手水場を使う素振りで、隣をうかがったところ、裏手の道場から灯りが漏れておりましたので、そちらにいるようです」
深川藪そばの二階座敷で話しているのは、豊前小倉藩下目付の小池伊八郎と、その配下の津山鉄太郎である。
小池は、いつものように、山葵をつまみながら、ちびちびと酒を飲んでいる。
「手のものは揃ったか?」
「はっ。腕利きを三人ばかり揃えましてございます」
津山は、本所相生町にある甲源一刀流・中村道場に出入りしている。
本所は、深川にもまして小録の御家人が多く、
「うむ。そうなると、あとはいつ蔵楠めを討ちとるかじゃ」
「このあたりは、大名の下屋敷や、御家人の屋敷ばかりで、見張ろうにも、どうにもなりません……
策を弄するより、日にちを決めて、やつがいるのを確かめたら、一気に片付けてしまうのが良策かと……」
「ふうむ……たしかにそのほうがよいかも知れん。彼奴めは、獣のような勘を持っておるからな。なまじ探りなど入れると、気付かれるおそれがある……」
「では、都合がつき次第、拙者と三人が斬りこみ、一気にかたをつけましょう」
「うむ。苦労だがそうしてくれ。なにしろ、じきに御家老が出府なされる。それまでには、なんとしても……」
ちょうど同じころ、佐吉は、根津から深川にやってきていた。
それというのも、飴売り三吉と、今後の見張り件で話し合いをするためである。
佐吉が訪れたとき、三吉は、播磨屋の作業場の、中二階にある物置から、小見山の屋敷を見張っていた。
この作業場は、丸太の状態で運びこまれた木材を、板に加工している場所なので、あたりには、どこか甘いような、鼻を突く生木独特の香りが漂っている。
「飴売りの……小見山屋敷の様子は、どうですか?」
「佐吉つぁん。それがどうにも具合が悪い。ここは、屋敷から離れているうえに、やつの賭場は、のべつ誰かが出入りしていて、見張りにくいったらありゃしねえ」
「なるほど……やっぱり、そうでごさんすよねえ……」
「どうだろう……佐吉つぁんは、根津から動かねえで、明日は、こっちに金太をよこしてもらい、やつには、客になって賭場を探らせて、あっしは、飴売りの
「わかりやした。じゃあ、これから早速、御切手町と根津を回って、手配りしてきます」
「遅い時間にすまねえが、よろしくたのみましたぜ」
「じゃあ、あっしは、これで」
そう言うと佐吉は、浅草御切手町に向かった。
御切手町の釣具屋・竿喜では、修平と金太が、交代で道を通るものを見張っていた。
しかし、表通りの坂本町がにぎやかなだけに、こちらを通るひとは少なく、退屈なこと、この上ない。
外からひと影が見えないように、部屋のなかは、行灯をひとつ灯しただけなので薄暗く、修平は、さっきから何度も舟を漕ぎそうになっていた。
夕方から金太が眠り、そろそろ交代の時間なので、ようやく眠れると、伸びをして立ちあがると、窓の隙間から佐吉が目に入り、一瞬にして目が覚める。
「よお、佐吉さん。こんな時間にどうしたんだい」
佐吉が部屋に上がってくると、修平が訊いた。
「それが……どうも深川のほうが手不足なんで、金太をそっちに回そうと、飴売りの親分が言いなさるのでね……」
「そういやあ、深川のどこを見張っているんだ?」
「おっといけねえ、こいつは、しくじった。修平さんには、まだ話してなかったか。へえ。それが例の男が入っていったのは、悪御家人の小見山って野郎の屋敷でして……」
「ちょっと待て、小見山って、あの小見山かい?」
「深川で悪御家人の小見山っていやあ、あいつだけでさ」
佐吉の言葉を聞くと、修平が珍しく深刻な
「どうしたんです修平さん? おっかない顔なんかして」
「佐吉さん。こいつは思ったより厄介なことになりそうだぜ……」
「へえ……そりゃあ、腐っても
「いや、そういうことじゃないんだ」
「へっ? なら、いったい、どういうことですか?」
「佐吉さん……木更津で、悪党者をばっさり斬ったやつの話。覚えてるかい?」
「もちろんでさ。おみつの男の浪人者ですよね」
「そう、くらくすとかいう野郎だ……ところで、小見山の屋敷の隣ってのが、剣術道場で、しばらく空き家だったのが、最近、滅法腕の立つやつが借りたらしい」
「まさか、その借りたやつってのが……」
「おそらく、そやつだろう。俺は、一度深川ですれ違ったが、ありゃあ、ただ者じゃあないぜ」
「な、なんですって!」
驚く佐吉をよそに、修平は、
「なるほど……たしかに野郎の勘は、よく当たる」
と、つぶやいた。
「えっ、なんのことですか?」
「いや、なに、ただの独り言さ……それよりも、これでようやく本丸に近づいたようだな」
「そのようですね。こいつぁちょっと、気を入れてかからねえといけませんね」
こたえた佐吉の顔が、心なしか緊張に引き締まっていた。
佐吉が根津を回って、奉行所を訪れたのは、四つ半(夜の十一時過ぎ)を回ったころであった。
「佐吉。いつもこんな遅くまですまぬな」
そういって出迎えた根岸鍖衛も、この時間まで働いていたようで、くつろいでいる様子は、まったくない。
「いえ。とんでもございません。いつものことで、門番とはもう、すっかり顔馴染みになりました」
「何か動きがあったようだな」
「わかりますか?」
「おまえと何年付き合ってると思っている。その顔を見れば、一目瞭然じゃ」
「恐れ入ります。実は……」
と、佐吉が順を追って、今までの経緯を話すと鍖衛は、
「雲をつかむような話しが、ようやく形になってきたな。だがその浪人者、ちょいと危ない匂いがする……
袴田を御切手町につけるので、強矢さんも深川に行かせたほうがよかろう」
「そうしていただけると心強いですね」
「佐吉、正念場だ。抜かるなよ」
「まかしておくんなさい」
ようやく長い一日が終わろうとしていた。
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