揺さぶり
そんな風に、ものすごく複雑な思いで五十嵐さんと飲む約束をした、金曜の夜。
もうすっかり馴染んだはずのつくねの美味な作戦会議場で、俺はどこかが変に強張った思いを一向にほぐすことができないまま、ビールのジョッキを機械的に口に運んでいた。
五十嵐さんは急な仕事が入り、少し残業になりそうだという。先に店で飲んでてくれ、と言われ、俺はこうして悶々とひとり酒を呷っているところだ。
「……どんな顔で、なんて切り出そう……」
勝手に変なため息が漏れる。
彼が来たら——ちゃんと言えよ。ずっと引っかかってる、あの結論をな。
それを言ってやっと、お前の抱え続けたモヤモヤは過ぎ去って行くんだからな。
白い衣を着た天使な俺が、頭上からさらさらとそう囁く。
うっせーよ、しつこい。お前なんかに言われなくてもわかってる。
……ってことは……
俺は今日、彼を振るんだろうか?
いや、振るとかそういうんじゃないだろ? そもそも恋人じゃねーんだし。
ただ、今の状況のままじゃだめだという気がしてならない……そのことを、彼に伝えるだけだ。
なぜ、このままじゃだめなんだ?
彼の想いを独り占めしてるのは、ぶっちゃけ最高に心地良いじゃないか?
ここにきて俺の中の悪魔が足元から顔を出し、勝手に喋り出す。
お前も今更うるさい。
それは、これまでも散々考えた。
彼の隣がたとえコタツのように居心地が良くても、俺が一人でそこをぬくぬくと占領してちゃだめなんだよ。
——へえ。それはなぜ。
わかりきったこと聞くな。
彼が俺に向けてくれている想いと、俺が彼に向けている気持ちが、全く釣り合わないからに決まってんだろ。
俺の今いる場所に座るのは、ただふかふかな居心地が欲しい俺なんかじゃなく……
彼のことを、本気で深く想える相手じゃなければ——
俺には、そういう種類の想いを彼に抱くことは、できないんだから。どうやっても。
——そういう種類って、どういう種類よ?
それに、どうやっても無理……って、なんでわかる?
「——……」
「——篠田くん」
名を呼ばれ、はっと我に返った。
気づけば、ビジネスバッグを置きながら向かいの席に着きつつ、五十嵐さんがちょっと怪訝そうな顔つきで俺を見ている。
「何度呼んでも反応しないから、どうしたのかと思った」
「あ——
……すみません」
「とりあえず、ビール中ジョッキとつくね一皿ね。
——君、最近少し変じゃないか?」
スタッフにそうオーダーを済ますと、彼は頬杖をついて改めて小さな溜息交じりに俺を見る。
「……そんなことは」
「そうか?
そうは見えないが。……表情暗いし、ため息ばかりつくし。
小宮山も心配してたぞ、『篠田くん、どこか調子でも悪いの?』って」
「……」
そんなに様子が違うのか、俺。
そんで、小宮山さんも、俺の心配してくれたのか……。
すぐに届いたビールのジョッキを一口呷ると、彼はそんな俺の様子をちらりと見て、いつものごとく無表情にさらさらと話す。
「——俺なんかよりも、小宮山に心配された方が嬉しいんだろうけどな君は。
残念だが、彼女はもはやどっぷり兵藤のものだ」
「は? 知ってますよそんなの」
その言い方にカチンときた俺は、ぶっきらぼうにそう返す。
ちょっと、なんだよそれ。今日の王子、なんかすっげえ感じ悪い。
彼は、そんな俺の不機嫌を知ってか知らずか、一層冷ややかに言葉を続ける。
「それに……
岸本部長のあの言い方も、ちょっと気になったんだ。
——君、あのランチの時に、今抱えてる何かを部長に相談でもしたんじゃないのか?」
「——……」
ものすごく痛いところを突かれ、俺は思わずぐっと押し黙った。
「——ああ、そうか。
恋の悩みか」
そんなことを平然と問いかけつつ、彼は艶やかな横目で俺を捉えると口元をクッと美しく引き上げた。
その言葉に、俺の頭に思わずかっと血がのぼる。
「んなわけないでしょ!! なんで俺が……!」
「じゃあ、なんだ?
君の思い煩いの理由を聞きたいな——少なくとも、好きな相手の悩み事が気にならない男はいないからな」
「ええ、言いますとも!
俺は、あなたと俺がこういう中途半端な関係でいるのは、誰のメリットにもならないって……それをあなたに言いたかったんです!
冷静に考えれば考えるほど、俺は都合よくあなたの優しさに浸ってる場合じゃないんです!
あなたの隣は、俺じゃなく——あなたと同じ想いで、しっかりと向き合える誰かじゃなければ。
じゃなきゃ、釣り合わない。どうやっても。
あなたの想いには、俺は絶対に応えられないんですから!」
売り言葉に買い言葉みたいな展開に釣られ、俺はテーブルをばんと叩かん勢いで一気にそう言い切った。
「…………
君が、最近様子がどこか変だったのは……
俺に、それを言いたかったからか?」
俺は、黙ったまま頷く。
そうだ。やっぱり俺は、都合が良すぎた。
こうして口にしてみれば、こんなにもはっきりしていることじゃないか。
「——で。
今日、やっと君は俺にそれを言って……どうしたいんだ?」
そんな俺に、彼は冷静な表情を一切崩さず、そう問いかける。
「——……
あなたと結んだ関係を、ここで終わりにしなきゃいけない、と思っています」
よし。
よく言った俺。
頭の中は完全にとっ散らかった状態だが……とにかくこれで、俺の思い煩いは終了だ。
そして——
彼の隣の心地良さも、これが最後だ。
「……篠田くん。
一点だけ、確認したいのだが」
「——はい」
「……ここで『終わりにしなきゃいけない』、なのか?
『終わりにしたい』ではないのか?」
彼のその問いかけの意味がよく飲み込めず、俺はクエスチョンマークの思い切り浮き出た顔を上げて彼を見つめる。
「……は?
——そこに、どういう違いが」
「大違いだろ。
っていうか、天と地ほども違うだろ。
つまり、君の気持ちだ。
しなきゃいけない、っていう表現は、つまり……
その結論は君の本意じゃない、という意味を含んでいる。
——違うか?」
彼の眼差しが、いつにない真剣さを帯びて俺を見つめる。
「————」
……え……
待って。
「本意じゃない」……?
全く無意識だった俺の言葉選びが……もしかして、何か、すごくアレだった??
というか、俺の本心ぽい何かが、その語尾にうっかり漏れ出たとか……なんかそういうやつなのか???
「——篠田くん。
ちゃんと聞かせてくれ。
君の気持ちは、どうなんだ?
君は、終わりにしたいのか、したくないのか」
「——……」
——ああ。
どうしよう。
そこを、こんな風に突っ込まれるとは……思っていなかった。
この話を切り出せば、彼は無条件に俺の言葉を受け入れると——
そういう場面しか、想定していなかったから。
俺の気持ち——
俺の気持ち。
どうしよう。
半ばパニックモードで黙り込む俺から視線を外すと、彼はジョッキに残ったビールをぐっと勢いよく飲み干した。
「——
この後、少し場所を変えないか」
「……え。
どこへ……」
「俺の部屋。
——嫌か?」
「————」
次第に脳に淀み始めたアルコールと、一気に流入して来たものすごい量の情報を、俺は何一つ処理しきれないまま——
ただ……
彼の言葉を拒絶するという選択肢は、俺の中に見つからなかった。
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