封印された少女

 少女は夕暮れのほのかな光でも強すぎるらしく目を細めている。くっきりとした鼻梁は西洋的でフランス人形のような趣があった。肌は僕たちとそっくりで青白い。見かけの年齢も同じくらいだろう。そして西洋的な印象を何より決定づけたのは、胸まで垂れ下がった美しいダークブロンドの髪。太陽に透けて黄金に輝いていた。

 少女は一糸まとわぬ姿で直立すると、瞼を上げた。コバルトブルーの瞳は焦点が合っておらず、ここではないどこかを見つめている。舌の動きを確かめるように、甘い声で一語ずつ発音した。

「あなた、たちは、誰ですか?」

 日本語だった。話し方はたどたどしいが、言葉の響きはネイティブらしい感じだ。

 仄香は代表するように手を挙げて、少女に応える。

「わたしたちは御八塚高校の生徒です。あなたは……」

「おまえは吸血鬼なんだろ?」と倫明が割りこんでまくし立てる。「邪悪な魔方陣に棲みついた同胞を打ち滅ぼすために要石を破壊して、聖なる魔方陣に反転させたけど返り討ちに遭って裏切り者のシンボルのもと永遠に封印されるはずだったんだろ?」

 さっぱり意味がつかめないのか、少女は目を白黒とさせていた。

「ごめんなさい。何を、言っているのか、よく、わかりません」

 貴司は、意味不明のマシンガントークを続ける倫明の口を手で塞ぐ。その手にがぶりと噛みつく倫明。指が裂けてぼたぼたと血が滴る。

「でも、吸血鬼というのは、本当です。……それは、血ですか?」

 少女は貴司の手から滴っている血を指さした。

「ああ」

「目がよく、見えないのですが、血が消えていくのが、見えます。わたしと、同じです」

「おまえは目が見えないのか?」

「もともと、見えていました。閉じ込められているうちに、よく見えなくなりました」

 僕たちは使っていない五感が衰えるようにできている。光の遮断された金庫の中にいるうちに、目が退化してしまったらしい。

 貴司に続いて、僕が少女に質問を投げかけた。

「僕たちはみんなあなたと同じ体質ですよ。あなたは何者なんですか」

「わたしは、ネイ」

 そこで少女は自分が裸だということにようやく思い至ったのか、金庫の底に落ちていた服らしき布を拾った。かろうじて原形をとどめているだけの、腐敗してぼろぼろのワンピースとゴムのサンダルは、金庫の底に溜まっていた砂利にまみれている。砂利を丁寧に落としてから服を着て、ネイは地表に上がった。

「このストーンサークルにはどんな意味があるの?」

 ネイは仄香の質問を無視すると、おぼつかない足取りでサークル中央に行き、穴の中を覗きこむ。驚愕したような気配のあと、小さく何かを呟いた。

 ――いない。

 僕にはそう言ったように聞こえた。倫明の当て推量によれば、穴内部には四人を襲った吸血鬼がいたはずだ。困ったことに、ますます説の信憑性が高まってきた。

 仄香はネイのもとへ歩み寄る。

「あの、わたしたちはここに棲んでいた吸血鬼に襲われて、こんな身体になったんですけど、あなたがその吸血鬼というわけじゃないんですか?」

「いいえ。……サナコはどこですか」

「サナコ?」

「サナコは、わたしの主人。わたしを閉じ込めたのも、彼女です」

「どうして閉じ込められたんですか?」

「わたしが、失敗したから」

 ネイという〈吸血鬼もどき〉は主人であるサナコに仕えていたが、何らかのミスを犯し、罰として金庫に封じ込められてしまった――ということか。おそるおそる訊いた。

「どのくらいの時間、その中にいたの?」

「わかりません。意識を取り戻したのは、地震のせいで、心臓と杭が離れてからです。それからはずっと、数を数えていました。何日過ぎたか、計算するために。一年でやめてしまいましたが」

 その途方もない過酷さに僕の想像力はパンクする。膝を抱えて縮こまっても、両腕を切り落とさないと蓋が閉まらないような狭いスペース。じっとりと湿って音もない暗闇に何年も幽閉される苦しみ。死に見放されているので苦痛は永遠に続く。

 地震というのは、三年前にこの地方を襲った大地震のことを言っているのだろう。御八塚周辺は震度五、六の大きな揺れに見舞われた。だから少なくとも三年はここに埋まっていたわけだ。こうして正気を保っているのが不思議に思える。


「えーと、質問タイムもいいが、そろそろ倉庫の方も調べておきたい。日が暮れたら危険だからな」

 貴司はついてくるように言うと、先頭を切って歩き出した。僕と倫明もその後に続く。

 ふと振り返ると、仄香とネイが立ち止まって話をしていた。

「あなたはこれからどうするんですか?」

「わたしは、サナコを探さなければなりません」

「じゃあ、一緒に行きましょう。ネイさん」

「ネイさんはやめてください。わたしはあなたのお姉さんではないのですから」

 舌の退化が解消されつつあるのか、ネイの発音は徐々に滑らかになっている。

「わかった。じゃあ、ネイでいい?」

「ええ」

 合意がなされたらしく、ネイは仄香に腕を借りてゆっくりと歩き始めた。


 思いもよらない事態で五人に増えた〈吸血鬼もどき〉一行は倉庫へと向かった。時刻はとうに六時を過ぎて暗く、視界が悪くなっていた。鬱蒼とした森に囲まれたこの土地の周辺にはほとんど人工の明かりがない。各々が持参したライトで足元を照らしつつ、広場を横切る。

 倉庫の側面にあるドアには鍵がかかっていなかった。

「吸血鬼ってセキュリティに甘いのかな」

「まさか攻め込まれるとは思ってねえんだよ」

 倫明は景気よくドアを開け放つと、どかどかと遠慮なく暗闇に踏み込んだ。

「おい! いるんならとっととケツ出せクソ野郎!」

 倫明を特攻隊長にして、その後ろは僕、ネイをエスコートする仄香と続いて、しんがりを貴司が務めることになった。

 建物はやはり倉庫だったらしい。ダンボールとドラム缶がいたるところに積み上がっていて、古いオイルのような匂いがした。

 小さなペンライトの光は広大な空間に吸い込まれてしまう。倫明が進路上の障害物を蹴っ飛ばして破壊する音がこだまし、そのたびにガラスの破片が散らばって、どろりとした謎の液体が床に広がる。

「あのさ、もう少し静かに進もうよ」

 やんわりたしなめても倫明は聞く耳を持たない。

「ここは敵地だろ。甘い考えは捨てろ」

「むやみに騒いだらあいつが逃げるよ」

「このダンボールとドラム缶の配置を見ろ。細い通路をくねくね進むように誘導してる。罠が仕掛けられてたら格好の餌食だろ」

 改めて観察すると確かにその通りだった。意外に観察眼が鋭い。とはいえ、何でもかんでも蹴り倒すものだから進路はひどい悪路になっていた。

 どうにか奥の壁までたどり着くと、隣の部屋に続くドアがあった。ドア上部には小さな磨りガラスが嵌まっていて、反射したオレンジの光が揺れている。

 ランプの火――中に誰かがいる。

 無言のまま事情を察知した僕たちはドアのまわりに集まった。五人そろっているのを確認すると、互いに頷きあう。いよいよ決戦だ。

 倫明がドアノブに手をかけて回したが、がちん、と鋭い音がしてノブが止まる。施錠されているのだ。続いて、がんがんがんがん、と爪先でドアに蹴りを入れる。いつものことだが、倫明の乱暴なノックは悪徳金融業者の取り立てを思わせる。反響音が広い空間にこだまして騒々しい。

 すると、ドアの向こう側の人物が部屋を動く気配がした。

「サナコ」とネイは不意に呼びかけた。「わたしはネイです。ここを開けてください」

 磨りガラス越しの人影はドアの前で動かない。不気味な沈黙が下りる。

 次の瞬間、かちゃん、と錠が回される音が響いた。

 後方で。


 僕たちはいっせいに振り返る。何者かがドアに鍵をかけてこちらに歩み寄ってくる。

 言うまでもなく僕たちは大混乱に陥った。敵が複数いるなんてことはまったくの想定外だった。相手が一人なら囲んで締め上げられると高をくくっていたが、〈黒の女〉には仲間がいるらしい。

「どうするの?」

「相手取るのはまずい。シャッターから逃げよう」

「どうせ機械式だ。電気がなけりゃ開かないぞ」

 となると、無数のガラクタで埋め尽くされた部屋を突っ切ってドアから逃げるしかない。僕たちが来た道を引き返そうとしたそのとき――

 金属の鎖が暴れる音。

 左肩に重いハンマーが振り落とされる感触とともに、腕の感覚が消える。状況がつかめないまま冷たい床に顔面を打った。ぬるりとした感触。立ち上がろうとしたが右足に硬いものが刺さっていて動かせない。右手を動かしてあちこち探ると、ひやりとした金属の棒に触れた。何本もあって地面に垂直に突き立っている。棒の内部は中空で、斜めに切断することで先端を尖らせているらしい。獣用の罠を連想した。いくつも連なった刃で獣の足を挟むトラップ。

 近くでドアの蝶番が軋む音がした。隣の部屋から人が出てくる。

 顔を横に向ける。吹っ飛んで転がったライトの光の先に浮かび上がっていたのは、うつぶせになった白いシャツの背中だった。鉄棒が深々と突き刺さっている。

「貴司……」

 僕の呼びかけに応じてその背中が動いたが、軽く痙攣するだけで声は聞こえない。肺か気管が潰されているらしい。

 ライトが蹴飛ばされて、貴司の姿は掻き消えた。闇に一瞬浮かんだ足は薄汚れたスニーカーを履いていた。筋肉の張ったふくらはぎと脛毛の生え方からして男のようだ。

 左腕の再生が完了した。床に転がったまま背中を丸めて右足を探る。罠の先端が足首に食い込んで貫通している。引っ張っても抜けない。

 そのとき、激しく金属のぶつかり合う音がして罠全体が震える。

「おらあああああ!」

 暗闇の中で倫明が叫ぶ。むちゃくちゃに暴れて男と争っている。短く恫喝するような男の声もした。

 これ幸いと、僕はポケットから小型ナイフを取り出して自分の足首を削ぐ。肉を斬るのは上手くないけれど、倫明が時間を稼いでくれるあいだに抜け出せるかもしれない。

 男が押し殺した悲鳴を上げる。倒れた缶が地面を転がる音。粘っこい液体が床へと注がれる音。

 ひび割れた声で倫明が叫んだ。

「貴司! 朔! 仄香! ……誰か返事し」

 ぐしゃり――卵が潰されるような湿った音とともに言葉は途切れた。

「倫明、どうした」

 思わず放った言葉は暗闇に溶けていく。

 血塗れになった足首からようやく鉄パイプが分離する。身体を起こすと中腰になって、手探りでおそるおそる歩みを進める。

 出口へ行かないと。

 他の全員を助けることなど意識に上がってこなかった。とにかくこの場を離れないと状況は変わらない。そう信じて、床に散乱したものに足を取られながら、微かなドアの光を目指す。

 大丈夫だ。どうやら敵は苦戦しているみたいだから。

 そのときの僕は、敵がもう一人いることをすっかり失念していた。

 目の前に誰かが立っている。真っ暗でも何とか把握できたのは、僕と同じくらいの身長であり、棒のような武器を持っていることだ。進行方向に立ち塞がったそいつは、棒の先端を僕の喉元に突きつけた。

 武器を持っていようが関係ない。体格差が同じなら勝機はある。躊躇することなく相手に突進した。

 が、相手はそれを予期するように身をかわし、僕は何かにつまづいて派手に転倒する。腰の皮膚を尖ったものが食い破るのを感じた。刃物で刺されているのだと気づき、死に物狂いで床を這った。何とか立ち上がると、出口のほうへ全力で駆け出した。背中から異物が引き抜かれたとき、びりびりと服が破ける抵抗があった。

 怖い。

 久しぶりに心の底からの恐怖を味わっていた。剥き出しの殺意をぶつける行為はグロテスクだ。耳や鼻を鉈で削ぎ落とされ、手足を断ち切られること自体は恐ろしくも何ともない。確固とした殺意に基づいてそれを執行する人間がおぞましい。

 ようやく出口にたどり着いて、ドアノブに手をかけたとき――

 後頭部が爆発した。

 意識が薄れ、自分の身体が傾いていくのがスローモーションで実感できた。遠くで散り散りになったライトの光が寂しい星空のようだ。星空を背景に、こちらへ大股にやってくる男の姿が浮かび上がった。背の高い大人だ。

 僕たち不死身の〈吸血鬼もどき〉が束になっても敵わない相手がいるとすれば、それは人並みの体力を持った大人だ。慢心のあまり忘れていたのかもしれない。永遠の子供でいるかぎり、大人には永遠に追いつけないし勝てないということを。

 そいつは僕の頭を潰して抵抗力を奪ったあと、胸に何か細いものを突き刺した。

 頭頂部から、手足の先端から少しずつ感覚が消えていき、最後には意識が途切れた。


 風の冷たい秋の日だった。

 小学校からの帰り道、僕は県道から少し入った公園沿いの細い道にしゃがみこんで、ものすごく長いナメクジみたいな生き物を一心に観察していた。

 目や触覚は見当たらず、背中には縦縞があった。弓型の頭をのんびりと左右に振りながら路上をうねうねと這っている。

 新たな軌跡を求める頭と、それにずるずると追従する長い身体。僕はその奇妙でなまめかしい動きから目が離せなくなっていた。科学の本に載っていたプラナリアに似ている。この尻尾を切り落としたら二匹に分裂するかもしれない。そう思って道端の石ころを手にした。

 すると、女性の声が降ってきた。

 ――何を見ているの?

 僕は目の前の仕事に忙しくて、後ろを振り返ることもせずに質問を返した。

 ――これ、切ったら二匹になる?

 彼女は慎ましい笑い声を洩らす。

 ――なるかもしれない。でも、二匹とも生きていられるとは限らない。

 ――何で?

 ――口がないと、物が食べられないでしょう。

 口と目を塞がれ、身体の自由を奪われるほんの数秒前のことだった。

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