いーじゃんそれで

「ただいま」

「おかえりー航平。夕ご飯は?」

「んー……とりあえず今いいや、腹減ってないし」


 五十嵐さんの車を降り、家に着いたのは夜8時少し過ぎだった。

 着替えに自室へ向かう俺の腕に、真琴がきゅっと絡んできた。


「にいちゃんおかえり!

 ねーねー、今日の話聞かせて〜!」

「は?俺に何か話をねだるとかお前したことねーだろ?」

「だって〜〜♪ 王子との初詣なんていろいろ様子聞くだけで幸せになれそうだし〜♡

 ……って、……」

 そんなことを言いながら俺の顔を覗き込んだ瞬間、真琴はぐっと黙った。



「ん……なんだよ真琴、どうした?」



「…………


 にいちゃん……今日、何かあった?」



 その鋭い質問に、俺は内心めちゃくちゃギクリとし、ものすごく取り乱した。



「……なっ……

 なんだよ急に!?」


「んー……だって……

 顔つきとか空気とかなんかいろいろが、行く前と今じゃビフォーアフターみたいに違う気がして。

 これまでの無味無臭のにいちゃんとは、明らかに何かが……」


 そう呟きつつ、真琴はどこか不思議そうに首をかしげる。



「…………」



 うっっそ!?

 顔つき!? 空気!!?

 ちょっと鋭すぎるんじゃないのかお前は!!!?

 それとも、周囲にはっきり分かるくらいのいつもと違う何かが、俺からダダ漏れになってるのか……??



 しかし……

 ついさっき、そのキラキラ王子から熱烈な告白を受け、結局自分自身の気持ちもとっちらかったままなんとも微妙な約束を交わし、ファーストキスをギリギリ未遂で防いできた……

 というような一連の出来事は、客観的にみれば明らかに非常事態だろう。平常心など保てない方が普通だ。

 仮に今、自分が全身からモワモワと何かを発散しているとしても、少しもおかしくはない……かもしれない。


 とにかくこんなとこでこんな風に何かを感づかれてたまるか。俺は必死に平静を装う。


「——よ、よく考えろ真琴。

 今日はただ単に職場の先輩と初詣に行っただけなんだぞ。たった半日で一体何があるってんだよ?

 あーそうだった! それに今日は人生初の熱燗でめっちゃ気持ち良く酔っ払ったりしたんだよな〜。……普段と違うのはそのせいじゃないか?」


「あ、そうかー。お酒のせいか!!」


 真琴は、思った以上にあっけなく俺の言葉に納得したようだった。


「道理で色っぽい桃色だと思った〜にいちゃんの頬が。

 あんまり可愛いから一瞬びびった。うん、きっとそのせいだね」


「——そ、そうそう!! そのせいだって!!」


 勢いよく同意し、安堵の息が思わず漏れる。



 しかし。

 なんとかうまくごまかせたのはいいが……

 今聞いた真琴の言葉が、またものすごく微妙だ。



 真琴の言うような顔になってるのは……酒のせいだけじゃない。


 原因は——彼だ。

 そう自覚する自分自身が悔しい。



 キラキラ王子……もといイケメン狼に告られて思わず色っぽく頬を染めるとか……自分的には、最も望んでない反応だろそれ……

 だってついこの間まで、俺は超絶美人上司のそういう顔を見たかったんじゃなかったのか……?

 オオカミに迫られてなに可愛くなっちゃってんだよ俺っっ!!!???


 そんなことを思い返した途端、頬にぶあっと新たな熱が生じる。

 だめだこりゃ。この悪循環、マジできりがない。



「はぁ〜。なんか疲れたわ……とりあえず着替えるからさ」



 これ以上の不自然さを見透かされないようそそくさと自室に入ると、俺は額を押さえてふうっと大きなため息を漏らした。









 正月休みは、あっという間に終わった。

 実家からアパートへ戻り、数日空けた部屋を徹底的に掃除したりしながら、俺は必死に今回のことを整理してみた。


 明日の仕事始めには、なんとか気持ちを整理整頓して爽やかに出勤したい。

 このままじゃ、どんな顔で五十嵐さんの向かいのデスクに座ればいいのかさえわからない。

 どういう姿勢で臨むべきか、ちゃんと考えろ俺!!


 雑巾でグイグイと窓を拭きながら、今回の一連の出来事を思い返す。




 ——頼もしく優しい先輩だと思っていた五十嵐さんが、俺に本気で惚れてることを知ってしまった。


 俺も、なんだかんだで彼の気持ちを振り切ることができず、彼の側で過ごしてみたい、などとふと思ってしまった。

 ——恋人というポジションに座る気は断じてないのだが、そう思ってしまったのだから仕方ない。


 彼は俺に、もっと側に来て欲しい、と望んでいる。

 俺も、彼の大きな温かさに寄りかかってみたい、と……どうやら思っている。



 そうやって、なんとも呼びようのない彼との微妙な関係が、結局成立してしまったのだから……

 どうせなら、あんまり悩まずにその関係を楽しんでみたらどうか。


 恋人になったわけじゃないんだし、俺が嫌がることは絶対にしない、と彼も約束してくれてるんだし。

 自分が望んだ彼の心の奥の心地よい場所に、思い切り甘えさせてもらえばいい。


 それに……周囲の女子軍が目の色を変えて狙ってる五十嵐さんの隣を、見事ゲットしたんだろ? この際がっつり優越感でも味わっておけばいいじゃないか。誰もが憧れるキラキラ王子にすりすりして頭ナデナデしてもらうなんてレアな経験、きっと人生一度きりだぞ!!



「……いーじゃんか、それで」


 そんな感じで、室内がピカピカになる頃には、俺はすっかり開き直っていた。



 もともと恋愛経験もないのに、いくら悩んだところでいい答えなんて出るわけがない。全く勉強していない科目のテスト用紙に向き合ってるのと一緒だ。

 恋愛偏差値0の俺がこういう複雑な関係に足を突っ込んでしまったのがそもそも大馬鹿だった、ということに今更気づいたがもう遅い。

 こうなったらもう、完全にアホになる以外ない。つまりそういうことだ。



 そうやって、もはや半ば破れかぶれ的に自分自身をなんとか落ち着けながら、仕事始めの朝はやってきた。




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