ここはどこ?わたしはだれ?いまはいつ?

 俺はそこまで三国志に詳しいわけじゃない。

 有名なマンガをいくつか読んだのと、ゲームをちょこちょこやったくらいのもんだ。

 ただ、高校時代に古今東西ゲームが大流行して、同級生に何人かいた三国志マニアが、三国志に登場する武将を題材にすることが多かった。

 姓名に加え、あざなまで言わなくちゃいけないというルールのおかげで、俺は三国志に登場する人物の名前だけはかなり覚えていた。


『いいか、このゲームでは姓名と字を全部並べてるけど、通は姓と字だけを言うんだぜ?』


 同じクラスの三国志マニアがそんなことを言っていた。

 なんでも、下の名前ってのは本来名乗り合うようなもんじゃなく、親や上司以外が呼ぶのは失礼に当たるらしいのだ。


「あぶなかったな……」


 あのあと食事を終えた俺は、自分の寝室らしき所に通されて、寝転がっていた。

 完全に日は落ち、灯りもないので、黄元は窓から射し込む月明かりと星明かりしかなく、ほぼ真っ暗だ。

 わらで編まれた厚手のむしろが布団代わりなので、あちこちがチクチクしてたけど、すぐに慣れた。

 あのとき、不用意に『劉備玄徳』なんて口にしていたら、彼の機嫌を損ねたに違いない。


「寝る、か……」


 いろいろ考えることはあるけど、眠くなってきたし、もしかすると一度寝て起きれば、あのほこりっぽいベッドの上で目覚めるかも知れない。

 安物のベッドと狭い部屋だけど、筵で寝るよりは随分マシだろう。


**********


 さて、いよいよ現状の把握が重要になってきた。

 というのも、結局のところ筵の上で目覚めたからだ。

 どうやらこれが夢である可能性は、一気に低くなった。

 となると、表札にりゅうと刻まれ、母親からはちゃんと呼ばれ、自らは玄徳げんとくと名乗るあの青年の存在から、やはりここは三国志の世界と考えるべきだろうか。

 そう考えると、あのゴリマッチョは益徳えきとくと呼ばれていたから……。


張飛ちょうひは益徳で統一な! 翼徳よくとくとかそれ演義のねつ造だから』


 三国志マニアの言葉が再び思い浮かぶ。

 俺の読んだマンガでも、翼徳と益徳の二種類があったな。

 なんにせよ、あのゴリマッチョは張飛ってわけだ。

 となると俺は?

 憲和けんわ……憲和……誰だったかな……。


「あ、簡雍かんようか!」


 三国志を題材にしたシミュレーションゲームで劉備を選んで始めると、関羽と張飛のほかにもうひとりいる、あの微妙な武将だな。

 人手不足のころは内政と外交でそこそこ使えるけど、人材がある程度充実すれば、その存在を忘れられるような、地味な武将だ。

 マンガでも、あんまり活躍しないしな。

 まぁ、史実で活躍しなかったから、ゲームでの能力値が微妙って話なんだけど。

 それにしても、簡雍とはね……。

 劉備と張飛がいるんだから、俺は関羽とかでもよかったんじゃね?

 ってか、関羽はまだいないのかな。


**********


熹平きへい四年だけど、それがどうしたんだい?」

「お、おう、そうか」


 いまが三国志でいういつ頃の時代か知りたかったから、劉備に聞いてみたんだけど、熹平四年って西暦何年よーっ!?

 見たところ劉備は十代だから、まだ最初の方だと思うんだけど、他になにか目安は?


「いまの皇帝って誰だったけ?」

劉宏りゅうこうだね」


 劉備の口調には、わずかな侮蔑が感じられた。

 ってか、皇帝の姓名をさらっといったけど、それって不敬じゃね?

 でも、名前でいわれても誰だかわからん! なに帝なんだよ、劉宏って。

 霊帝れいていか? 霊帝なのか!?


『おいおい見てみろよこのマンガ! “我は霊帝なり!”だってよー! ありえねー!!』

『なにがあり得ないんだよ』

『だってよ、霊帝っつーのは死後に与えられるおくりなだぜ? 生前の本人が知ってるわけないし、知ってたとしても霊帝の『霊』の字には“乱れはしたが国を滅ぼすほどではなかった”って意味が込められてるんだぞ? そんなもん好き好んで自分から名乗る奴があるかよ』


 いいタイミングでマニアとの会話が思い出された。

 あやうく“劉宏って霊帝?”って聞くところだったぜ……。


「前の皇帝ってだれだっけ?」

劉志りゅうし、たしか諡号しごう孝桓こうかん皇帝だったかな」


 孝桓皇帝?


『霊帝ってのも正式には孝霊皇帝、献帝は孝献皇帝っていうんだけどな』


 つまり孝桓皇帝は桓帝かんていか。

 たしか、桓帝、霊帝、献帝の順番だったから、やっぱりいまは霊帝の時代ってわけだ。

 もう少し時代を絞りたいな。



「なぁ、“蒼天そうてんすでに死す”って言葉に、聞き覚えは?」

「蒼天すでに死す? いや、あまり耳馴染みのないものだけど、どういう意味なんだい?」

「あー、いや、俺もなんとなく耳にしたっつーか、目にしたっつーか、ちょっと引っかかっただけなんだけど」

「ふむ……」


劉備はいちど腕を組み、少しうつむいて考える素振りを見せたあと、紙と筆、そして墨を用意した。


 ――蒼天已死そうてんすでにしす


 四つの文字が、紙に書かれる。


「蒼天……春の空……いや、ここは天命とよむべきか……。天命はすでに尽きている? 天命とは……漢朝の? 憲和、君はいったいこれをどこで……」

「ああ、いや、ほんと、よく覚えてねーんだわ。気にしないでくれよ」

「そうか……」


 いかんいかん、あんまり変な情報を与えるもんじゃねぇな。

 しかし、蒼天すでに死すって言葉に馴染みがないんなら、まだ黄巾こうきんらんは起こってないってことか。

 もしかすると、関羽とも出会っていないのか?

 俺の知ってるマンガだと、最初に張飛が劉備に声をかけるパターンか、関羽、張飛が元々組んでて、最初は劉備と敵対するパターンがあったよな。

 でも劉備と張飛が先に組んでて、関羽がいないってパターンはあんまり見た記憶がない。

 俺が知ってる三国志と、ちょっと違うのかな?


「じゃあ、俺はちょっと散歩に出かけるわ」

「そうか、あまり遅くならないようにな」


 とりあえず俺が簡雍だってことと、いまは霊帝の時代で、まだ世の中が大きく乱れる前、ってことはわかった。

 簡雍なんていう微妙な武将になってしまったからには、無茶は禁物だ。

 劉備の腰巾着として、張飛と、いつか出会うだろう関羽に守られながら、とりあえずこの世界で生きていくしかなさそうだな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る