死者からの手紙

 部室は様変わりしていた。

 机を埋め尽くしていた書物やファイルの山はかなりボリュームを減らし、壁のポスターはすべて剥がされていて、消毒剤の匂いがつんと鼻をついた。修也の血が付着したものはほとんど処分されたようだった。

 倫明はいつも修也が使っていた机のそばに立って、主の去った椅子を見つめていた。部屋の隅に積まれたダンボールを探っていた貴司が呼ぶ。

「倫明、おまえも手伝ってくれ」

 それを無視して倫明は椅子に座った。机に片耳をつける格好で突っ伏して目を閉じる。まるで死者の声を聞くかのように。

「ありゃ駄目だな」

 ぼやく貴司の横で、僕もダンボールをがさごそと探索する。

「そういえば貴司、葬式のとき万由里見た? 僕は見つけられなかったんだけど」

「俺も見てない」

「仄香は?」

 ファイルの中身をめくりながら仄香は黙って首を振った。

「俺たちと会うのは避けたかったんだろう」と貴司は苦々しげに言った。「倫明と出くわしたら間違いなく、剣崎の葬式と同じ展開になるからな。四年前に一人殺ったんだから、今回もあんたが殺ったんでしょ、って」

「万由里は剣崎とはまったく交流がなかったのに、あんなことになったからね……剣崎の葬式で、剣崎のお兄さんに倫明が犯人だって進言するくらい猪突猛進だし」

「修也が直前で阻止したんだったな。だがまさか、あれが例の電撃キス事件のきっかけになるとは……今思えば、あれは何としてでも止めるべきだった」

「遅かれ早かれ、万由里と付き合うことにはなってたと思うよ。似た者同士だし」

 二人のキャラクターは正反対だったものの、正義感の強さは共通していた。出会うべくして出会った二人の結びつきは深い。修也のほうはともかく、万由里の修也に対する執着の強さははっきりしている。だからこそ――

「誰か、事件のあとで万由里に会った?」

 誰も反応しないのを見届けて、溜息をついた。

「まったく音沙汰がないっていうのも、なかなか恐ろしい」

「復讐に身を燃やしてるのかもしれないぞ。剣崎のお兄さんはうちの三年だし、万由里と組んで倫明の罪を暴露しようと動いてるかもしれない」

 恐怖を煽るような貴司の発言に、仄香は眉をひそめる。

「世渡さんの憎んでいる相手が倫明くんだけとは限らないでしょ。倫明くんが筆頭なのは確かだけど、わたしたち全員が共謀したって考えてるかも」

 怒りの矛先が〈吸血鬼もどき〉全員に向く――それが最悪のケースだった。

「まあ、殺される心配はないんだし、あんまり怖がる必要はないと思うけど」

「そいつはどうかな」

 と、貴司はおもむろに親指を立てて、自分の胸を突く真似をした。

「心臓にひと突きで俺たちは死ぬだろ? 死ぬっていうか、死に近い状態っていうか」

 僕は一年生のときに行った実験を思い出す。


 それまで倫明を中心として取り組んできた実験の成果で、〈吸血鬼もどき〉の「核」はどうやら心臓らしいと判明していた。倫明の心臓をくりぬいて取り出すと、身体は消滅して心臓のまわりから新たな身体が構成されたのだ。心臓を取り出した貴司は、いきなり右手に加わった重量にバランスを崩してひっくり返った。

 ここで新たな疑問が生まれた――心臓を傷つけたら何が起こるのか?

 伝説では、心臓に杭を打たれた吸血鬼は死ぬと言われている。心臓が〈吸血鬼もどき〉の不老不死の源だとしたら、それを損なってしまえば肉体は二度と再生せず死を迎える。

 命懸けの実験に身を捧げたのは、命知らずの倫明だった。

 三人が固唾をのんで見守る中、倫明は自らナイフを胸に突き立てた。頭が、足が、全身が消滅し、ワイシャツの小さな膨らみだけが残された。ゆっくりと意味のない拍動を続ける赤灰色のぬめぬめした塊が。

 それからナイフを抜いたり刺したりしてわかったのは、心臓に異物が刺さっているかぎり再生が始まらないということ。もちろん、その状態でも心臓自体に再生能力はあるので、いくら切り刻んでも元通りになるが、心臓より外側は再生しない。

 倫明は実験結果についてこんな解釈をしていた。

 ――吸血鬼の心臓に杭を打ち込むと死ぬっていうのはよく言われるけどさ、じゃあ他の刃物は駄目なのかって話になるよな。答えはイエス。今回の実験でわかっただろ? ナイフは突き刺さるだけなのに対して、杭は突き刺さってその場に固定する。ナイフは簡単にすっぽ抜けるけど杭は抜けない。そりゃ杭を無理やり引っこ抜けば生き返るさ。だけど、より確実に吸血鬼を再生できないようにするってことなら、優秀な方法だ。


 貴司は胸から心臓を取り出すパントマイムを披露した。

「もし万由里が俺たちを殺したいんだったら、心臓を何かで貫いてから容器に入れて、誰も掘り返さないような森の中に埋めるのが一番だ。そうなりゃ、俺たちはたぶん永久に再生しない。封印イコール死亡だ」

 やがて杭が腐って容器が朽ち、自由の身になったとしても、久しぶりに目にする世界は今と同じ姿をしているだろうか。文明が跡形もなく崩壊しているかもしれないし、氷河期が訪れているかもしれない。あるいは進化した異形の生物が地上を闊歩しているかもしれない。馴染み深い世界はとっくの昔に死んでしまっている。

 それはそれで楽しそうだ。

 このあいだ見たドキュメンタリー番組で、次に地球の覇権を握るのはイカだと言っていた。イカの進化を見届けるにはあと一億年ほど待たなくてはならないし、時間を飛んでショートカットしたと考えれば腹も立たない。

 額をぱちんと指で弾かれて、気ままな夢想から覚めた。

「おまえが何を考えてるのかはわかってるぞ、朔。ちょっと楽しそうだと思ったんだろ」

「いやいや、まさか」

 へらへらと笑ってごまかす。ここまで図星を突かれるとは。

「地殻変動で地下深くに閉じ込められたら、地球がなくなって宇宙に放り出されるまでそのままなんだぞ。宇宙の熱量死まで延々と真っ暗な宇宙を漂うことになる」

「でも、それって封じ込められなくても同じなんじゃないか? どうあがいても、結局僕たちは永遠に地球にはいられないんだし」

「宇宙船で別の星に行けるかもしれないだろ」

「宇宙の熱量死からは逃げられないよ」

「別宇宙とか別次元への脱出口を未来人が見つけてくれるかもしれないだろ」

 浮世離れした議論を戦わせる僕たちを、仄香は妙に冷たい目で見ていた。


 修也の死から二週間が経ち、部室がもとに戻ったと顧問の小村から連絡があったのは昨日のこと。そこで貴司が提案したのは、修也が遺した「吸血鬼の棲み処」に関する資料を探すことだった。遺跡を訪ねたり書物で調べたりして、集めたデータをまとめるのが修也の趣味だ。情報をまとめるのにノートを多用していたことを考えると、この部室に重要な手掛かりが残されている可能性は高い。

 ところが、警察の手が入ってあちこちを掻き回されたものだから、捜索は困難を極めた。何がどこにあるのかわからない。新しいノートと古いノートが交互に積まれていたり、あるはずのものがなかったり、見たことのないものがあったりする。

 まさか処分されてしまったのでは、と不吉な考えがこみ上げてきたころ――

「あ」

 小さく声を上げて、仄香は半透明のクリアファイルを高く掲げた。

「ねえ、これじゃない?」

 ファイルの中身はメモ書きのような古紙とニュース記事をプリントアウトしたものが数枚。それに加えて、なぜか衛星写真のコピーがあった。

「何だろうね、これ。森ばっかりだけど」

 カラーで印刷しているので、一面を埋め尽くす緑の色彩が森だとすぐにわかった。右下に向かって傾斜しているから山の一部なのだろう。山といっても奥地ではないようで、広い幹線道路が写真を横切っていて人家もちらほら見られる。

 仄香は写真の中央を指さした。

「もしかして、修也くんはこれを写したかったのかな」

 写真中央には四角く森が切れているエリアがあって、青っぽい輪が写りこんでいる。目を凝らすとそれが巨岩の列だとわかった。

「ストーンサークルみたいだ」

「そんな気もするな。ていうかこれ、市内じゃないか。この道路はたぶん県道十一号線だ。画面をはみ出てちょうどこのあたりに倫明の家がある」

 貴司は写真から数センチ離れた空中を指さした。謎のストーンサークルは意外と近場にあるらしい。

「でも、修也くんはどうしてこんなものを調べてたのかな。わたしたちを助けるヒントがここにあるってこと?」

「そうとしか考えられないが……」

 僕たちはファイルのメモ書きを手分けして読み進める。殴り書きの文字の解読は大変だったが、最終的に修也の意図はおおむね判明した。

「つまり、俺たちがさらわれてから連れていかれた場所を探してたんだな。連れ去られた場所や移動時間、俺たちの証言からおおよその位置を特定した。それが、この山の中にある妙な空き地だったってわけだ」

「でもさ、そんなこと本当にできるの? 警察にも突き止められなかったのに」

「熱心な一般人は、ときにやる気のないプロを凌駕するんだ。それに、あの四日間についてなら警察より修也のほうが多くの情報を持ってる。俺たちが詳しく話したからな」

 あの四日間――懐かしくて不気味な、遠い日の記憶。

 僕たちは、六年前に発生した御八塚連続児童誘拐事件の被害者だった。


 事件は十月十日の月曜日から始まった。当時、御八塚第一小学校の五年生だった近堂貴司は、下校中に見知らぬ女に連れ去られた。母親は息子の帰りが遅いことを不審がったが、午後七時ごろにひょっこり戻ってきたので通報はしなかった。

 十月十一日には、同校の五年生だった祝倫明が誘拐された。両親が帰宅する前に解放されたので、やはり事件は発覚しなかった。

 十月十二日。御八塚第二小学校に通う五年生の浅永朔――僕が誘拐された。ピアノのレッスンに遅刻したことをこっぴどく叱られたけれど、理由までは訊かれなかった。当時の僕は遅刻の常習犯で、道端で何時間も虫を観察したり、橋の上で日が暮れるまで川の流れを眺めたりする悪癖があったからだろう。

 そして、十月十三日。同校の五年生、五十川仄香が誘拐された。

 何といっても女児だ。親の言いつけも聞かずに遊びまわって日が暮れると帰ってくる、そんな男児とは事態の重大さが違う。母親はシングルマザーで毎日夜遅くまで保育園で働いていたが、その日は非番だったため自宅アパートにいた。午後六時になっても帰ってこない娘を心配して、自らの足で小学校に向かった。担任教師に相談し、仄香のクラスメイトの全家庭に連絡したが、仄香の居場所を知る者は誰もいなかった。

 午後六時四十分、彼女は娘が行方不明であることを警察に通報した。ところが自宅に戻ってみると、けろりとした顔で仄香が待っていたのだった。最寄りの警察署から駆けつけた警官たちは一様にほっとした様子だったが、仄香がぽつりと放ったひとことで表情を変えた。

 ――女の人の車に乗ったの。

 ここでようやく誘拐犯の存在が明るみに出た。児童の父母に連絡が回ったことで、御八塚周辺の小学生が下校中に姿をくらました事例が他に三件あることを警察は突き止め、僕たちのところに事情を聞きに来た。僕たちの証言から、容疑者は「黒いコートを着た、黒髪の二十代前半の女」ということになった。〈黒の女〉というのはその説明文を縮めた名前だ。

 しかし、新たな犯行がなされなかったことと、手掛かりが少なかったことから捜査は暗礁に乗り上げ、しまいには迷宮入りを果たした――と僕は推測している。十一月以降、ぱったりと続報が途絶えているからだ。これといった被害のない事件にかかずらうほど警察は暇ではない。

 それにしても、あの誘拐犯はいったい何がしたかったのだろう。〈黒の女〉は小学生を一人ずつ〈吸血鬼もどき〉化させ、警察が動いたタイミングで退散した。あとに残されたのは、色々なものを奪われて放り出された四人の小学生。

「それじゃ、六年越しの復讐を果たしてやろうか」

 ぱちんと貴司は手を打ち合わせた。

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