25  襲撃の夜・後



 激しい物音がしたとたん、修平と三吉は、作業小屋を飛びだしていた。

蔵楠の道場まで全力で走る。

 隣の建物の物音に、小見山の賭場からも、野次馬が、ぞろぞろと外に飛びだしてきたが、そのなかには、金太の顔も見える。


 しかし、修平が蹴破られた入り口に駆けつけたときには、すべては終わっていた。


 道場からは、袴を血に染めて、片足を引きずった男に肩を貸しながら、浪人ふうの男が現れ、威嚇するような鋭い視線を、修平と野次馬に送る。

「見せ物じゃねぇ、散れっ!」

 浪人ふうの身なりをした津山が、威嚇するように言った。

 迫力に気圧されて、賭場から出てきた男たちが、一斉に後ずさる。

 威嚇を気にするでもなく、涼しい顔でその場に立ったままの修平から視線を外さず、津山が通りすぎてゆく。

 続けて、気を失った男を背負った、旗本の池田が続いた。

 最後に、池田を護衛するような格好で三浦が現れる。


 三浦は、修平に鋭い視線を向け、その視線を一度も逸らすことなく、刀に手をかけたまま、修平の前を通過した。

 修平は、敵意がないことを示すように、両手をだらりと垂らしたまま、黙ってそれを見送った。

 賭場から出てきた野次馬に紛れていた金太は、修平と三吉に、軽く視線で合図すると、浪人たちのあとを尾行しはじめた。

 十手持ちの三吉が道場に立ち入ると、後々ややこしいことになりかねないので、野次馬のふりをして、修平がさりげなく道場のなかに入る。


 道場は、材木屋の作業場を改築したもので、やけに広かった。

 入ってすぐの場所が土間になっており、右手が道場、そして左手が居間になっていた。

 蹴破られた板戸のすぐ脇に、煙草盆が転がっていて、周りには、灰が飛び散っている。

 そして、上がり框から居間にかけて、先ほど足を引きずっていた男のものと思われる血が、点々と落ちており、居間の真ん中に黄表紙が転がっていた。

 居間の奥には勝手口があり、扉は開けはなたれたままで、裏庭に通じている。

 修平は、居間を突っ切り、裏庭に出た。


 裏庭の向こうには、隣の屋敷が見える。小見山の屋敷よりはるかに大きなところを見ると、高録の旗本か、大名家の下屋敷かもしれない。

 さらに、よく見ると、隣の屋敷と裏庭の間には、まるで猫道のような細い隙間があった。

 深川にやってくる前に、念のため確認した地図では、小見山の敷地と隣家の境界は、単に線で表現されていたので、いささか驚いたが、修平は、その猫道に足を踏みいれる。

 猫道を抜けると、少し広い道に出くわした。

 道を渡った向こう側は、仙台堀から続く細い運河になっており、石段の下には、何艘もの小舟が浮かんでいる。

 そして、その運河の奥には、黒々とした浄心寺の杜が見えた。


「なるほど。ここに出るのか……」

 この先の橋をわたると、修平が蔵楠とすれ違った東平野町だった。

「この様子だと、やつらは、舟でとんずらでしょうね」

 いつの間にか、三吉が後ろに立っていた。小走りに大回りしてきたので、息が荒くなっている。

「それにしても、こうやって逃げ道を作っておくところといい、襲われたときの対応といい、敵ながら天晴れだな」

「へ、さようですか? しかし、斬られたやつも背負われていたやつも、たいした深手には、見えませんでしたぜ」

「いや、そうじゃねえ。要は、闘えなくすればそれでいいのさ……

殺さないで、ああやって浅手を負わせれば、足手まといになるから、一石二鳥ってわけだ」

「なるほど、そんなもんなんですかね」

「あの状況だと、敵が何人で、どんな武器を持っているかもわからねえ……だったら、さっさと逃げるのが正解だ。兵法は、勝たなくても負けなければいいんだ」

 三吉は、修平の言葉にうなずくと、


「それにしても間が悪い……せっかく隠れ家を見つけたのに、これで全部ぶち壊しだ……」

 と、つぶやいた。


 その夜四つ半、佐吉は南町奉行所に駆けつけた。

「佐吉……その顔からすると、何か動きがあったようだな」

 佐吉の顔色を見た鍖衞が、間髪を入れず言う。

「へい。じつは……」


 金太は、浪人たちが池田の屋敷に入るのを見届けると、屋敷の向かいにある、商家の前に置かれた天水桶の陰に身を潜めた。

 このとき金太は、この屋敷を池田の屋敷とは認識していない。何故ならば、当時は、武家屋敷に表札を掲げる習慣がないので、誰の屋敷なのか、見ただけでは、わからないからだ。

 それからさほど待つこともなく、賭場で見かけた浪人が姿をあらわした。

 浪人は、尾行を警戒しているのか、慎重に左右を見回すと、誰もいないと納得したのか、ゆっくりと歩きだした。

 油断のない歩みぶりであったが、金太は素人ではない。

 やがてその浪人が、根津の小笠原家の中屋敷に入るのを見届け、すぐ近くの見張りどころを訪ね、佐吉に経緯を語り、そして佐吉が奉行所に、駆けつけたのであった。


「ふうむ……」

 話を聞いた鍖衛は、難しい顔をして黙りこむ。

「蔵楠一味は、その隠れ家には、当分戻るまい……」

「へい。あっしもそう思います……こうなったら、根津の妾宅と御切手町に狙いを絞る以外、手がありません」

「――うむ。そうするしかないだろうな。それにしても、犬甘派の連中も、よけいなことをしてくれたわい……」


 鍖衛は、そうつぶやくと、ゆっくり煙管に手を伸ばした。





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南町奉行・根岸鍖衛 妖術事件控 橘りゅうせい @808

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