恩師との再会

 洛陽まであと1日かそこら、というところで、俺たちはしょくを引き連れた護送隊と合流できた。


「盧将軍と話せるように頼んでみよう。張角と実際に戦った将軍からは直接話を聞いておきたいからな」


 そう言って責任者と交渉したすうせいが、ほどなく渋い顔で戻ってくる。


「まったく……役人の腐敗ってのはどうしようもないが、こういうときは助かるから困ったもんだよな」


 どうやら鄒靖は、責任者に金を渡して交渉を成立させたようだ。


 護送隊は小休止することとなり、劉備が追加の賄賂を渡したおかげで盧植もひそかに檻から出され、幕舎で休めることになった。

 劉備、関羽、張飛、田豫、そして俺は、鄒靖の案内で盧植の待つ幕舎へ入る。


「おお、鄒校尉! このたびは助かったぞ」


 鄒靖の姿を確認した盧植は、立ち上がって挨拶をした。


「あの檻車は私には小さすぎてな……。満足に身体をのばすこともできなんだわ」


 そう言ってぐぐっと身体を伸ばす盧植は、とにかくデカかった。

 この時代にしては長身の劉備より、頭ひとつぶんくらい身長が高い。

 劉備は180センチあるかないか、くらいなので、盧植の身長はは2メートル近いんじゃないだろうか。

 歴戦の勇将らしく、体格もがっちりしている。

 関羽と張飛も、その巨体と威圧感に気圧されているようだった。


「盧将軍、まずはご無事でなによりです」


 鄒靖がそう言ってきょうしゅ――手のひらと拳を合わせる中華風の挨拶――して頭を下げ、俺たちもそれにならう。


「うむ。とこでそちらの者たちは?」


 盧植の問いかけに、劉備は頭を上げて一歩進み出る。


「先生、ご無沙汰しております」


 そう言って微笑む劉備に盧植は首を傾げた、ふと何かを思い出したように目を見開く。


「おお、誰かと思えば、劉備ではないか!」

「はい。いまは成人して、あざなを玄徳と名乗っております」

「そうかそうか、あのときの悪ガキがもうそんな歳になったか」


 盧植はそう言って嬉しそうに笑いながら、劉備の肩をガシガシと叩く。


「ははは……お元気そうでなによりです」


 悪ガキと呼ばれたせいか、それとも肩を叩く恩師の力が強いせいかはしらないが、劉備は困ったような笑みを浮かべていた。


「君はたしか、こうそんさんと親しかったな」

「ええ、歳が近いこともあって、仲良くしていただいていましたね」

「彼とはいまも?」

「いえ、先生のもとを離れて以来、あまり」

「そうか。私のところへはときおり手紙が来ておるな。いまはたしか……あざなはくけいと名乗っているのだったか」

「ああ、そういえば彼は長男でしたね」


 そう言って劉備は少し表情を曇らせた。


 劉備が公孫瓚の字を聞いて彼を長男だと思い出したのには、理由がある。

 あざなにはいくつかルールがあり、生まれた順番によって、長男は『はく』、次男は『ちゅう』、三男は『しゅく』そして末っ子には『』というが入る場合がある。

 なので、公孫瓚のあざなは伯珪であることから彼が長男だとわかるわけだ。


 余談だが、両親にとっての兄姉を伯父伯母、弟妹を叔父叔母と書くのはこれが由来だ。

 『伯仲叔季』の順番を覚えておくと、なにかと便利だぞ、とだけ言っておく。


 そして劉備が表情を曇らせたのは、公孫瓚は生母の身分が低いことから、長男なのにあまり厚遇されていなかったことを思い出したからだろう。

 もしかしたら当時、そのあたりの愚痴でも聞いたのかもしれないな。


「ところで劉備よ、君はいま官軍にいるのか?」

「いえ、千名ほどの義勇兵を率いて、鄒校尉のもとに身を寄せております」

「ほう、義勇兵か」


 盧植は感心したように声を上げ、鄒靖に目を向ける。


「この劉玄徳には、助けられておりますよ」


 盧植の視線を受けた鄒靖は、特に言葉を飾ることなく淡々と答えた。


「そうか」


 鄒靖の答えに何度かうなずいた盧植が、劉備に向き直る。


「すごいじゃないか」


 彼はそう言って、誇らしげな笑みを浮かべた。

 おそらく盧植は、劉備がただ人数を集めただけでなく、軍を指揮し、兵站までしっかりと面倒をみていると察したのだろう。


「先生……」


 恩師に褒められて感極まっているようだった劉備が、我に返ってちらりと視線を後ろに向ける。


「私には、心強い仲間がおりますから」


 その言葉で、盧植の視線が俺たちに向く。

 穏やかながらもすべてを見透かすような視線に、俺は慌てて拱手した。

 張飛と田豫も俺に続いて拱手したが、関羽だけは落ち着いた様子で軽く頭を下げるにとどまった。


 そんな俺たちの様子に、盧植は嬉しそうに何度かうなずくのだった。



「さて、旧交を温めるのはこのあたりにして、そろそろ本題に入りましょうか」


 鄒靖がそう言い、場の空気が締まる。


「盧将軍はえんせんを理由に更迭、捕縛されたとのことですが、事実でしょうか?」

「うむ、事実だ」


 鄒靖の質問に対して、盧植は否定することなく鷹揚にうなずいた。

 その答えに劉備が驚き、口を開く。


「先生は太平道の首領である張角を追い詰めた、包囲したと聞きました。それなのに、厭戦とはどういうことなのですか?」


 黄巾党こと太平道のトップ、たいけんりょう張角を擁する主力部隊を相手に連戦連勝を続けた盧植は、あと一歩で敵を殲滅できるところまで追い詰めていながら攻撃の手を止めていた。

 少なくとも、盧植のもと視察に訪れた宦官は、そう報告していた。


 俺が知っている三国志だと、これから攻撃を開始しようかというところで邪魔をされた、ということだったが、盧植は厭戦、つまりは戦いを嫌い避けようとしたことを認めてしまった。


「君らは太平道の者たちと戦ったか?」


 盧植は劉備の質問に答えず、逆にそう問いかける。


「ええ、何度も……」


 劉備は苦い顔で、恩師に答えた。


「いやにならんか?」

「それは……」


 どうやら盧植が戦った主力部隊も、弱かったらしい。

 あの連中と戦うのは、本当にしんどいからな。


「降伏してくれれば、楽だったのだがなぁ……」


 しみじみと呟く盧植に、鄒靖と劉備は顔を見合わせた。

 ふたりとも、というか、この場にいる全員が、盧植の気持ちが痛いほどよくわかるのだ。


 とはいえ、このまま話を終わらせるわけにもいかない。


「盧将軍、よろしければ詳しく聞かせていただけませんか?」


 鄒靖の問いかけに盧植は頷き、語り始めるのだった。

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