幕間

普通の人のゆくさきは……?

 俺は平成生まれ平成育ちの、どこにでもいるアラサー男だ。

 労働基準法? なにそれおいしいの? 状態で寝る間を惜しんで働いてるのに、給料は雀の涙。

 平成も終わろうかと言うときに打ち出された働き方改革とやらで、ちょっとは生活がマシになるんだろうか? なんて考えながら、きしむ身体をベッドに乗せて、意識を手放した。


「……なんだよ、ここ?」


 気がつけば、見知らぬ場所にいた。

 荒野、と言えばいいんだろうか?

 だだっ広い、なにもない平地が延々と続いている。

 地面は乾いていて、所々に雑草が生えていた。

 視界いっぱいに広がる地平線なんて見るの、何年ぶりだろう?


「日本……じゃない、よな?」


 国土のほとんどを森林と山に覆われ、わずかな平野部はほぼもれなく開発されている平成日本で、こんな景色は拝めるはずもない。

 いや、どこかにそんな場所はあるのかも知れないけど、ここが日本じゃないことは、なんとなくわかる。

 根拠はないけど、勘というか、空気というか……。


 ――とりあえず、歩こう。


 なんというか、空気が美味い。

 そして、足取りも軽い。

 大学卒業から数年。

 長時間のデスクワークと、運動不足、栄養不足、寝不足が重なり、三十路手前の俺は、肩から腰からガタガタだった。

 ところがいまは、肩こりも腰痛もない。

 まるで十歳以上若返ったみたいだ。

 ……いや、若返ったのか?

 ふと、手を見てみると、肌にハリがある。

 というか、なんだこの服装? 着物?

 でも和服って言うより、道士さまみたいな感じだ。

 中国っぽいって言えばいいのかな?


「あーあー」


 歩きながら、なんとなく声を出してみた。

 声も違っている。

 別人みたいだ。

 夢……?

 にしては、えらくリアルだ。

 もしかしてあれか? 最近流行の異世界転生的なやつか?


 心には不安しかないが、なにせ身体が軽いから、どんどん歩いた。

 あてどなく……と言いたいところだけど、実は遠くに民家っぽいのが見えてたから、そこを目指して歩いていたのだ。

 どうやら村みたいだな。

 随分と簡素な家ばかりが、ぽつぽつと並んでいる。

 文明度の低い異世界なのかな?

 知識チートとかできたりして。

 

 村に着くまで随分かかった。

 遮蔽物がないからか、なり遠くまで見渡せていたんだろう。

 到着するころには、日も傾いてかなり暗くなっていた。


「よう先生。散歩にでも行ってたのかい?」


 村に入ってしばらく歩いたところで、鬼瓦みたいな顔のゴリマッチョに声をかけられた。

 どうやら知り合いみたいだし、適当に話を合わせておいたほうがいいかな。


「あ、ああ。なんか、気分がよかったから」


 まぁ、嘘じゃない。


「そういかい。そろそろ帰らないと、おばさんが心配するぜ?」

「お、おう。そうだな」


 東洋系の顔立ちだが、日本人とは雰囲気が異なるゴリマッチョとは、問題なく会話ができた。

 言葉は通じるみたいだ。

 しかしここは、東洋系のファンタジー世界なのかな?

 ところで、帰るったって、どこに帰ればいいんだ?

 家もなにも、憶えてないんだけどな、俺。


 というか、俺はここで生活していたのか?

 少なくともこのゴリマッチョは俺のことを『先生』と呼んでいたし、どうやら以前からの知り合いであることに間違いはないようだ。

 うーん、過去の記憶とか、目覚めないかな?

 もしくはナビゲートキャラが出てくるとかさ。

 っつか、コレが異世界転生なら、ここに来る前に女神さま的ななにかから、説明の一つでも欲しかったぜ。


「やぁ憲和けんわ、日が暮れるまで散歩とは珍しいじゃないか」


 別の男に声をかけられた。

 そこそこしっかりとした体型で、背がかなり高い。

 耳たぶ、長いな。


「どうした、憲和、ぼうっとして?」


 どうやら憲和というのが俺の名前らしい。

 というか、憲和?

 俺の耳には「けんわ」とだけ聞こえたんだが、なぜか『憲和』という字が当てられることが、すぐに理解できた。

 こりゃ転生ものによくある、翻訳スキルでも発動したか?

 そしてここは、漢字が使われる世界みたいだ。

 こちらの世界の言葉に、元の世界の漢字が当てられた、という可能性もまだ否定できないけど。

 それ以前に、これが夢じゃないとは、まだいいきれないしな。


「すまんすまん。ちょっと長く歩きすぎて疲れたかもしれん」


 本当は全然疲れてないけど、なんとなくそう言ってごまかしておく。


「そうか。じゃあ一緒に帰るかい?」

「お、おう、そうだな」


 どうやらこの男が俺を家まで案内してくれるらしい。


「じゃあ兄貴、先生、またなー」

「ああ、益徳えきとく。おやすみ」


 まだ寝るには早い時間だと思うけど、あたりはどんどん暗くなっていく。

 そうか、街灯がないからか。

 そこまで文明が進んでいない世界っぽいから、夜寝るのは早いのかな。

 あと、このゴリマッチョは益徳というのか。

 んー、どっかで聞き覚えがあるんだけどなぁ。


「えーっと、益徳、くん。おやすみ」

「おいおい、どうしたんだよ先生? くんとかやめてくれよ気持ち悪ぃ」


 くん付けは気持ち悪いのか。

 向こうは先生って呼んでるし、ちょっと偉そうにしてもいいのか?


「はは、冗談だ。じゃあな、益徳」

「おう。また明日な、先生」


 ふむふむ、こんな感じでいいのか。


 それからしばらく、兄貴と呼ばれていた青年について歩いた。

 益徳とは似ても似つかないし、住んでいるところも違うから、本物の兄弟じゃなく、兄弟分ってところか。

 ほどなくたどり着いたのは、立派な桑の木が目印の家だった。

 庭はそこそこ広いけど、家はちょっとばかり粗末だった。

 その入り口に、粗末な家には似つかわしくない、立派な木彫りの表札らしきものがあった。


りゅう……?」


 そこには漢字で『劉』と掘られていた。

 実際に指でなぞってみたけど、間違いなく『劉』という字だ。

 翻訳スキルとかそう言うので認識が違っているということはない、と思う。


「どうした憲和? 早くあがりなよ」

「お、おう。すまん」


 青年に促され、家に入る。

 どうやら俺はここでこの青年と暮らしているらしい。

 しかし、漢字が使われてるってことは、もしかすると……。


『いい人が死ぬと天国に、悪い人が死ぬと地獄に、そして普通の人が死ぬと中国にいきます』


 なんて小ネタを思い出した。

 まさか俺、過労で死んで中国に来てしまったのか?

 だとしたら、ここはもの凄い田舎なのかな。

 でも、このご時世、いくら中国に文明格差があると言っても、電気も通ってないようなところはあるのかな?


「おかえりちゃん。それに憲和さんも」


 家に入ると、俺と同年代――あくまで日本にいたときの感覚だけど――くらいの女性が迎えてくれた。


「ただいま、母さん。あと、私のことは阿備びちゃんではなく、玄徳げんとくと呼んでください」

「んもう、まだ子供なんだから、そんなに大人ぶらなくても……」

「母さん?」

「はいはい、ごめんなさいね玄徳さん。ほらほら憲和さんもあがってごはんにしましょう」

「あの、ども、です」


 うーん、しかし俺はいったい何者なんだ?

 もしかして、この玄徳と呼ばれた青年と、実の兄弟なのか?

 玄徳……玄徳なぁ……、どこかで聞き覚えが。

 ん、まてよ……表札にあった『劉』ってのが名字だとしたら……?

 それに、彼女の言う備ちゃんってのは……。


「え……?」

「どうした、憲和?」


 急に立ち止まり、声を上げた俺に、玄徳と呼ばれた青年と、その母親らしき女性は、こちらを見て首を傾げた。


「あ、ああ、いや、なんでもないっす」


 なんとかごまかしたが、俺の心臓はバクバクと鳴っていた。


 もしかして、劉備りゅうび、玄徳……?

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