19  呪詛返し・前


 宵五つ(午後八時過ぎ)に、奉行所をあとにした篁薫は、巣鴨村を訪れていた。

 このあたりは、にぎやかな現在とはちがい、まったくの田舎で、中山道に続く道沿いを除くと、町屋などは見当たらず、畑や雑木林ばかりが広がっている。


 幸い月の明るい夜なので、提灯も持たず歩いているが、そうでなければ、さぞや難儀しそうな畦道をしばらく歩くと、畑の向こうに黒々と大きな屋敷が見えてきた。

 茅葺き屋根だが、館というのにふさわしい堂々とした大きな建物は、巣鴨村の名主・増村喜左衛門の屋敷である。

 屋敷に近づくにしたがって、闇のなかに、ひんやりとした禍々しい気配が濃厚に漂ってきた。

 鼻をつく生臭い匂いと、肌にまとわりつく、ねっとりとした湿気を感じて、薫はあたりを見回す。


 薫の足元には、大きなひきがえるがのそのそと這っているのが見えた。

 それも一匹や二匹ではない。蟇は、次々と畑のなかから這いだし、畦道にうじゃうじゃと列を作り、屋敷に向かっていた。

 踏み潰さないように歩くのに苦労するほどの数である。

 屋敷の周辺には、低い土塀が巡らされているが、蟇は次々と塀の下に蝟集して蠢いており、生臭い匂いと、ざわざわとした気配があたりを充たしている。


 薫は、屋敷の門前まできたが、そこは、集まった蟇で真っ黒に埋めつくされて、足のやり場もないぐらいであった。

 薫は、懐から和紙で作った、二枚の人形(ひとかた)を取りだすと、左右に投げ、人差し指と中指を口にあて、鋭く短い呼気とともに、その指先を突きだす。

 すると、二枚の人形は、一瞬にして、鎧兜を身につけた武者の姿に変化へんげした。

 薫の使役する式神である。

 身の丈七尺あまりの、たくましい鎧武者は、三尺もある陣太刀を手に、ふたり並んで薫の前を歩く。


 鎧武者の歩くそばから、蟇がざわざわと音をたてては、道のはじに逃げて、屋敷の門まで、一直線に道が開けた。

 薫は、その道を平然と進み、門をくぐった。

 敷地に入り、堂々とした破風造りの玄関の前まて行くと、ひとりの老人が立っていた。

 三角形を逆さまにしたような大きな頭に、ちょこんと髷をのせた、子どものような矮躯の老人は、薫の家の下男の太兵衛である。

 太兵衛は、鎧武者の式神など目に入らぬかのように、薫の前に進みでた。


「半刻ほど前から、なにやら怪しい気配が蠢いております」

「ええ。たった今、手前も門前で蟇の群れを見ました……それで、お嬢さんの様子は?」

「へえ。その気配が満ちたときより、なにやら苦しげな様子でございました」

「わかりました。 ――で、例の仕掛けは、昼間のうちに……」

「へえ。言われたとおりに仕掛けておきました」

 薫は、にっこりとうなずくと、

「では、参ります。この仕事は、おそらく今夜中に“かた”がつくでしょう」


 薫は、屋敷のなかへ入ってゆき、太兵衛が続く。

 鎧武者の式神は、そのまま玄関の前にとどまっていた。

 屋敷のなかでは、当主の増村喜左衛門が待っていた。

「篁先生、娘が……娘が苦しんでおります……どうか、よろしくお願いいたします」

 喜左衛門の顔には、明らかに疲労と焦燥が見られ、まるで病人のような青白い顔をしている。

 その暗さとは対照的に、豪壮な室内の調度品が燭台の百匁蝋燭に、明々と浮かび上がっていた。


 この時代、蝋燭は贅沢品である。

 庶民は、灯りに蝋燭など使うことはできず、油に火を灯し明かりにしていたが、それにも金がかかるので、暗くなれば寝て、夜が明ければ起きる。

――というのが生活の基本だった。

 つまり、蝋燭などは、料理屋や遊廓のような商売ならともかく、あまり一般の家庭で使われることは、なかったのである。


(貧乏な御家人の家に生まれた勝海舟が、まだ麟太郎を名乗っていたころ、月明かりでズーフハルマを筆写したのは、有名な話だ)


 この屋敷のなかは、玄関はもとより、廊下に至るまで、あらゆる場所に蝋燭が灯されており、いくら分限者とはいえ、いささか不自然さが目立つ。

 しかし、それには、れっきとした理由があった。

 喜左衛門は、闇を恐れていたのだ。


 がはじまったのは、今から半月ほど前のことだった。

 喜左衛門には、跡継ぎの長男・喜太郎(跡を継ぐときは、喜左衛門の名前も継ぐ)、板橋の豪農に嫁いだ長女正子、そして、目に入れても痛くないほど可愛がっている、次女の冨美枝という美しい娘がいた。

 この冨美枝が、半月ほど前から、身体の調子を崩し、寝込むようになってしまった。

 最初は軽い目眩や、微熱からはじまり、そして、夜になると身体に湿疹ができ、非常な痒みを伴い、痒みのあまりのたうち回り、身体じゅうを掻きむしってしまい、朝になると、引っ掻き傷だらけになってしまうのだ。


 喜左衛門は、金に糸目をつけず、高価な薬を取り寄せたり、知り合いのつてを頼って御典医にまで診てもらったが、どんな薬も効かず、さっぱり原因が掴めなかった。

 しかし、それは、はじまりにすぎなかった。

 湿疹は、やがて水ぶくれにかわり、昼間はなんともないのに、夜になると、まるでじんましんのような、赤い湿疹ができるようになり、今度は痒みでは済まず、意識がなくなるほどの痛みにかわった。

 最初は、蚊に喰われた程度の水ぶくれだったが、やがてそれは、一文銭ぐらいの大きさにかわり、夜になると、ぶくぶくと醜い水ぶくれが身体じゅうを覆う。

 冨美枝が美少女だけに、不気味なこと、このうえなかった。


 ところが、この醜い水ぶくれは、朝になると、みるみるなくなってしまい、まるで何事もなかったかのように、元に戻ってしまう。

 あまりのふしぎさに、これは何かしら、祟りのようなものではないかと、憑き物落としで名高い、小石川戸崎町に住む修験者・雲照に観てもらうことにした。

 屋敷に呼ばれた雲照は、一晩、様子を見ただけで、

「これは、我の手におえることではない。この者に依頼するように……」

 と、紹介されたのが、陰陽師の篁薫であった。


「篁先生……娘は日毎に弱っています、はたして治るのでしょうか……」

 廊下を歩きながら、喜左衛門が震える声で言った。

 喜左衛門を見ながら薫は、

「原因は突き止めました。確約はできませんが、早ければ今夜中に始末けりがつくでしょう」

 と、言った。


 依頼を受けた薫は、まず屋敷の周りに結界を張ったが、水ぶくれができるまでに、多少時間がかかるようになっただけで、さしたる効果は、認められなかった。

 次に薫は、昼間のうちに、屋敷の内外を隅から隅まで見て回った。

 このあたりでは、それと聞こえた裕福な名主だけに、屋敷の敷地は二万坪以上もあり、下手な大名屋敷より広いため、これに時間を喰われたが、一度土が掘りおこされ、再び埋められた形跡を四箇所発見した。

 そして、そのうちのひとつから、明るい昼間であるにも関わらず、冷たく禍々しい気配が漂うのを感じた。


 薫は、空を見上げると、懐から丸い銀で出来た円形の金属の塊を取りだした。

 ちょうど手のひらに収まる大きさで、ふっくらとした円の上端には、楕円形の小さな輪がついており、そこから細い銀の鎖がのびている。

 当時まだ日本では珍しい懐中時計だ。

 この懐中時計は、二十年前にパリに店を開いた、天才時計師・アブラハム・ルイ・ブレゲが作った時計であった。


 奇しくもこの寛政七年、ブレゲはフランス革命により一旦追われたパリに、スイスから戻って店を再開している。

 薫が持っているブレゲは、自動巻きだが、まだミニッツ・リピーターやトゥールビョン機構が発明される前の、三針のいたって普通のモデルだ。

しかし、さすがにブレゲの作だけあり、匂いたつような気品に溢れている。

 このブレゲ懐中時計を、大阪伏見町の時計商『大和屋伊八郎』で見つけ、一目惚れした薫は、二百五十両で購入して愛用していた。


 薫は、太陽の位置を確認すると、時計の短針を太陽の方向に合わせる。十二時と短針のちょうど中間が南になるので、この方法を使えば、たちどころに正しい方位を知ることができる。

 このやり方は、長崎で知りあった清国人の商人から教わったものである。

 薫は、屋敷に目を向け、玄関のあった位置を頭のなかに浮かべ、もう一度、南の方角を確認すると、足元の掘り返された跡を見る。


 それは屋敷から見て、まちがいなく、丑寅(北東)つまり、鬼門の方角だった。

 居間に通されると、そこには、冨美枝の兄の喜太郎が待っていた。薫が部屋に入ると、睨むような厳しい視線を向ける。

 喜太郎は薫に対して、あまりいい感情を持っていないようで、いきなり詰問調で言った。

「篁先生……雲照殿は、祓えなかったとはいえ、一晩じゅう妹のために経を唱えてくださいました。しかし先生は、様子を見たあとは、屋敷をうろうろするだけ……いったい、どういうことでしょうか」

「これ、よさぬか喜太郎」

 当主の喜佐衛門がたしなめる。

 しかし薫は、気にさわった様子もなく、


「雲照殿は修験者……それが彼のやりかたですが、手前は陰陽師です。自ずと対処の方法がちがいます」

「わたしは以前、高名な陰陽師がお祓いをするところを見ましたが、たしか、オン ア ビ ラ ウン ケン ソワカ……という経文を唱えていましたが、篁先生のやりかたは、ちがうというのですね」

「オン ア ビ ラ ウン ケン ソワカは、もともと密教の経文なのですよ」

「では、その陰陽師は、なぜ密教の経文を唱えたのでしょうか?」

「陰陽道の呪術的な面は、密教の影響を受けているからです。


 オン、アビラ、ウン、ケン、ソワカは、大日如来の五言真言で、土佐に伝わる“いざなぎ流”の陰陽道では、“不動王呪詛返し”の術の経文に含まれています。

ところで、喜太郎殿も、九字というものをご存知でしょう」

「臨、兵、闘、者、皆、陣、裂、在、前、というやつですね」

「そうです……普通は、という字を宛てます」

 薫は、懐から矢立を取りだし懐紙にさらりと《裂》と書いた。当時、一般的には、あまり使われていなかった見事な楷書である。

「ところが、真言宗ではこの字をと表記します。天台宗ではです」

「それがなにか?」

「決まった形式でなければ悪霊が退散できないなら、真言宗か天台宗のどれかが間違い……ということに、なりませんか?」

「そんな些細なことは……」


「同じです……手前にとって術の形式などは、些細なことなのですよ」

「それでは篁先生は、普通の陰陽師とは、やりかたがちがうというわけですか?」

「ええ。そのとおりです」

「手前が屋敷を徘徊していたのは、呪詛の依りしろ、厭物(いみもの)を探していたのです。そして……それは、もう見つけました」

「そ、それは、いったいどんな呪詛なのでしょう」


 喜佐衛門の顔色がまっ青になっている。

「庭の丑寅、つまり鬼門の方角に、札の貼られた素焼きの壺に入った、蟇の木乃伊ミイラが埋めてありました。

――そして、屋敷を取り囲むように結界が張られています」

「なんと……いつの間にそんなことが!」

「これは蠱毒を使った呪法……素人にしては、道具だてが凝りすぎています。呪詛師の仕業にちがいありません」

「呪詛師……そんな恐ろしげな輩がいるのですか」

「ええ。手前の知るだけでも江戸に七人ほどいて、蟇を使った呪を得意とするのは、琉球人の屋部重慶やぶ じゅうけいと噂されています」


 薫の説明に、喜太郎の顔色も次第に青ざめてくる。

「もし屋部だとしたら、これは手強い……屋部は、重罪人として島津家から討手が出ていますが、捕縛しようとした薩摩の必殺剣・示現流の達人二名を素手で返り討ちにして、行方をくらましました」

「妹に呪詛をかけているのは、その屋部だと?」

「はい。今までに一度も見たことがない陣の組みかた……おそらくまちがいないでしょう」

「そんな恐ろしいやつの呪詛が返せるのでしょうか?」

「手前の呪詛返しは、本来邪気を祓うための返閉へんばいと呼ばれる手法の応用……いわば、ある意味、邪道なやりかたです。

邪法には邪道……なかなかおもしろい判じものだと思いますよ」


 そう言うと薫は、おもむろに立ちあがり、刀の下げ緒を素早くたすき掛けにした。

「いずれにせよ、が強いものが勝ちます。戦いとは、常にそうしたものです」

 薫は、懐からブレゲの懐中時計を取りだし蓋を開く。午後十一時を回ったところだった。


「さて……では参りましょうか」



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