黄巾軍との戦い 簡雍Side
官軍の投石が終わり、義勇軍が進軍を始めたとき、俺は田豫とともに、劉備に付き従っていた。
『私に続けぇー!』
そして黄巾軍が近づいてきたところで、劉備は声を上げて突出し、それに関羽と張飛が続いた。
『せぁーっ!』
『おおおおお!』
『おらぁーっ!』
劉備が先頭の敵を倒し、さらに関羽と張飛が複数の敵をなぎ払った。
『隊長に続けー!』
田豫の号令で、義勇軍は敵に向かって駆け出した。
そんな中、俺は興奮する馬をなだめながら、少し速度を落とし、うしろから来る歩兵に紛れた。
「できれば、人は殺したくないからな……」
護身用の棒を小脇に抱え、馬の手綱を取りながら、俺は言い訳のように呟いた。
こちらに来ておよそ十年。
俺はまだ人を殺したことがない。
劉備と一緒にいる以上、いつかそのときは来るのだろうが、できれば先延ばしにしたいと思っていた。
永遠に来なければいい、とも。
「だったらこんなところまで来るなって話なんだけどなぁ」
自嘲気味に呟いたその声は、周りの喧噪にかき消され、自分の耳にもほとんど届かない。
人を殺す覚悟もないやつが戦場に立つなんて、本当に馬鹿げた話だ。
でも、劉備の行いを見届けると決めた以上、俺はできる限り彼の近くで、彼の為すことを見る必要があるんじゃないかと、そう思ってここまでついてきたのだった。
「黄天立つべぇーしっ!」
「うあああ! 死ねっ……死ねぇーっ!」
酷い光景だった。
歩くのもやっとというような、痩せ細った黄巾の兵だが、致命傷を受けてなお起き上がる姿は、まるでゾンビでも見ているようだった。
最初のほうこそ勢いに任せて敵を蹂躙した義勇軍だったが、あまりの手応えのなさに勢いを殺された。
倒れては立ち上がり、仲間の屍を超えて向かってくる異様な姿に恐怖し、及び腰になって苦戦する義勇軍の姿がちらほら見られた。
大勢は決していたが、それでも連中は死に絶えるまで抵抗を止めない。
それが厄介だった。
「くそっ! 来るな! あっちいけっ!!」
俺は馬にまたがったまま棒を振るい、よろよろと近づいてくる敵兵を追い払おうとした。
しかし傷つくことを恐れないのか、敵は躊躇なくこちらに近づいてくる。
「くっ……!」
俺は手綱を取り、とにかく敵のいないところまで退こうとしたのだが――。
「ヒィンッ……!」
どこからか飛んできた石が馬の首に直撃した。
「おわぁっ!?」
驚いて身体を揺らした馬から、俺は無様に振り落とされてしまう。
「ってて……」
盛大に尻餅をつきながらも、棒を手放さなかったのは、俺にしては上出来だろう。
「ぁぁ……」
うめき声に顔を上げると、石を手にした血まみれの黄巾兵が迫っていた。
右腕はあらぬ方向に曲がり、片脚を引きずっていながら、そいつは石を持った手を振り上げ、俺に襲いかかってきた。
「うわあああ……!!」
俺は悲鳴を上げて立ち上がり、そのまま身体をひねってそいつに背を向けた。
敵から離れるべく踏み出すと同時に、苦し紛れに、後ろ手に棒を振る。
――コツン。
棒の先が、なにかに当たった。
「あああああああ!」
その小さな衝撃が手に伝わってくるのを感じながら、俺はその場から逃げるべく、喚き散らしながら走った。
「うわぁっ!」
なにかにつまずいて、盛大に転んだ。
転んだところにはなにか柔らかい物があって、ケガをせずには済んだ。
「っつぅ……って……うわぁっ!」
手をついて身体を起こし、目を開けると、死体があった。
「ひぃっ!」
慌てて立ち上がったが、足腰に力が入らず、よろめき、すぐに尻餅をついてしまう。
「うぅ……なんなんだよ……これ」
周りを見回した。
いくつもの死体が転がっていた。
いくら視線を動かしても、地面を埋め尽くすような死体の山が常に目に映った。
「はは……地獄じゃねぇか……」
そこは、ただの地獄だった。
「う……ぁ……」
背後から、うめき声が聞こえた。
恐る恐る身体をひねると、死体の山からなにかが起き上がった。
それは黄色い布を頭に巻いた、ガリガリに痩せ細った男で、充血した目だけが異様に輝いている。
「蒼天……すでに……」
さらにもうひとりが、起き上がる。
「うわああ! ああああ!」
くそ……腰が抜けて、立てな……。
「来るなぁ! こっち来るなよぉ……!」
ひとりは、手に剣を持っていた。
死んだ義勇兵から奪ったのだろうか。
「棒……棒はっ!?」
ここに来てようやく、俺は棒を持っていないことに思い至った。
さっき転んだとき、手放してしまったようだ。
「くそっ! くそっ……!」
這ってでも逃げ出したいが、転がる死体が邪魔で思うように動けない。
「うがああああ……!」
ひとりの黄巾兵が剣を振り上げ、もうひとりは今にも飛びかかってきそうだった。
だが次の瞬間、視界からふたりの姿が消えた。
「え……?」
少し離れたところで、ドサドサッとなにかが落ちる音がした。
「よう、先生。大丈夫かい?」
ふたりの敵兵が消えたあとには、馬上から俺を見下ろす張飛の姿があった。
「益徳……!」
助かった……。
「こいつがうろついてたからよ。なんかあったんじゃねぇかと心配で探し回ったんだぜぇ?」
そう言って、張飛は一頭の馬を引き連れていた。
手綱を放した様子はないので、こいつは片手で棒を振るってあのふたりを吹っ飛ばしたのか。
すごいな……。
「ちぃとばかし危なかったみてぇだな」
「ああ……ああ……! 助かったよ、マジで……!!」
張飛が来なければ、死んでいたかも知れない。
そう思うと、寒気と激しい動悸に襲われた。
「さぁて、ほとんどカタぁついたみてぇだな」
少し暗い口調でそう言いながら、張飛はあたりを見回した。
それにつられて俺も周りを見たところ、戦闘はほとんど終結しているようだった。
それからしばらく、張飛は俺の近くで周りを警戒してくれた。
頼もしい男に守られているんだ、ということが安心に繋がったのか、ほどなく俺の足腰は力を取り戻し、立ち上がることができた。
「よっこいせ……っと」
張飛が連れてきてくれた馬に乗り、ゆっくりと戦場を移動した。
馬は、転がる死体を器用によけながら歩いた。
途中、石を振り上げたままの姿勢で仰向けに倒れた死体が目に入った。
棒を伝って感じた小さな衝撃が、いつまでも手に残っているようだった。
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