10 戸隠修験者の末裔
深川は新開地である。徳川家康が江戸に入府したころ、まだこのあたりは、ほとんどが湿地で、わずかな陸地は、葦がおい茂る草深い田舎であった。
しかし、埋め立てが進み、富岡八幡宮の門前町として発展し、田や畑、荒れ地は、次々と町家や武家屋敷に変わり、今では十万坪とよばれる広大な空き地の周辺にまで町が迫っていた。
この時代、寺社の発展は、遊女とは切っても切れない縁で結ばれている。
深川もその例外ではなく、八幡宮の周りは、櫓下、裾継(すそつぎ)、仲町(なかちょう)など深川七場所とよばれる岡場所で、ぐるり囲まれていた。
そして、さらにその周辺には、網打ち場、安宅(あたけ)など、安価に女が買える岡場所が点在し、その数は二十をこえるといわれていた。
こうした急速な発展は、どうしても都市整備が遅れ、混乱が生じがちである。
深川もその例にもれず、武家屋敷や、町家の間に、いきなり新田が取り残されていたり、飛び地や代地があちこちに点在していた。
そして深川は、運河の町でもある。
町には縦横に掘割が走り、その先には木場があり、気の荒い連中も多く、粋でいなせな反面、非常に治安の悪い一面もあった。
なかでも木場に近いとある町は、とびきり危険な町で、岡っ引きですら、出入りするのを躊躇うほどである。
というのも、この町には、いわゆる
このあたりの御家人には、やくざ顔負けの悪党も珍しくない。
この町を仕切っていたのは、小見山辰三郎という、極めつけの悪御家人だった。
小見山は、
しかしこの男、悪いだけではなく、非常に頭も切れた。
もし、今までの悪行が表に出れば、よくて甲府勤番、下手をすれば切腹である。
そこで、然るべき筋には、たっぷり金をばらまき、目付に睨まれないよう気を配る、小狡い一面も持っていた。
この小見山の屋敷の裏手には、小さな剣術道場があり、たちの悪い浪人などが昼間からとぐろを巻いており、地元の人間も、めったに近よらない。
その道場の主こそ、
といっても土地の間借り人の名義は、まったくの別人で、蔵楠は、そこを又借りしているので、人別などからこの場所を辿ることは不可能である。
このあたりは、長屋などでも名義貸しなどは、当たり前のように行われていたのだ。
したがって、得体の知れない人間が身を隠すには、格好の土地といってよかった。
鍖衛が、佐吉や薫と話していた、ちょうど同じころ……。
道場の奥の一室では、蔵楠とおみつが全裸で絡みあっていた。
行灯がほのかに照らす部屋のなかに、ふたりの裸身がぼんやりと浮かきあがり、淫靡な湿った匂いが漂っている。
どうやらふたりは、なにやらことを終えた直後のようで、おみつは、うっとりした表情のわりには息が荒く、肌はうっすらと汗で濡れている。
おみつは、蔵楠に抱きついたまま、首筋をちろちろと長い舌でねぶりながら囁いた。
「昼間のあれは、興奮したねぇ……」
「ふ、ふふ……途中で邪魔がはいらねば、あと二、三人は餌食にできたであろうな」
「でも、これであたしのオサキの
「たしかにな……あのおとなしい男が、まるで血に飢えた獣のようだった……
しかも、あれだけ斬られても倒れもしない。たいした威力だ」
「当たり前さ……あれは、あたしの先祖が管狐を檻に閉じ込め、共食いさせて生き残った狐を絞め殺し、その怨念で作った、とっておきの魔物さ……
あれなら、犬甘の山犬だって咬み殺すだろうよ」
犬甘の山犬とは、狼の血が混じった狩猟犬のことである。
小倉城下にある犬甘の屋敷の庭のなかには、常にこの山犬が放たれていた。
「犬甘の山犬は厄介だからな。国元にいるかぎり、結界と山犬で、手出しが出来ん。やつには、どうしても江戸まで出てきてもらわねばならぬ……」
蔵楠が苦々しく吐きすてる。
「それにしても、木更津でおまえと巡り会えたのは、天の采配であった」
「あたしの先祖と蔵楠様に、汚れ仕事を押しつけてのしあがったくせに、要らなくなったら捨てる……犬甘には、思い知らせてやらねば気が済まないよ」
「ふ、ふふ……明日は、またオサキにひとが暴れしてもらおうか……」
おみつの先祖、桑江兼四郎は、戸隠の修験者だった。
数々の荒行をこなした兼四郎は、忍術も身につけていたが、なかでも得意としたのが、オサキとよばれる狐を使った呪術である。
兼四郎は、犬甘の家来になり、その呪術は、まだ犬甘が地方豪族だったころ、敵対する勢力の人間を数多く暗殺した。
しかし、戦国の世になると、地方豪族だった犬甘も、生き残るためには、大きな勢力に飲みこまれざるを得なくなった。
犬甘が選んだ主君は、小笠原家であった。
小笠原家は、甲斐・巨摩郡が発祥で、清和源氏の流れを汲む名門である。
しかし、甲斐の国には、もうひとつ清和源氏の流れを汲む、大きな勢力があった。
云わずと知れた武田家だ。
小笠原家は、松本に城を築いたが、武田晴信との争いに敗れ、信州を追われることになる。
しかし、その後、徳川家康の臣下になり、徳川が天下を統一すると、所領を取りもどした。
徳川家は、来歴も詳びらかではない、いわゆる成り上がりの武将である。
こういった成り上がり者が権力を手にすると、次に欲しがるものは名誉と格式であろう。
小笠原家は、礼法、茶道、弓馬、兵法に精通する名門で、有職故実に強かったことで、徳川家から重く用いれるようになった。
それにともない、犬甘は、小笠原の家臣のなかでは当時最高の、千六百石の知行を取るにいたった。
同じ家臣の武具奉行が、禄高百石程度なのだから、破格の待遇である。
しかし、こうなってくると、呪術などという怪しげなものは、邪魔者以外の何者でもない。戦国の世は終わり、呪うべき敵は滅んだのだ。
小笠原家は、あくまでも礼法の宗家たらねばならかった。
したがって、家中に呪術使いという胡散臭げな家臣がいることは、主君の徳川家に知られてはならない。
そういった事情により、犬甘は、手駒である兼四郎を、あっさりと切り捨てた。
こうして浪人した桑江兼四郎は、流れ流れて、船橋で商人となったのである。
しかし、どうにも犬甘に対する怒りが収まらなかった兼四郎は、小笠原家が根津に抱え屋敷を建築したさい、管狐を利用した厭魅の呪いを、犬甘と小笠原家にかけた。
ところがそれは、犬甘の山犬に嗅ぎつけられ、谷中・天王寺の高僧によって祠に封印されてしまった。
それから百数十年の時が流れた。
祠の存在は、犬甘、桑江の双方から忘れ去られ、おみつが家に伝わる古文書によって、その存在を知るまでは、小笠原家の上屋敷の庭の片隅でひっそりと眠り続けた。
しかしいま……。
その呪いの狐は甦り、それは、おみつの手中にあった。
「ふふ、ふ。ねえ、蔵楠様……明日は、もっと派手に殺りましょう」
そう囁きながら、おみつは、身体を蔵楠にすりよせる。
その眼は、殺しへの期待から、妖しい光を帯びていた。
おみつは、気持ちが高ぶったのか、蔵楠のたくましい肩を軽く噛みながら、その手は、蔵楠の胸板をまさぐる。
蔵楠は、たまらず、再びおみつに挑みかかった。
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