不死者たちの帰還
梯子を下りていくと倫明の非難が飛んできた。
「なんで扉閉めたんだよ。驚かせやがって」
「ああ、ごめん。ちょっと袋の端が引っかかってて取れなかったんだ」
ビニール袋を逆さにしてテーブルに中身を出す。鉛筆に貫かれた心臓がふたつ転がり出た――貴司と仄香。
「全員無事ってことだな」
「完全勝利とも言えるね」
「ああ、これで修也の仇は討てたわけだ。俺たちはもともと紗寧子に復讐するために来たんだし、それは誰かが勝手にやってくれた。共犯者を捕まえたいのは山々だけど、行く当てがないんじゃ先は知れてる。あいつは俺たちの影に怯えながら一生びくびく過ごすんだ。どっかで思い切り苦しい死に方してりゃいいのにな」
「……そうだね」
倉庫を出た僕たちは、万由里のバイクに乗って倫明の家へと向かった。その途中で倫明が言う。
「一応通報しとくか? 死体を放っておくのはよくねえし」
「え、何? なんか嫌な言葉が聞こえたけど」
万由里が訊いてくるのを黙殺して、暗い倉庫の片隅で腐りつつある死体のことを思った。フェンスで隔絶された森の中の建物を訪れる者はいない。口をつぐんでいれば死体は発見されないままだろう――何年経っても何十年経っても。もちろん広場に埋めたほうがいいに決まっているけれど。
「もう少しあとにしよう。紗寧子の死が発覚すれば、あの土地の権利が他の誰かに移る。あのストーンサークルは〈沼〉を封じられる唯一の手段だ。新しい地主に再開発されてしまったら〈要石〉を使えなくなる」
「〈沼〉を封じるって、そんなことできるのかよ。完全に見失っただろ」
「手は打ってあるんだ。気休め程度だけど」
僕たちを倫明の家まで送り届けると、万由里は何も言わずに走り去った。
三つの心臓を復活させる準備として、倫明はせいせいしたというように仄香の服を脱ぐと、倉庫から持ってきた貴司の服の隣に畳んで置いた。
ネイの服はガソリン爆弾で焦げてしまったので、新しいものが必要だ。
「倫明、ネイに服を貸してあげて」
「またかよ」
今日だけで何枚服を駄目にしたんだとぼやくと、倫明はテーブルに転がされている塊をちらりと見た。
「……あいつも復活させるつもりか?」
「そうだけど、どうして」
「あいつはずっと俺たちを騙してた」
一度嘘をついたやつは必ずまた嘘をつく――何かの呪いのように倫明は言った。
「おまえたちは骨抜きにされたみたいだけど、俺はずっと気づいてた。あいつは子供をさらう悪魔と同類だ。当たり前だろ? 紗寧子のコピーなんだからな。策を弄してオリジナルを殺そうとしたところからして狡猾で冷酷なやつだよ」
嘘をつく敵と、嘘をつかない仲間。
そうやってまわりの人間を選択し切り捨てることで倫明は生きてきたのだろう。この複雑で理不尽な人間世界で、こういったシンプルな物差しは大きな力を発揮する。僕も、貴司も、仄香も、倫明には嘘をつかず率直に接した。だからこそ僕たちは「仲間」として受け入れられていた。
一方、嘘をついたネイは物差しの規定する「敵」に他ならない。このレッテルを剥がすのはなかなか難しいだろう。ここは協力者を増やすことにする。
「僕たちだけで決められる話じゃない。みんなに意見を聞こう」
まずは貴司と仄香を復活させることに決まった。二人の心臓が区別できなかったので、脱衣所に二人分の服を置いて、鉛筆を抜いた心臓をひとつずつ放り込む。
最初に脱衣所から現れたのは貴司だった。寝起きのような焦点の合わない目で二人を順番に見る。
「……何がどうなったんだ?」
「君の心臓に爆弾がついてたんだ。あとで説明するからちょっと待ってて」
もうひとつの心臓を脱衣所に入れると仄香が現れた。
「なんかこの服、生温かいんだけど、洗濯してくれたの?」
「……まあな」
倫明が気まずそうに目を逸らして答えると、仄香は微かな笑みを浮かべた。
「ありがとう」
これこそが本物の仄香だ、と改めてカオリとの違いを感じる。
仄香は華やかに笑うことも激情に駆られて泣くこともない。無表情の仮面をちょっと歪ませて控えめな感情を覗かせるのが、僕の知っている仄香のいつものやり方だった。カオリだって同じ〈沼の人〉なのに、なぜ二人に性格の違いが生じたのだろう。
リビングに移動してから二人に事情を説明したが、まだ思考が追いついていないようで質問攻めにされた。
「わたしが入れ替わってたって……どうしてみんな気づかなかったの?」
「君と寸分たがわぬ姿だったんだから、簡単には見抜けないよ」
「俺の心臓の〈チョーカー〉はもう外れてるのか?」
「実物を見てないからわからないけど、それらしいものは嵌まってなかった」
そこでフローリングに胡坐をかいていた倫明が声を上げた。
「質問タイムはあとだ。話し合わなきゃいけないことがある」
と、両手に包んでいた小さな容器を掲げてみせる。
「この中にネイが入ってる。復活させるかさせないか、多数決で決める」
「封印したままにしておくって選択肢はないでしょ。あの紗寧子がやったみたいに、この子をまた地面に埋め直すの?」
「ネイが俺たちに嘘をついてたのは事実だろ。〈沼の人〉がもとの身体に戻る方法があると嘘をついて、紗寧子に復讐するために俺たちを利用した」
ネイが正直者だったなら、もとの身体に戻れるかどうかを訊いた時点ですべては終わっていたはずだった。倫明が消えたとき、〈沼の人〉の性質に疑いを抱いて疑心暗鬼に陥ることはなかったし、危険を顧みずに紗寧子を呼び出す必要もなかった。
だが、ネイは「わたしにはわからない」と沈黙を守るのみだった。
「つまり、俺たちがネイを許せるかどうかという問題か」
絨毯に胡坐をかいた貴司は、迷うそぶりを見せずに断言した。
「俺は許せる。あいつが俺たちを利用しようがしまいが、結果として誘拐犯が一人この世から消えたわけだ。社会にとっては大きなプラスだ」
「わたしも」と仄香。「ネイに落ち度はないし、自分を殺した人間に復讐したいっていうのは自然な感情だよ」
「自然な感情だから、許せってのか?」
案の定、倫明は仄香の台詞に噛みついた。
「そんな理由で他人を振り回すやつが、これから改心して善人になってくれると思うのかよ。あいつはきっと、また俺たちに面倒を運んでくる」
「埋め直せってこと? もしネイが復活したら、今度は倫明くんが埋められる番だよ」
「嫌なこと言うな。俺が言ってるのはあれだよ――〈チョーカー〉。あいつが暴走しても安全装置があれば食い止められるだろ?」
僕は倫明の発言をやんわりとたしなめる。
「〈チョーカー〉はカオリの共犯者が持ってるはずだ。無線機と一緒に。もう手に入らないよ」
「心臓は倉庫の二階に隠されてた。だったら〈チョーカー〉も同じところにあるんじゃないか? 今になっちゃ共犯者にとっても無用の長物だろ。もう一度倉庫を捜せば……」
倉庫に入られては困る。
「駄目だ」
「なんで駄目なんだ?」
強い反応を訝しむように、倫明の目がすっと細まった。
思わず声を荒げてしまったことに内心うろたえつつ、平静を装った。
「〈チョーカー〉なんて使うべきじゃない。ネイにそれを仕掛ければ、彼女の命を僕たちが掌握することになる。子供の臓器を売りさばいていた紗寧子と同じ、最低の行為だよ」
その通りだ、と貴司は同意してくれる。
「ネイにだって人間らしく――〈沼の人〉らしく生きる権利がある。それを踏みにじるのには反対だ」
説得を続けると最終的に倫明は折れて、ネイの無罪放免にしぶしぶながら同意した。
脱衣所の戸を開けたネイは目をぱちぱちさせると、開口一番こう言った。
「紗寧子はどこですか?」
「死んだよ。火傷で倒れていたところを誰かが刺し殺したんだ」
「雀部は?」
「彼も死んでた」
ネイは少しのあいだ押し黙って僕を見つめた。コバルトブルーの瞳に射られるのはやはり居心地が悪い。日本人なので青い眼を見慣れていないし、くっきりとした瞳孔は肉食獣のような鋭い印象を与える。
ネイはいきなり腰を折ると、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。あなたたちの協力なしには決して目的を達成できませんでした」
「その目的ってやっぱり、紗寧子を殺すことだったの?」
「いいえ。それは手段であって目的ではありません。わたしは罪滅ぼしがしたかったのです」
あんな凄まじい殺気を放っておいてよく言うよ、と思うけれど黙っておく。
ネイは仄香に目を向けた。
「わたしはあなたの分身をそそのかして、本物のあなたを殺させてしまった。本当のあなたはもとの生活に戻れるはずだったのに、代わりにあなたが家に帰されることになった。わたしはあなたたちに謝らなくてはなりません。あなたが生まれたのはわたしの勝手な振る舞いのせいですから」
「……ちょ、ちょっと待ってくれ。あなたとかわたしとか意味わからん」
貴司が頭を抱えるのはもっともだ。台詞に代名詞が多すぎる。
ネイが語っているのは、紗寧子とネイが言い争っていた一件だろう。〈沼〉から誕生したカオリにネイはナイフを渡し、オリジナルの仄香を殺せと囁いた。カオリはオリジナルを刺して、重傷を負ったオリジナルから僕の知る「仄香」が生まれた。その後、仄香はもとの家庭に戻され、カオリは紗寧子の助手となった。
残された疑問を解消しようと、僕はネイに訊く。
「カオリにナイフを渡したのはどうして?」
「わたしはあのとき、紗寧子に厄介払いされる寸前でした。自分と同じ顔をして、いつまでも年を取らないわたしを紗寧子は疎んじ始めていたからです。昔の自分に見られているみたいで嫌だと言ったこともあります。悪の道に足を踏み入れようとする紗寧子にとって、わたしは罪悪感という足枷だったのかもしれません。生き埋めにされるのも時間の問題でした。そんなとき、仄香さんが現れたのです」
連続誘拐事件の最後のターゲットは仄香だった。
被害者の中で唯一の、女児。
「男嫌いの紗寧子が女の子をターゲットに選んだとき、とうとうわたしは捨てられるのだと気づきました。〈沼〉の仕事は彼女にやらせて、お荷物になったわたしは生き埋めにする――わたしのルーツは紗寧子ですから、彼女の思考なら簡単に読めます。そこでわたしは、カオリにオリジナルの殺害をほのめかしました。もしオリジナルが死んだら、紗寧子はカオリを家に帰さなくてはならず、わたしの解雇は延期になると考えたのです。その目論見は失敗に終わりましたが」
オリジナルは死んだものの、予期せぬ「仄香」の誕生によりネイを生かしておく理由が消えた。結局、ネイは六年に及ぶ幽閉を余儀なくされる。
「あなたのオリジナルが死んだのはわたしに非があります。本当に……ごめんなさい」
ネイの謝罪に対し、仄香はきっぱりと言い放つ。
「わたしに謝る必要なんてない。だって、ネイがそうしなかったらわたしは生まれてないんだから」
「本物のあなたも死ぬことはありませんでした」
「オリジナルのことなんてどうでもいい。それより、わたしを生んでくれた人にお礼を言いたいの。……ありがとう、ネイ」
「わたしが、生んだ?」
「そう、ネイはわたしのお母さんだよ」
人間なら母親になっていてもおかしくない年齢のネイは戸惑いつつも、ほんの少し表情を緩めた。外見相応の無邪気さがちらりと覗く。
「ところでネイ、これからどうするんだ」と貴史が訊く。「家と呼べるのはあの倉庫だけなんだろう?」
「ええ。ですが紗寧子が死んだ今、あの倉庫がどう扱われることになるかは不明です。権利が別の所有者に移って、再開発が行われるかもしれない。そうなればどこか他の土地に住み処を探します」
「ネイはあそこに住みたいのか?」
「はい。あの倉庫はわたしの唯一の故郷ですから」
なるほど、と貴司はにやにやと笑みを浮かべた。
「だったら、事態が安定するまでここに住めばいい。今は倫明しかいないからな。せっかくの立派な家がもったいない」
「おい、ふざけんな」倫明が色めきだって声を上げる。「何で俺がこいつの面倒を見なきゃいけないんだよ。おまえの家で引き受けろよ」
「俺の家は狭いし、何より親の目がある。倫明も仄香も同じだ。ネイに安全な寝床を提供できるのはおまえだけなんだよ。それともおまえは、こんなに非力で人目を引く女の子を外に放置するのか?」
「何があろうと死にはしないだろ」
「確かにそうだ。危険な夜の屋外に放置されたネイが何らかの事件に巻き込まれて、何らかの深刻な被害に遭ったとしても、ネイが傷ひとつ負うことはない。だが、やがて捕まった犯人がネイの身体の異常性について警察に訴えたらどうなる。俺たちが一番恐れている事態の到来だ。成長しない俺たちに疑いの目が向くのはそう遠くない。だから――」
わかったよ! と焦れたように倫明が叫んだ。
「住ませりゃいいんだろ、住ませりゃ……くそっ」
忌々しげな視線を浴びせられたネイは、倫明に向かって慇懃に頭を下げた。
「ありがとうございます。ご厚意に甘えさせていただきます」
「ババアが帰ってきたら追い出すからな」
態度はつっけんどんだが、期間をはっきりと決めないあたりは案外優しい。ラブコメの主人公みたいだな、とからかう貴司の頸動脈を一刀両断にしたのは優しくも何ともなかったが。
帰り道、ふと調べたいことを思い出してポケットを探ったが、すぐにそれが無駄なことだと気づいた。ひょっとしてと思い、隣を歩く貴司に訊いた。
「悪逆ヒドゥンってバンド、知ってる?」
「ああ、知ってる。修也に教えてもらったからな」
思わぬ名前が飛び出したので驚いた。倫明も修也を経由して例のバンドを知ったのだろうか。
「メンバーの一人が修也の知り合いで、その繋がりで曲を聞いてすっかり嵌まったんだそうだ。……朔は聞いてなかったのか?」
僕は衝撃に貫かれながらも頷いた。
「そのメンバーの名前はわかる?」
「それは教えてくれなかった。だがメンバーの名前は全員わかるぞ。特徴的だったからな。ギターがゾンネ、ベースがヴィント、ドラムがエールデ、ボーカルが――」
フォルモント――貴司はその名を告げた。
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