役者がそろう

 劉備が袁紹、曹操らを相手にこれまでの経緯を話し終えたところで、新たな人物が幕舎に入ってきた。


「おう、ずいぶん賑やかじゃな」


 そう声を上げたのは、先頭にいた恰幅のいいおっさんだった。

 劉備の師、盧植と同年代だろうか?

 背は低いががっちりとした体格で、かなりの威厳を持ち合わせている。


 そのおっさんのうしろに、さらにふたりの男性が付き従っていた。

 ひとりは鄒靖だ。

 彼は劉備の姿を確認し、軽く頷いた。


 もうひとりは初めて見る顔で、日に焼けた小麦色の肌が印象的な巨漢だった。

 ひと目見て、ただ者ではないとわかる。


「これは、朱将軍」


 袁紹が立ち上がり、拱(きょう)手(しゅ)しておっさんに頭を下げると、曹操、劉備もそれに倣い、俺含む他の者も続いた。

 どうやら先頭のおっさんは右(う)中(ちゅう)郎(ろう)将(しょう)の朱(しゅ)儁(しゅん)であるらしい。


「ああ、楽にせい」


 朱儁がそう言って片手をあげ、全員が拱手をといて頭を上げた。

 その後、幕舎内を見回していた朱儁の視線が、劉備を捉える。


「あれが、お前さんの言っておった?」

「ええ、劉玄徳です」


 劉備に視線を固定したまま放たれた問いに、鄒靖が答えた。

 そのタイミングで劉備はふたたび拱手して頭を下げ、俺、関羽、張飛が続く。


「お初にお目にかかります。義勇兵を率い、鄒校尉のお世話になっております、劉備と申します」


 劉備は中郎将という高位の軍人を相手に、あえて諱(いみな)を名乗ってへりくだった。


「うむ。話は聞いておる。これからも我ら官軍を手助けしてほしい」

「もったいないお言葉です」


 朱儁の言葉に、劉備はさらに深く頭を下げた。


「あれじゃな、子(し)幹(かん)のことは残念じゃったな」


 子幹とは、盧植の字(あざな)だ。


「先生のぶんまで、とはおこがましいですが、私なりにできる限り尽力したく思います」

「うむ。期待しておるぞ」


 想像以上に朱儁の覚えがめでたい。

 鄒靖のおかげかな。


「しかし、子幹の次は儂の番かもしれんのぅ。黄巾軍相手に、無様に敗走したわけじゃし」


 朱儁の呟きに、幕舎内がどよめく。


「あれは敗走ではなく撤退というべきでしょう。あの場で一度退いていなければ、軍は崩壊していたかもしれません」


 そんな中、朱儁のそばに控えていたもうひとりの男が冷静な口調でそう言った。


 開戦当初、波(は)才(さい)率いる黄巾軍に攻撃をしかけた朱儁だったが、あえなく敗走している。

 だが、黄巾軍と実際に戦ったいまならわかる。

 おそらく戦闘が虐殺に変わり、兵たちがおかしくなりかけていたのだろう。

 そこで朱儁は一度仕切り直すために兵を退げたが、黄巾軍からすれば押し返した、ということになり、官軍相手の勝利を喧伝された。

 その結果、朱儁は無様に敗走した、という認識をもたれるにいたったのだ。


「孟徳、その説は世話になったな」


 朱儁は曹操を見てそう言ったが、当の本人は厳しい表情のままだ。


「いえ、あれは皇将軍がほとんど独力でやったようなものですから」


 曹操が静かにそう言い、朱儁は苦笑を漏らした。


 予備兵力として長社県に控えていた左(さ)中(ちゅう)郎(ろう)将(しょう)の皇(こう)甫(ほ)嵩(すう)は、朱儁が大きく後退したことから取り残されるかたちとなった。

 そして波才率いる10万の黄巾軍に包囲され、そのまま籠城することになる。


 ただ、取り囲まれたとはいえ、相手は烏合の衆だ。

 百戦錬磨の皇甫嵩率いる官軍であれば容易に突破できると考えた朱儁は、あまり心配していなかった。

 ほどなく合流し、次善の策を話し合おうと考えていた朱儁だったが、皇甫嵩は黄巾軍が布陣する草原に火を放つ。

 折からの強風にあおられた火はあっというまに広がり、黄巾軍を包み込んだ。


「あれは、地獄のような光景じゃったなぁ」

「ええ」


 炎に焼かれる黄巾の民を思い出したのか、朱儁が苦々しく呟き、曹操は力なく答える。

 皇甫嵩が火を放ったところで援軍として到着した曹操は、その光景を目の当たりにしていたのだろう。

 彼は火に巻かれて逃げ惑う黄巾軍を討伐しながら皇甫嵩に合流し、さらにそこへとって返した朱儁が加わった。


 曹操と朱儁が黄巾軍を遠巻きに見ながら、苦し紛れに向かってくる者たちを迎撃するなか、皇甫嵩は自ら手勢を率い、信者たちの命を無慈悲に刈り取っていった。

 そこに、一切の容赦はなかったという。


「私はそこで、醜態をさらしてしまいましたがね」


 朱儁のそばに控えていた巨漢が、そう言って照れたように笑う。


「朱将軍、失礼ですがそちらの方は?」


 袁紹が、遠慮がちに問いかける。


「おう、本(ほん)初(しょ)は初対面じゃったな。こやつは儂が会(かい)稽(けい) におったころに知り合った男でな。孫(そん)文(ぶん)台(だい)という」


 孫文台……つまり、孫(そん)堅(けん)ってことか!

 朱儁が連れてるからもしやとは思ってたけど、ついに役者がそろったって感じだな。


「おお! 噂には聞いておりますぞ! 孫文台どのといえば、会稽で起きた妖(よう)賊(ぞく)の乱の際にずいぶん活躍されたとか」


 西暦172年、会(かい)稽(けい)郡(ぐん)句(こう)章(しょう)県(けん)にて許(きょ)昌(しょう)なる人物が叛乱を起こし、陽(よう)明(めい)皇(こう)帝(てい)を僭(せん)称(しょう)した。

 妖賊ってのは宗教叛乱の首謀者を指す言葉だ。

 そう言う意味では、張角も妖賊だな。


 孫堅てのは若いころから海賊退治やらなんやらでそこそこ有名だったし、一応あの孫子の子孫らしいこともあって家柄もそれなりだ。

 そんな彼は、許昌の乱の際に郡(ぐん)司(し)馬(ば)に任命され、手勢1000名を率いて討伐に参戦した。

 そこでの獅子奮迅の活躍を、当時会稽郡に勤めていた朱儁は見ていたのだろう。

 今回の討伐軍編成のおり、朱儁はわざわざ上奏して孫堅を呼び寄せたのだった。


「勝ち戦だからと、調子に乗りすぎましたなぁ」


 朱儁麾下にあった孫堅だが、彼は自分が率いてきた手勢を連れて賊徒の群れに攻め込んだ。

 なにも彼の趣味が虐殺というわけではない。

 許昌の乱で宗教叛乱の経験した孫堅は、指導者を討つことで信者をある程度無力化できることを知っていた。

 そこで火に追われ逃げ惑う平の信者は極力無視し、混乱の中にあって比較的整然と行動する集団や、そういった集団を率いる人物を見極めつつ、倒していった。

 そんな戦いの最中に、孫堅は落馬してしまう。


「馬だけが戻ってきたときは、肝を冷やしたぞ?」

「はっはっは! それは失敬」


 孫堅を乗せていた馬だけが、本陣に帰還した。

 討ち死にしたかと落胆した朱儁だったが、どうも馬の様子がおかしいことに気づく。

 どうやら戦場に戻ろうとしているようなので、部下をつけて追わせたところ、草むらに隠れる孫堅を発見した、ということだった。


「それはなんとも、危ないところでしたな」

「ええ、運がよかった」


 袁紹の心配げな言葉に、孫堅はあっけらかんと返した。


 ともかく、皇甫嵩の火計から始まる反撃は功を奏し、官軍は波才率いる黄巾軍に対して大勝利を収めるのだった。

 

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簡雍が見た三国志 ~劉備の腹心に生まれ変わった俺が見た等身大の英傑たち~ 平尾正和/ほーち @hilao

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