旅立ち

 田豫でんよとの会話も一段落つき、そのあたりで関羽が手配した義勇兵たちも集まってきた。

 そうこうしているうちに、劉備が戻ってくる。


「ほどなく日も暮れるだろうから、出立は明日にして、今夜は宴にしよう!」


 義勇兵たちからは歓声があがり、宴が始まった。

 まぁ、最初から予定されていたことではあるが。


「肉はお前ぇら全員がたらふく食っても余るくれぇ用意してあるぞ! 遠慮すんな!!」


 張飛の言葉に、改めて歓声があがる。


「他にも村の人たちがたくさん料理を作ってくださっている。しっかり食べて、英気を養うのだ」


 塩を始めとする調味料や、その他の食材を用意したのは、関羽だった。


「習の旦那からお酒もいただいてます。ただし、飲み過ぎないようにしてくださいよ!」


 田豫の言葉に、ひと際大きな歓声が上がった。

 なんやかんやで、みんな酒が好きだよな。


 そういうわけで、賑やかな宴会が始まった。

 今日初めて顔を合わせる連中もいるわけだから、飲食をともにして距離を縮めるというのは悪くない。

 あくせくと働く村の人たちだが、旦那からしっかり金をもらっているので、みんなイキイキとしていた。

 やがて夜が訪れ、真っ暗になったが、宴会が行われているあたりにはかがり火がたかれ、結構な明るさになっていた。


「おらおらぁ! もっと踏ん張らんかいっ!」


 宴会場の一角では、張飛の仕切る大岩の持ち上げ大会みたいなのが行われ、随分と盛り上がっていた。


「ふん、そんなものではかすり傷もつけられんぞ」


 また別の場所では、関羽が杯を片手に、数人の義勇兵を棒であしらっていた。

 武術指南でもしているんだろうか。

 ちょっとした行列ができている。


「ふむふむ、国譲はなかなかの見識をもっているね」

「えへへ、それほどでも……」


 会場の中心近くでは、劉備と田豫が楽しげに話していた。

 その周りには人が集まり、うんうんと熱心にふたりの話を聞いている者もあれば、だらしない笑顔を浮かべて見ているだけの者もあった。

 やがて宴は村の人たちを巻き込んで、どんどん盛り上がっていった。

 ほとんどの村人がこの場にいるんじゃないだろうか。


 そんな宴会場を、俺は少し離れたところから眺めていた。

 きょろきょろと視線を動かす俺の肩を、ポンと叩く者がいた。


「母さんなら、家にいるよ」


 劉備だった。


「私は今夜、ここで夜を明かして、朝には出立する」

「そうか。ようさんに声はかけていかないのか?」

「別れの挨拶はさっきすませたよ」

「別れって、お前……」


 だが、これから俺たちが向かうのは戦場だ。

 俺と違って未来を知らないこいつは、死ぬ覚悟をしているのかもしれない。

 それに俺だって、ちょっと油断すれば命を落とすかも知れないんだよな。


「顔を見て決心が鈍るといけないから、私はもう家には帰らないよ。じゃあ」


 それだけ言い終えると、劉備は宴会の輪の中に戻っていった。

 しばらくぼんやりと立ち尽くしたあと、俺は宴会場に背を向けて歩き始めた。


**********


 月明かりに照らされた桑の木が、青白く光っているように見えた。

 そのむこうで、縁側に座った彼女が、ぼんやりと星空を見上げていた。


「やぁ、ようさん」


 足音にも気づかなかったのか、近くに寄ってもぼんやりと上を見たままの彼女に、声をかける。


「ああ、憲和さん」


 顔を下ろした蓉さんは、俺と目があうと儚げに微笑んだ。


「みんなの所に、いなくていいの?」

「はは、若い連中のノリはしんどくてね」


 そう言いながら、俺は蓉さんの隣に座った。

 こちらにきてもうすぐ十年。

 彼女ともずいぶん親しくなった。


「君こそいいのか、あっちにいかなくて」

「ああいう賑やかなところは苦手だから……」


 彼女はそう言って俯くと、すぐにふるふると頭を振った。


「嘘……。あの子を見ると、私、泣いちゃうわ、きっと……」


 顔を上げ、こちらを見た蓉さんと目が合った。


「だめな母親ね、私って」


 力なく微笑む彼女の瞳が、月明かりを反射して潤んでいるように見えた。


「普通じゃないか?」

「え?」

「子供の旅立ちを寂しく思うなんて、母親として普通のことだと思うけど」


 きょとん、と驚いたように目を見開いた蓉さんだったが、すぐに頬が緩む。

 そして細めた目の端から、少しだけ涙がこぼれた。


「憲和さんって、そうやっていつも私のことを肯定してくれるよね」


 言いながら、彼女は俺にしなだれかかってきた。

 かかる重みを心地よく感じながら、俺は彼女の肩を抱いた。


「そう? 普通のことだと思うけど」

「ふふ、いつもそうやって、なんでもないことみたいに言うんだから」

「実際、大したこと言ってないし」

「それでも私は嬉しいのよ」


 まぁ、このあたりは女性の人権に対する考え方の違いだろう。

 俺にとって当たり前のことが、この時代じゃ非常識ってこともあるからな。

 なんにせよ、俺の薄っぺらい言葉が、彼女の心を少しでも軽くしているんなら、なによりだ。


「ぅ……」


 少し冷たい風が吹き、彼女は寒さから逃れるよう、ぎゅっと抱きついてきた。

 それからしばらく、無言のときが続いた。

 息遣いの音が、耳を突く。


「玄徳、今夜は帰ってこないって」

「そう……」


**********


 翌朝、村はずれにいくと、150名の義勇兵が整然と並んでいた。

 昨夜は遅くまで騒いでいたが、酒の量はそうでもなかったので、全員シャキッとした顔つきだ。

 俺を見つけた劉備は無言で頷いただけだった。

 俺も、無言のままうなずき返した。


「みんな、聞いてくれ」


 義勇兵たちのほうを向いた劉備が口を開くと、それほど大きな声で告げたわけでもないのに、その場にいた全員が口を閉じた。


「我々はいまより、漢朝に報い、民を助け、天下を安んじるための戦いに出る」


 一度言葉を切った劉備が、義勇兵たちを見回し、再び口を開いた。


「厳しい戦いになるだろう。命を落とす者もいるだろう。それでも私は、逃げるわけにはいかない!」


 劉備は腰に佩いた剣をスラリと抜き、天に掲げた。

 朝日を受けた刃が、キラリと光る。


「国のため! 民のため! 天下のため! 我とともに歩まんとする者は、声をあげよ!!」


 剣を掲げる劉備の言葉が響いたあと、静寂が訪れた。

 そして間もなく――。


『おおおおおおおおおお!!!!』


 関羽、張飛、田豫、そして義勇兵たちが、雄叫びを上げた。

 気がつけば俺も、声を上げていた。


 声が収まったところで、関羽が一歩進み出た。


「まずは官軍のすう校尉こういと合流する! 出立っ!!」

『おうっ!』


 関羽の号令とともに、義勇軍は歩き始めた。

 劉備を先頭に、意気揚々と。

 自分たちは義のために立ち上がった。

 その想いが、彼らを突き動かしているようだった。

 だれもが誇らしげに、胸を張っている。

 義勇兵のほとんどが、大人たちからうとまれた、荒くれ者だった。

 そんな自分たちが、世のため人のために戦う。

 周りを見返してやりたい、そんなことを考える者もいただろう。

 希望と熱意を掲げて進む若者たち。

 だが、彼らのゆく先に待っていたのは、ただの地獄だった。

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