純情赤ずきんとイケメン狼が手を繋ぐ可能性について考える話
aoiaoi
人恋しい
「俺——あなたが好きです。
心の底から」
「——……
ごめんなさい、篠田くん……」
俺の渾身の告白に、彼女の唇から震えるような返事が漏れた。
社内で開催された、クリスマス飲み会の夜。
ロマンティックな夜景の見える二人きりのミーティングルームで、彼女は俺に小さく謝る。
篠田 航平。24歳。中堅家電メーカーである星川電機の広報部へ入社して2年目だ。
イケメンでも長身でもマッチョでもなく、能力的にも腕力的にもごく平凡。特に取り柄の見つからない、ごくごく地味な平社員だ。
そして彼女は、俺の直属の上司、小宮山麗奈係長。
この4月に27歳という異例の昇進スピードで営業部から広報部門へやってきた、才色兼備な超絶美人である。
この人に初めて会ったその瞬間から、俺はどっぷり恋に落ちていた。
——今の今まで。
「……」
「この前ね……彼に、土下座されて。
その夜に、二人で会ったわ。
『もう一度やり直したい』って繰り返す彼の必死な顔を、どうしても拒否できなかった。
それからの彼は、本当に人が変わったように……私のことを、何よりも大切に思ってくれてる。
それが痛いくらいに伝わってくるの。
彼をもう一度だけ信じてみてよかったって……今は、心からそう思ってる。
これは全部、篠田くんのおかげだわ。
プライドの高いあの人が、これまでの言動を深く反省するきっかけを、あなたが作ってくれた。
なのに……。
あなたの気持ちを、受け止めることができなくて——本当にごめんなさい。
…………許してくれる?」
「…………」
この状況で、許せないって言えるか?
そんな綺麗な瞳で見つめられて、懇願するような心細い声を出されて。
やっぱり、彼女はとんでもない高嶺の花だった。
バリバリ仕事のできる俺の上司で、誰よりも美しく、明るく思慮深く——そして、どんなに俺が手を伸ばしても届かない人。
そう思うしかない。
「……よかったです。
——兵藤さんと、今度こそ幸せになってください」
「——ありがとう、篠田くん。
これからも、いい仕事仲間として、よろしくね」
花が開くように幸せそうに微笑む彼女の笑顔を見て……ああ、なんだかんだで彼女の役に立てたんだな俺、とちょっとだけ思ったりしてしまう。
こういうとこだよ俺、地味&平凡キャラからいつまでも抜け出せないのは。
*
そんな、何とも痛いクリスマスの明けた翌週。
俺は、今回の恋の戦略を散々俺に伝授してくれた頼もしい助っ人である五十嵐さんを、これまで作戦会議に使っていた居酒屋へ呼び出した。
つくねの美味な、ちょっと隠れ家風の小洒落た店だ。
「ふうーん」
悲しさと悔しさのダダ漏れな顔で一部始終を報告する俺に、彼はつまらん世間話でも聞いたような平坦な返事を返しつつ梅つくねをもぐもぐと齧った。
五十嵐さんは、俺の向かいのデスクに座る三つ歳上の先輩だ。頭脳明晰かつクールな無表情系美貌を誇る、正真正銘の男前である。
華奢なフレームのシンプルなメガネが端正な顔立ちによく似合い、何とも言えず色っぽい。
こんな硬質でキラキラな第一印象ながら、彼はなぜか小宮山さんへの想いに苦しんでいた俺に手を差し伸べ、恋の助っ人役を申し出てくれた。
約半年もの間、その豊富な経験を元に、恋愛経験皆無な未熟者の俺を的確なアドバイスと叱咤激励で支えてくれた恩人である。
「ほんと、こういう失恋の痛さというか惨めさっていうんでしょうか、全くもって人生初めてで……はぁぁぁ〜〜〜全身が痛い……」
「んー。まあ残念だったな。君にとってはガチの初恋だったもんな……その痛みは分かる。
——でも、こういう結果がはっきり出たんだから、それはそれでいいじゃないか。
自分の想い人を幸せにしてやれたんだし、彼女にそんなにもいい笑顔をさせてやれた。ただあっさり振られたよりはずっとマシだろう?」
五十嵐さんは、淡々とした無表情の中に大切なことをゴロゴロと転がすように、そんなことを言う。
いつもそうだ、この人は。
「————またそうやって。
他人事みたいな顔をして」
「いや、今回は普段ほど他人事とは思ってない。
……君の恋がうまくいけばいいと、本気で思っていた。
だから、俺も残念だ。
けどな。
君は、実によく頑張った。
君が今回経験したのは、最高に上出来な失恋だ。
——君はもっと、自信を持っていい」
彼はそう言うと、ふっと温かな微笑を浮かべた。
「……五十嵐さんっていっつもほんとに……
そういうとこ、ムカつきます」
思わずじわっと滲みそうになる目を、俺はおかしな文句で誤魔化した。
*
ここ最近なんだかんだと慌しかった会社も、ようやく仕事納めを迎えた。
結局今回も、俺には例年と変わらぬ平凡な年末年始がやってくる予定なのだが。
今年最後のビジネスバッグを自室の机にどさりと置き、ソファにぼすっと座る。
冷蔵庫から取り出した缶ビールをぐっと呷った。
「ふえ〜。疲れた……」
次第に緊張の解けていく脳で、ぼんやりと今年を振り返る。
思えば色々な意味で、自分自身を大きく変えることがたくさんあった一年だった。
中堅家電機器メーカーである星川電機が力を注いで開発した無加水調理鍋が、今月初めに新製品として発売された。この商品が予想を上回る大ヒット商品になり、社内の空気は大いに盛り上がった。
この鍋の発売に先立ち、夏から広報部でも消費者向けパンフレット作成に全力で向き合った。
俺は、当初は自分の恋を成就させたいという下心を抱きつつこのパンフの原案作成業務に立候補し、夏から秋にかけて小宮山係長と二人三脚で仕事に取り組んできた。
彼女のサポート役として、一緒に目標を達成できた喜び。心と体をフル回転させて仕事に没頭することの楽しさ。——その充実感は、まさに生まれて初めて経験するものだった。
小宮山さんの元カレだったイケメン営業係長、兵藤との避けられない共同業務。嫌がる彼女との復縁を狙って彼がしつこく仕掛けてきた仕事上の妨害。原案完成までのそんな予想外の障害を必死に跳ね返しながら、俺は彼女が笑顔でいられるよう全力を尽くした。
初めての、本気の恋。
そして——想う人の笑顔を、身を挺して守る。
気づけば俺は、そんな苦しみと喜びも噛み締めていた。
そういう時間を経て。
小宮山さんは、結局あいつの元へ戻ることを選択し…………。
年末の慌ただしさで少し遠のいていたはずの痛みが、ずきりと胸に戻ってくる。
「————」
結局、手の中には何も残らなかった。
そんなやりきれない虚しさを残し、ビールの味気ない苦味が喉を過ぎていく。
この春に、彼女が係長として広報部門に来て、約9ヶ月。
彼女を初めて見た瞬間から——自分の頭と胸は、何かでいっぱいだった。
それが、一体何だったのか——
今、改めてわかる。
それは、「幸せ」だったんだ。
恋をしている時間というのは、それだけでもう幸せなのだ。
その想いが実るか実らないかは置いといても。
好きな人で頭をいっぱいにする、その時間。
キラキラと輝くように甘くて。
心が浮き立つようで、ざわざわと落ち着かないようで。
痛くて苦しくて、唸ったり赤くなったり青くなったり。
その人のためなら、どんなことでもできると……心の底から、不思議な力が湧き上がったり。
そんな訳のわからない時間が、こんなにも愛おしいものだったなんて。
そして、自分の側を去ってしまった人を思い返すことが、こんなにも切ないものだなんて……
そんなことを、全部——今、初めて知った。
「……はぁ……」
抑えきれず、重いため息が漏れる。
——人恋しい。
そんな、どこかでよく聞くような言葉が、突然ピタリと自分にはまった気がして……俺は少し驚いた。
*
翌朝。
休暇に入った自由さと気だるい憂鬱さで昼近くまで寝ていた俺は、枕元で鳴るスマホの着信音に起こされた。
「——はい」
『篠田くん?
どうせ暇だろ?』
淡々と無表情な一言が、サクッと耳を突き刺す。
「えーどうせ暇ですよ。それより何かご用ですか五十嵐さん。
年末年始休暇に入ってもなお俺をからかいたいんですか」
『いやーそういうわけでもないんだがな。
年末年始、何してる?』
「え……何って、明日あたり実家に帰って正月三が日くらいはのんびりするかなー……と。
実家近いんで、帰ったからといって別にどうということもないんですけどね。
って、なんでですか?」
『いや実は俺も半端なく暇でなー。君と全く同じで、実家帰っても近くて小旅行にもならん場所だし』
「あ。そういえば、五十嵐さん彼女と別れたんでしたっけね。新しい子は現れてないんですか?」
『そうそう。だからますますやることない』
「あーそれは残念ですね、ってかやることないってその表現おっさん臭すぎますよ」
『いーんだよ、もう片足おっさんに突っ込んでるんだし。
というわけで、もし君の都合がつくなら初詣一緒に行こうかと思って』
「…………」
初詣。
言われてみれば……まともにしたことない。
子供の頃、どこかの神社に連れてってもらったことはあったが……自発的に、というか誰かと連れ立って、みたいなのは一度もしたことがない。
「…………行きたいです。
なんか、ちゃんとそういうことしたい気分です」
『そうか、なら良かった。
じゃ、二日の昼過ぎくらいからのんびりという予定でいいか? 早朝とか寒いし億劫だし。迎えに行くから』
「え……迎えって」
『ん、実家近いんだろ? 車出すよ。だいたいどの辺?』
「え、と……○○ってとこですが……わかります?」
『お、そこなら思ったより近い。車で1時間もあれば行くな。じゃ詳しい住所はLI○Eででも送ってくれ。とりあえずそういうことで』
なんだか、とんとんと話を運ばれてしまった感じだが……
とりあえず、自発的行動が苦手な俺には思いつかない計画だ。普段無駄な動きはしないように見える五十嵐さんの思わぬフットワークの良さを見た気がする。
「うーん。なんだかんだ言って楽しみかも……」
気づけば、俺は重く沈み込んだ気持ちから離れ、遠足のスケジュールを聞いた小学生みたいな気分になっていた。
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