本物と偽物
一同は固く押し黙っている。
僕は倫明に目を向けた。
「まず、この内通者は倫明ではありえない。内通者だったら、ネイを掘り出して不確定要素をむやみに増やすとか、カオリの共犯者に切りかかるとか、襲撃の後で走って家に帰るとか、そんな馬鹿な真似をするはずがない。そもそも修也の資料探しにはノータッチだったから、誘導の役目すら果たしてない」
「……何か悪口言われてるみたいだな。で、おまえはどうなんだよ、朔。自分を容疑者から外す理屈がつけられるのか?」
「僕だったら、僕の呼び名の間違いをすぐに訂正させるよ。仄香が『朔』と呼んでるのを誰かが聞いたら怪しむからね」
「そんな間違い、誰も気づかねえよ」
「カオリはネイの呼び名も間違えてた。襲撃の前、仄香が『ネイさん』って呼びかけたら、ネイは呼び捨てにするように言ったんだ。わたしはあなたのお姉さんではないのですから、って」
倫明は首をひねっている。「そんな話、してたっけ?」
「二人の会話がたまたま耳に入ったんだ。僕だったらこの話もきちんと伝えるよ。でも襲撃のあと、カオリはネイにこう呼びかけた。『ネイちゃん』って。もちろんネイは、わたしはあなたのお姉ちゃんではありません、って指摘したんだけど」
ややきつい言い方で訂正されたカオリは、ついうっかり間違えたという感じでもなく、ただ「あ、ごめんね」と返してこう続けた。
――あなたはここに留まるの?
「カオリはネイのことを『あなた』って呼んだ。苦肉の策だったんだろう。何と呼べばネイの感情を害さないかを知らなかったから、ありふれた二人称で茶を濁すしかなかった。これで仄香は容疑から外れる。疑わしいのは襲撃前の彼女たちの会話を聞いていない二人。そして、倫明が共犯者じゃないことはわかってるから、残るのは一人――」
その人物を正面から見据えた。
「内通者は貴司だ」
驚愕するでもなく怒り出すでもなく、貴司は苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
「そんだけの理由で俺を告発するのか?」
「これだけじゃ納得してもらえないと思って、カオリに証言してもらうことにしたんだ。……カオリ、貴司は君の協力者?」
貴司に敵意のこもった視線を投げかけながら、カオリは頷いた。
「そう、近堂貴司は最初からわたしの協力者。わたしたちが倉庫で暮らし始めたころにいきなり現れて、いろいろ詰問してきたの。答えないと警察呼ぶぞって脅して」
「それっていつごろの話?」
「七月の頭だったかな。結局、わたしたちと貴司は取引することにした。貴司が〈沼の人〉三人の封印を手伝う代わりに、わたしは紗寧子の〈沼〉から貴司のオリジナルを引き出してきてあげるって」
倫明は顔色を変えて反論する。
「なんで貴司がそんな取引するんだよ。オリジナルが現れたら困るのは自分だろ。なあ?」
と、同意を求めるように貴司を見たが、あえなく黙殺された。
貴司は一歩前に踏み出して、低く尋ねる。
「おまえたちは俺を裏切った――いや、〈チョーカー〉を黙って俺につけたんだから、最初から裏切るつもりだったんだろ? そうだよな。せっかく逃げ出したのに紗寧子のもとへまた行くのは嫌だからな。俺は律儀に倫明を消してやったってのに」
倫明を消した、のところで当本人が「はあっ?」と驚愕の声を上げたが、二人は気にも留めない。今度はカオリが反駁を始める。
「それはそっちの都合でしょ? ネイが紗寧子に連絡できるって言い出したから、あんたはネイを疑ってる倫明を排除したかった。ネイの気分を損ねて協力を拒まれたくないし、わたしのほうの伝手はあてにならないって決めつけてたから」
「実際そうだろうが。俺の期待に応えられないことは明白だった」
「わたしが裏切ったことに気づいて、朔を助けたの?」
「玄関の開く音がしたとき、てっきりおまえがネイを刺して隠しに行ったのかと思ったんだ。朔を狙ってたとは想定外だったが」
思っていたより事態は複雑に入り組んでいたのだ。
倉庫での襲撃が失敗に終わった後、カオリ、共犯者、貴司から成る犯行グループは方針変更を余儀なくされた。捕らえた三人をいったん解放して倫明の警戒心を解き、闇夜に紛れて一人ずつ狙い撃ちにしていく――少なくともそれが犯行グループの計画だった。
しかし、カオリと共犯者の二人と貴司は、それぞれ異なる方針で動いていた。
カオリたちの目的は「〈沼の人〉の四人を封印すること」。
もとより脅迫者の貴司に従うつもりなどなかったのだろう。貴司の心臓に〈チョーカー〉を仕掛け、利用できるだけ利用してから消えてもらう予定だった。
一方、貴司の目的は「自分のオリジナルを手に入れること」。
紗寧子と繋がっているというネイの出現によって、貴司がカオリたちと取引する必要はなくなった。むしろ僕たちが消されると戦力低下に繋がるので、カオリたちの闇討ちは阻止しなければならない。カオリに刺される寸前だった僕を助けたのはそのためだ。
では、倫明を消滅させたのはなぜか。
カオリとの取引を放棄するというのは、ネイの身を守らなければならないということ。倫明はネイを必要以上に警戒していた。万が一、倫明が先手必勝とばかりにネイを封印し、どこかに隠してしまったら、唯一の手掛かりは失われてしまう。
だから、倫明を消して後顧の憂いをなくすことにした。なるべく時間稼ぎになるように瓶に詰め、家探しされても見つからないように川に投げ入れた――
と、ここまでは想像できた。それでも密室トリックに関しては想像の域を出ない。
「貴司、倫明を刺したのは君だったみたいだけど、やっぱり糸のトリックを使って密室を作ったの?」
「糸って、何の話だ」
「まず窓のクレセント錠に糸を引っかけて、ドアの下から――」
「そんな面倒なことしてないぞ。俺はただ、屋根裏部屋からこっそり忍び込んだだけだ」
聞き慣れない単語に首をひねると、貴司は解説してくれた。
「朔の家は大豪邸だから知らないだろうが、こういう民家の二階には天井裏に上がるための穴が押し入れにあるんだ。この家は屋根裏部屋をあとで増築してるから、出入口がふたつある。そこを通れば倫明の部屋とクローゼットを自由に行き来できる。おまえならきっと騙されてくれると思った」
貴司は倫明との付き合いが長いから、この家の構造をよく知っていたのだろう。
倫明の消失は、僕に向けて披露された「人体消失ショー」だったのだ。〈沼の人〉が日光を浴びて灰になるわけがないとネイは知っていたはずだが、〈沼の人〉の正体を隠しているネイは疑念を口に出せない。そこまで貴司は計算していた。
なあ貴司、とうつむいたまま倫明は問いかける。その声には感情がなく、巻き毛で目元が隠れているので表情もわからない。
「どうして俺を消したんだ。俺からネイを守るためか? カオリとの契約を果たすためか? それとも、単に俺が目障りだったのか?」
「……最後のやつだけは、違う」
はっ、と皮肉に笑う。「それを聞いて安心したよ」
僕は話を続けることにする。
「貴司は倫明を消失させたけど、次の日の朝、貴司も何者かに消された。倉庫の二階に潜んでいた誰かが〈チョーカー〉を起動させたんだ。あのとき、二階にはついさっきまで人間のいた痕跡があった。でも、人間ならあの高さから無事に脱出できないし、体重の軽い子供じゃないかぎりどうしても着地音が響く。一方で、二階にいたのは水を飲み、パンを食べる人間――たぶん襲撃の夜に目撃したあの男だとわかってる」
この矛盾を解決するには、新たなピースが必要となる。
「ここで浮かび上がってくるのは、男を手伝った〈沼の人〉の存在だ。人間があそこから無傷で逃げ出すには、窓から出て木の枝を伝って下に降りるしかない。男が窓から脱出したあと、〈沼の人〉は窓の鍵を締め、貴司の心臓を回収して倉庫側に抜ける穴から飛び降りた。〈沼の人〉なら着地時に怪我をしても素早く逃げ出せるし、その〈沼の人〉が子供なら、着地音は小さくて済む――そうやって密室を作り、僕たちを混乱させて逃げ出したんだ」
半ば呆れたように倫明が言う。
「まだ裏切り者がいるのかよ。やっぱりそれも、俺たちの中の一人なのか?」
「他の〈沼の人〉の存在を無視して考えるなら」
「じゃあ、消去法で決まるな――」
貴司は被害者。倫明は瓶詰めにされていた。僕とカオリとネイは一階にいた。
残るのは一人しかいない。
「――そうだろ、仄香」
仄香は動揺を窺わせることなく、静かな水面のように凪いだ表情で立っていた。
「もしわたしが男を手伝ったとして、それって裏切りになるのかな。わたしはみんなを助けるために仕方なく従ってただけなのに」
少なくとも、カオリはそう受け取らなかった。
――わたし、裏切られちゃったから。
倉庫二階で起こった出来事の真相を見抜き、カオリは男が自分を裏切って仄香側についたと考えた。
――だからあの子に嫌われたんだ、朔は。
仄香が僕を裏切ったことを「嫌われた」と表現したのだ。
「確かにそれだけじゃ裏切りとは呼べない。僕たちが見つけたとき、君の心臓はビニール袋の中で手も足も出せない状態だったんだから。命令に従わされた末に刺された、と考えれば悪いのは百パーセント、共犯者の男だ。……でも、欠席裁判はよくないから当本人にも話を聞こうか」
僕はカオリの横をすり抜けて部屋に入ると、二階に続く梯子をハンマーで数回叩いた。
「降りて」
天井の扉が空いて、薄汚れたジャージとスニーカーの男が現れる。慣れた動きで梯子を伝うと、一階に降り立った。
少し背中を曲げるようにして男は話しかけてくる。
「うまく行きそう?」
「大丈夫。今日で全部終わるはず」
僕は男を連れて全員の前に姿を現した。
男の顔を見たときの五人の表情を注意深く観察する。倫明と万由里は口をぽかんと開け、貴司と仄香は気まずそうに目を逸らした。
そんな中、ネイは興味深そうに二人の顔を見比べた。
「あなたは、オリジナルなのですね」
ネイの問いかけに男は――現在の満とそっくりな顔をした男は頷いた。
「うん。僕は、本物の浅永朔。だけど、本物っていうのもなんか変な感じだなあ」
満と同じ、十七歳という年齢にふさわしく成長した顔。まともな手入れをしていない髪は乱れ放題で、鼻の下と顎はうっすらと無精ひげが覆っている。身長は万由里より高くてたくましい体つきをしているが、精神年齢となると、小学五年生に毛が生えた程度の未熟さだ。
あの日、倉庫の一階で二人の死体を発見したあと、二階で僕と〈浅永朔〉は出会った。オリジナルとコピーの邂逅。それは生涯に一度あるかどうかの運命的な出来事だった。
ちなみに、悪逆ヒドゥンのボーカルの正体に気づいたのは、〈浅永朔〉の声を聞いた瞬間だった。双子なので当然だが、声変わりした〈浅永朔〉は現在の満とまったく同じ声なのだ。
宿敵現るとばかりに、倫明は拳を握りしめて声を震わせた。
「……カオリの共犯者の男ってのは、おまえなのか?」
「そうだよ。紗寧子のところから逃げて、ずっとカオリと頑張ってきたんだ。また一緒に学校に通おうって」
奪われた生活を自らの手に戻すことが二人の目的だった。自らのスワンプマンを排除して、「浅永朔」と「五十川仄香」の名前を取り戻す。
そのためには二人のことをよく知る者たちも消さなくてはならない。取引をした貴司は抜きにしても、〈沼の人〉である倫明はいきなり成長した朔のことを不審がるだろうし、カオリもずっと「仄香」のふりをして過ごすのは無理がある。いつか絶対にぼろを出す。だが、〈沼の人〉ではない人間にとっては、僕たちのような存在自体がわけのわからないものなので、これ以上わけのわからないことが起きてもことさら問題にするとは思えない。
「おまえが修也を殺したのか?」
詰め寄ってきた倫明に対し、きょとんとした顔で〈浅永朔〉は答えた。
「シュウヤって、誰?」
乱闘を起こされてはかなわないので、僕は二人のあいだに割って入る。
「ちょっと待て、彼は修也を殺した犯人じゃない」
「こいつがそう言ったからか? おまえはこいつの言葉を信じるのか?」
「違う。僕がそう思うからだ」
そうか、と矛を収めて倫明は息を吐いた。
「あの日、二階でそいつに会ってたんだな」
「隠すのは悪いと思ったけど、仕方なかったんだ」
教えたらきっと君は彼を殺してしまうから、とは言わない。
「彼にはしばらくあそこで生活してもらった。死体の処理も頼んだ。腐り始めたらまともに生活できなくなるからね」
処理のときに身体に着いた血が梯子にこすりつけられて、あの血痕が付着したらしい。同じ浅永朔として恥ずかしいミスである。
「俺、てっきりおまえがオリジナルを殺したのかと思ってた」
「僕はそんなことしない。必要だから」
「それは貴司と同じようにって意味か? おまえもオリジナルが欲しかったのか?」
「まあ、そうとも言えるね」
僕はひやひやしながら曖昧に頷いた。
すると倫明は、鋭く貴司を睨んだ。貴司はたじろぐように目を泳がせる。
「なあ、貴司。おまえパイロット目指してたんだろ。だから人間に戻ってまともな身長を手に入れたかったけど、もとの身体には戻れないと知った。だったら、何のためにオリジナルを求めたんだ? それは俺たちを犠牲にしてまでやりたかったことなのか?」
「俺は……」
貴司は挑発するように倫明を見据え、口元に軽い笑みを浮かべた。
「倫明、おまえは何のために生きてるんだ?」
「何のためって……」
「生き物は人間も含めてみんな必死に生きてるんだ。それに引きかえ俺たちはどうだ。食事も酸素も必要とせず、何もしなくても生きていける。ぬるま湯に浸かったように果てのない一生をだらだらと過ごせる。退屈な人生、無意味な時間だ。そんな俺たちは生きる意味をどこに見出せばいいと思う?」
「生きることに意味なんて必要なのか?」
「目的がなけりゃ、死んでるのと同じだろう」
貴司は親指を立てて自分の胸に向けた。
「俺の目的は『近堂貴司』に尽くすことだ。あいつの名誉と幸福のためなら何でもやる」
「貴司は、おまえだろ」
「〈沼の人〉は偽物だって言い出したのは倫明だろうが。……そこの二人に会って、〈沼の人〉の正体を知って、俺は何をすべきかまったくわからなくなった。これまでの生活とこれからの人生が全部嘘っぱちで、そんな無意味な時間が無限に続くなんて耐えられない。意味があるものはたったひとつ――『近堂貴司』の名前だけだ。俺はあいつの人生を全身全霊で完璧に彩ってみせる。俺の存在に意味があったことを証明してみせる」
貴司の情熱に再び火がついたようだ。
「オリジナルは頭が小学生のままだが、猛勉強させれば六年の遅れでも取り戻せる。俺が俺自身に教育を施すんだ。何よりも自分のことをわかってるんだから効果的だろ? 高卒認定を取ったら航空大学校を目指す。晴れて合格すれば操縦士への道は開ける。『近堂貴司』はパイロットになれるんだ」
貴司の語る言葉の熱さに、出かかった言葉をぐっと飲み込んだ。
沈黙を守っていた万由里が口を開いた。
「ねえ、そろそろ話進めない? 余計な話ばっかりしてる気がするんだけど」
せっかちだなと呆れつつ、僕は弁解した。
「一応、必要な話だったんだ。動機にも関わってくるところだから。でもまあ、そろそろ核心に迫ろうか」
場の緊張が高まるのを感じる。全員の真剣な視線を一身に浴びて、僕の気分も張りつめてきた。もう引き返せない。修也の仇を討つまで進み続けるしかない――
たとえその行為が、僕たちの調和を完全に打ち砕くとしても。
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