13  船橋宿 松兼 




「もう一度聞くぞ。その木更津の商人あきんどが、おみつを訪ねてきたのは、その三度だけなのだな?」

 ぴしりと、決めつけるように袴田が言った。

 船橋宿の干鰯ほしか問屋『松兼』の居間である。

 袴田は、佐吉を案内人に、松兼の主人・清兵衛を尋問していた。

 佐吉は、清兵衛の言葉を残らず書きとっている。清兵衛の横では、女房のおろくが小さくなっていた。

 清兵衛は、佐吉が奉行所の手のものだったのにも驚いたが、船橋宿の十手持ち岩五朗を伴ってやってきた、南町奉行所与力の袴田に、


「娘について聞きたいことがある」

 と、言われたときは、心の臓が縮みあがる思いだった。清兵衛は、堂々たる外見とちがい小心者なのだ。

 しかし清兵衛は、以前佐吉に語った以上のことは、決してしゃべろうとしなかった。

 清兵衛からは、娘ふたりはあきらめがついても、店の体面だけは守ろうという、強い決意が見てとれた。


「失礼いたします」

 そこに松兼の女中が、茶を替えに入ってきた。佐吉が女中にむかって、にっこり笑い、

「おお、ご苦労さん。ほれ、とっておきなさい」

 おひねりを握らせた。佐吉は、袴田に向きなおると、

「袴田様。主人も知らぬと申しておりますし、そろそろ……」

 佐吉にそう言われ、袴田は、うむと頷くと、

「よいか……おみつは、重要な事件に関わりのある疑いがある。

もし、再びこの家に現れるようなことがあれば、きっと岩五朗に告げるのだぞ!」

 権柄づくで決めつけた。清兵衛は、ひたすらかしこまっている。


「では佐吉。ゆくぞ」

「はっ」

 ふたりが出てゆくと、清兵衛は、ようやく胸を撫で下ろした。

 岩五朗と別れ、袴田と佐吉は、赤門寺の茶店に向かう。

 しかし、どうにも佐吉の様子がおかしい。うつむいたまま、苦しそうに身体を小刻みに震わせているのだ。

「佐吉、なにが可笑しい」

 袴田が憮然とすると、

「くっ、く……いや、袴田さん。なんにも可笑しくなんかありません」


 目尻に涙をためて、苦しそうに笑った。

「わたしに悪者をやれと言ったのは、おぬしだぞ!」

「あっしは、一度清兵衛と話しておりますからね。この場合、袴田さん以外の誰が悪者をやるんですかい」

「しかし……結局大したことは、聞きだせなかったな。清兵衛め、なにか隠しているにちがいないのだが……」

「へえ。でも、ひとつ布石を打っておきました」

「どういうことだ?」

「しばらくここで、茶でも飲んでいれば、効き目があらわれるかと……」


 四半刻もすると、佐吉の言う効き目があらわれた。先ほど佐吉が、おひねりをわたした女中がやってきたのだ。

 驚く袴田をよそに、佐吉が、

「よくきたね。ささ、こちらへ……」

 女中を隣に座らせた。

「あ、あの……このことを旦那様には……」

「もちろん内緒にしておくから、安心しなさい」

「お女中さん、あんた名前は?」

「はい。千津と申します」

「では、お千津さん。あなたの知っていることを、教えてもらえませんか……」


 佐吉の問いに、お千津が訥々と語りだしたところによると……

 おみつは、狐憑きになって木更津から実家に戻されたというわりには、特にそういった様子は見られず、蔵のなかにしまわれていた、先祖伝来の古文書を熱心に漁っていたようだ。

 おみつは、二年前に木更津に嫁ぐ前にも、使用人などを見下したところがあったが、以前にも増して態度は高慢になり、二言目には、

わたしは、世が世なら三百石取りの武家の娘だった」

 などと、鼻持ちならない様子であったそうだ。

 そして、木更津から商人が訪れると、使用人はおろか、両親さえ部屋には近づけず、なにやら熱心に語りあっていたらしい。

「おみつを訪ねてきたのは、その木更津の商人だけなのかい?」

「はい……あ、いえ、一度だけ裏口からこっそりお武家様が……」


 佐吉と袴田が目を見合わせた。

「なに、武家が? どんなやつだったか、覚えてるか?」

「はい。とてもたくましいご浪人様で、巌のような方でございました。一度見たら忘れようがございません。お嬢様は、たしか、様とお呼びでした」

「その浪人を見たことを誰かに……」

「いえ、旦那様にも話しておりません」

「そうか。よく教えてくれた……いいかい、お千津さん。このことは、誰にも内緒だぜ」

 佐吉が念を押す。

「ところで、お千津さんは、いつから松兼に雇われているんだい?」

「はい。今年で四年目でございます」

「なるほど……じゃあ、昔のおみつのことは、あまり知らねえよなあ……誰かそういうことに詳しいひとに、心当たりはないかな?」

「あ、あの……年に何度か訪ねてくる、今は大和田宿の旅籠に嫁いで女将さんをしている、お乳母さんが……」

「その女将さんは、おみつの乳母だったんだね」

「はい……」


 お千津を店に帰すと、袴田が矢継ぎ早に質問する。

「佐吉。どうやってあの娘を誘いだした? それより、なぜあの娘がしゃべるとわかったのだ?」

「あの娘……最初に茶を出しにきたときから、なにかしら目で訴えていました。だから、おひねりの包み紙に、赤門寺で待つ……と、書いておいたんでさ」

「なるほど。抜け目がないな」

「それでなきゃ、根岸様の密偵てさきは勤まりません」

「ところで、その乳母の嫁ぎ先の大和田宿は……」

「へい。佐倉道のひとつ成田寄りの宿場です。ここからは、二里半ってところですかね。町並みが十町も続く、にぎやかな宿場です」


 大和田宿は、現在の千葉県の八千代市。京成線・大和田駅付近にあった。

 いまは、すっかり寂れているが、成田詣でが盛んだったこの当時は、一日千人が宿をとる……と、いわれるほど栄えていた。

「それじゃあ、今日はもう……」

 佐吉が二日酔いで、出発が遅れ、もう午後も遅い時間になっていた。

「大和田に宿を取るしかないでしょうね」

 佐吉がこたえると、袴田は、大きくため息をついた。

「やはり、今日じゅうには、江戸に戻れぬな」

「なあに、大和田に泊まるのも乙なもんですぜ。たしか八百屋お七の墓があったはずです」

「物見遊山の旅じゃあるまいし、そんなものあっても、しかたがなかろう……

わたしは、どうも田舎が苦手だ」

「まあ、ぼやいても、らちがあきません。陽が暮れる前にやっつけましょう」

 ふたりは、佐倉道を急ぎ足で歩いていった。











  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る