先客

 鄧の屋敷に忍び込み、死体を発見した俺たち元に、男の悲鳴が聞こえてきた。


「玄徳、いまのは?」

「わからない。だが、ここにいてもしかたがないだろう」

「おれが、先にいく。兄貴たちはあとから来てくれ」


 先行する張飛に続いて、悲鳴の聞こえた部屋に入る。

 室内には男がひとり、肩から腰までを袈裟懸けにバッサリと切られ、ドバドバと血を流して倒れていた。

 そしてその傍らに、別の男が薙刀なぎなたのような武器、長柄刀ながえとうを手に立っていた。

 だらりと下げた手に持たれ、刀身を下に向けた長柄刀の切っ先から、ポタポタと血が落ちている。

 どうやら、この男が、倒れている男――おそらくは役人の鄧――を殺した犯人だろう。


「なんだ、もう追っ手が来たのか。都の役人はよく働くじゃないか」


 ふとこちらを見た男がそう言い終えるが早いか、ガキィン! と金属同士のぶつかり合う音が室内に響いた。

 なにが起こったのかまったくわからず、なんとなく音のほうへ目を向けると、いつの間にそうなったのか、男の長柄刀を張飛が棒で受け止めていた。


「ほう、オレの一撃をうけとめるとは。なかなか骨のある役人だ」

「てめぇ、さっきからなにを――」


 張飛の言葉を遮るように、男は長柄刀の柄を振り上げた。

 石突きが張飛の顎を打ちそうになったが、彼はそれを紙一重でかわし、仰け反ると同時に引いていた棒を、即座に繰り出す。

 男はその一撃を、長柄刀をすぐに戻して弾いた。

 そこからは、すさまじい攻防が繰り返された。

 長柄刀と棒、同じ長物同士での戦いは、どちらが優勢ともなく一進一退を繰り返している。

 振り回される武器から発生した鋭い風が頬をうち、長柄刀と棒ががぶつかり合う衝撃音が耳に響く。

 あの張飛とここまで打ち合えるこの男は、一体何者だろう?

 何十ごうと打ち合ったふたりが、一瞬引いて間合いを取る。

 ふたりとも呼吸は激しくなっていたが、息が切れているという感じではない。

 室内は少し肌寒かったが、ふたりは大量に汗をかき、安物の服が肌に貼り付いていた。

 肩で息をする張飛の厳つい体格がほとんど露わになっている。

 対する謎の男も、幾分かスマートな体型ではあるが、筋骨たくましく、身長は張飛よりも高そうだった。

 汗が蒸発して湯気ととなり、淡い灯火の揺らめきもあってか、まるで格闘マンガの闘気みたいだった。

 にらみ合うふたりの呼吸が徐々に静まり、あたりが静寂に包まれる。


「どうやら先を越されたようですね」


 静寂を破るように、劉備の声が割り込んだ。

 それと同時に、男の身体から、ほんの少しだが力が抜けたように見えた。

 張飛はあいかわらず殺気全開で男に向き合っているが、劉備の話を邪魔してまで襲いかかるようなことはなさそうだ。

 張飛は男と劉備のあいだを遮っていた自身の身体を、半歩斜め後ろに下げた。

 男と、劉備の視線が交錯する。


「そこに倒れているのは、役人の鄧ではないですか?」

「ああ、そうだ」


 男の返事に、劉備はふっと笑みを浮かべた。

 魔性のアルカイックスマイルを受けて、男の雰囲気がさらに和らぐ。

 張飛のほうも、少し警戒を緩めたようだ。


「私は劉玄徳と言います。ゆえあって幽州よりその鄧を殺しに来たのですが」

「……そうか」


 そこで男は構えをといた。

 同時に、張飛も棒を降ろす。

 しかし大丈夫か、本名を名乗っちゃって。


「名乗らせておいて、こちらがだんまりでは無礼だな」


 そう言うと、男は構えをといて仁王立ちになった。

 それを受けて張飛は、いつでも動き出せるよう腰は落としたままにしつつも、男に向けていた棒を引いた。

 おお、どうやらこの場はうまく収まりそうだな。

 しかし、張飛とこれだけやりあえるんだから、こいつもただ者じゃないはずだ。

 もしかすると、俺も知ってるような有名人かもしれないぞ。


「オレはかん長生ちょうせい。妹の仇として、この鄧を斬った」


 ……いや、だれだよ?

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