ファディ先生
「なんや、呼んだか?」
彫りの深い顔立ち、くっきりとした二重まぶたの大きな目、高い鼻、濃い髭にクセのある黒髪。
なんといえばいいのか、彼の容貌は周りにいる漢人たちとは大きくかけ離れていた。
中東系って感じか?
その男に付き従う数名も、似たような顔立ちだった。
「おう、ファディ先生、よく来てくれた」
名前まで、変だ。
「そのファディ先生言うんやめぇや。わしの名前ちゃうねんぞ?」
「いいじゃねぇか。あんたの名前、よくわかんねぇんだからよ」
「せやからワシの名前はな――」
その後に名乗られた彼の名前は、なんだか難しくて聞き取れなかった。
「やっぱわかんねぇや。いいじゃねぇかアンタ、そいつらにファディって呼ばれてんだからよ」
そう言って、鄒靖は付き人を示すように顎をしゃくる。
「そらこいつらが同郷やからや。ファディっちゅうんはお前らの言葉で言うところの先生みたいなもんやからな? ファディ先生っちゅうたら先生先生みたいになって気持ち悪いねん」
「ま、気にすんな、細けぇこたぁ」
「それ、お前が言うてええセリフちゃうぞ」
「んなことより、アンタに客だ」
「客? 患者か?」
ファディ先生はそう言うと、鄒靖の視線を追って俺を見た。
「で、どこが悪いんや?」
「いや、俺じゃないんですけど、その、友人が最近眠れずに困ってまして……」
「ほうか。で?」
いや、で? って言われても……。
俺はただ鄒靖に相談しただけで、ファディ先生を呼んだのは彼だからなぁ……。
「先生、あれ出してやれよ、あの眠り薬」
俺が固まっていると、鄒靖が助け船を出してくれた。
にしても眠り薬……睡眠薬があるのか?
漢方薬みたいなものだろうか?
「アホ抜かせ。あら眠り薬ちゃう、痛み止めや」
「つってもよ、飲んだら眠くなるんだから、眠り薬でもいいじゃねぇか」
「せやけどあれは痛み止めとして煎じとんねん。腹とか切ったときに痛ぁならんようにな」
腹を切る?
「なんで医者が腹を切るんだよ」
「ええか、人っちゅうのはたまに身体ん中に悪いもんができて、それが原因で苦しんだり死んだりすることがあんねん。でもその悪いもんを切り取ってしもたら助かることもある。せやからそのためには腹切ったり骨削ったり、頭かち割ったりする必要があるんや」
つまり……外科手術ってことか?
なんか、すげぇな、この人。
「せやけど普通に皮とか肉切ったら痛いやろ? その痛みを和らげるための薬が、アレなんや」
「ようは眠ってるあいだにやっちまおうってことか?」
「んー、そうなるといまのままやったら効果が出るんに時間がかかりすぎるし、そもそも痛みで目ぇ覚めてまうねんなぁ」
「だったらもっと濃くすりゃいいんじゃねぇの?」
「それやと腹下してもうて意味なくなんねん。ヘタしたらそのまま死んでまうこともあるしな。濃さはいまで限界や」
なるほど、つまりこのファディ先生が作りたいのは、鎮痛剤というより麻酔ってわけだ。
「あの、吸っちゃだめなんですか?」
「あぁん?」
なんか凄い目で見られたんだけど……。
でも、麻酔ってのは薬剤を注射したり点滴したりするか、あとはガスみたいなのを吸うかって感じだよな?
さすがに今の技術で細い注射針とかそういうのは作れないと思うんだけど……。
「おい、吸うっちゅのは、どういうこっちゃ?」
「いや、その薬がどういうものかはよくわからないんですけど、粉にしたのを鼻から吸いこむとか、煮詰めて出た湯気を吸うとか……?」
粉を吸うってのは、まぁ印象はよくないけど、映画なんかでドラッグをキメるシーンでよく見るアレだ。
煮出した湯気ってのは……どうなんだろ?
むしろ残ったほうで薬剤が凝縮されるかも?
わかんねぇや。
「なんで、吸うねん?」
「なんでって言われても……なんとなく?」
吸収効率とかそんなんだろうけど、俺だって詳しいことは知らねぇよ!
「吸う……吸うか……ジブン、おもろいこと考えるなぁ」
なんだか感心されてしまったみたいだ。
っていうか、こういう知識って、あんまり教えないほうがよかったか?
……いや、いまさら遅いか。
「それで、どこが悪いんやったっけ?」
「いや、俺じゃなくて、友人が……」
「ほなそいつ連れてこいや。本人見てみなわからんわ」
「あ、はい……」
**********
「あの、簡さん、鄒校尉、これは、いったい?」
ファディ先生の前に連れてこられた田豫は、戸惑った様子で、身体を縮こめていた。
「ジブン、寝られへんらしいな?」
「え?」
ファディ先生が問いかけると、田豫は目を見開いたあと、俺に責めるような視線を向けた。
余計なことはするな、と言いたいんだろうけど、悪いな。
さすがに見過ごせる状態じゃないんだわ。
「いえ、その、別に、そんなことは……」
「嘘言わんでええ。明らかに寝不足や。医者やぞ?
見たらわかるわ」
「医者……?」
医者に診てもらう、なんて言ったら、絶対こなかっただろうからな。
鄒靖が呼んでいると言って、ここまで連れてきたんだ。
まぁ、嘘ではないしな。
「そんな、大げさな……」
「国譲、いいから診てもらえ。この先生、口は悪いが腕は確かだ」
「鄒校尉が、そこまでおっしゃるなら……」
鄒靖に言われ、田豫も観念したようだ。
「口が悪いとはなんじゃい。こっちは必要やからしゃべっとんのや」
鄒靖に文句を言いながら、ファディ先生は田豫を立たせ、身体の大きさや顔色なんかを観察した。
「ほな薬出したるけど……ジブン」
「え、俺?」
そこで突然、ファディ先生は俺に声をかけた。
「薬はジブンに預けとくから、きっちり計って飲ましたれ」
「俺が、ですか?」
「せや。たまに薬いっぺんにようけ飲んで早よ直そうとするアホおるんやけど、この薬は飲み過ぎたらヤバいからな。ジブン、そのへんなんかわかってそうやし」
「はぁ……わかりました」
まぁ、家庭の医学ぐらいの知識はあるし、薬の用法用量が大事ってのは、この時代の人たちに比べて心得てる部分はあるかな。
「それにしても、ファディ先生は、なんというか、独特なしゃべり方ですね……西方の訛りですか?」
診療が終わってほっとしたのか、田豫が遠慮がちに尋ねる。
「せや。めっちゃ西のほうからきたで」
「西というと……お顔立ちからして、
「せやな」
西胡? なんか聞いたことあるけど、どこだっけ……。
「なあ、よっちゃん、西胡ってどのへん? 天竺あたりか?」
「……いえ、天竺よりさらに西……北西あたりですね」
田豫に小声で聞いてみると、よっちゃん呼ばわりされた彼は眉を寄せながらも答えてくれた。
えっと、インドの北西ってことは……イランあたり? この時代だと……。
「ペルシャ帝国か?」
「お、ジブンよう知っとるな」
俺のつぶやきに、ファディ先生が反応する。
っていうか、本当にめっちゃ西から来たんだな、この人。
「ごくまれに手に入るこのあたりの薬に興味を持って、わざわざ西胡くんだりからやってきたんだぜ? 頭おかしいだろ?」
半ば呆れたように、そして半ば感心するように、鄒靖が言った。
いわゆる漢方薬に興味を持ったファディ先生は、かのシルクロードを通ってここまでやってきたらしい。
一応交易路はあるものの、命懸けの旅なんだろうなぁ。
ファディ先生なんて人は三国志に登場しないだろうけど、すごい人であることに変わりはないんだろう。
**********
ファディ先生の眠り薬を飲むようになってから、田豫も眠れるようになり、体調もマシになった。
そのことで後日、劉備が先生の元を訪れた。
「このたびは、私の部下がお世話になりました、ファディ先生」
「かまへん、気にすな。あとわしの名前はファディちゃうからな」
そう言って名を告げるも、やっぱりうまく聞き取れない。
「ええ、そのことは聞き及んでおります。そこで提案なのですが」
「なんや?」
「いっそそのファディという呼称に字を当てて、漢人としての名とするのは、いかがでしょう?」
「ほう?」
劉備の提案に、ファディ先生が興味を示す。
「たしかに、いちいち訂正すんのもめんどくさいし、こっちの連中はわしの名前うまいこと聞き取られへんみたいやしなぁ……」
まぁ、同郷の人はともかく、こっちの人がみんなそろってファディ先生って呼ぶもんだから、もう諦めの境地に入ってるのかもな。
だったら開き直るのも悪くないってところか。
「ほなジブンが字ぃ当ててぇや」
「ええ、私でよければ」
せっかくだからと、劉備は紙と筆を用意してもらった。
そして、しばらく思案したあと、一気に筆を走らせる。
「これでいかがでしょう?」
「お、ええやん!」
喜ぶファディ先生の横で、俺は書かれた字を見て、固まってしまった。
――華佗。
紙にはそう、書かれていた。
「ついでに
「いいですよ……じゃあ、
そう言いながら、劉備は新しい紙に字を書く。
「ええやんええやん! 姓を
どうやら謎の言語能力が働いたらしく、漢字を認識したところで
なんにせよファディ先生、めっちゃ有名人だったよ。
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