逃げられない

「おはようございます」


 五十嵐さんが仲林さんと、そして俺が岸本部長とランチをした翌日の朝。

 出社してきた五十嵐さんに、俺はいつも通りの挨拶をした。



 部長の話を聞いて、昨夜はいろいろ考えたのだが……

 とりあえず、五十嵐さんと「付き合ってみる」はあり得ない。

 それだけは、俺の中ではっきりしていた。


 部長のあのアドバイスは、俺の相手を同性とは知らずに出たものだ。

 今回の場合は、いくら何でもそう安易に踏み出せるケースじゃない。


 それに——

 仮に、「じゃあ付き合ってみましょう」なんて五十嵐さんにライトに持ちかけといて、「やっぱムリでした」とかってあっさり言い渡したり……そんな乱暴なこと、俺には絶対できない。

 彼が、どれほど傷つくか。


 散々グリグリとそんなことを考えた末、目下のところはあくまでも通常モードで彼に接しよう、と心に決めて出勤してきたのだ。


 そんな俺の挨拶に、彼の艶のある声が返ってくる。


「おはよう篠田くん。

 ——昨日、俺が女の子の告白を冷や汗流しながら断ってる最中に、君は岸本部長とランチデートだったそうじゃないか」



「……は?」


 開口一番そんな意味不明な非難を浴びせてくる彼に、俺は思わずひんやりとした視線を向けた。


「部長から聞いたぞ。

 昨日の夕方、営業部に用事があって行ったら、部長が『君のところの篠田くんは随分可愛い子だな』とか言い出すからびっくりした」



「——……」


 その途端、俺は内心真っ青になった。



 部長には、特に口止めはしなかった……つい持ちかけてしまった、目下の自分の思い煩いのことを。

 あんなプライベートな話、部長があっちこっちで話すわけがないと、ついそう思い込んでしまった。

 だが、こういうシチュエーションになると、俄かに不安が波のように襲ってくる。

 部長が万一軽〜いノリで、俺のした話を五十嵐さんに喋っていたりしたら……



 俺が彼のことを悩みとして誰かに相談していたと知ったら、五十嵐さんにとっては酷く不快なはずだ。



 ——嫌な思いをさせてしまったんじゃないか。

 俺はこわごわ彼の表情を窺った。


「————

 部長、他には何か……?」


「いや。

『篠田くんと何か話でもされたんですか?』と部長に聞いたら、『んー、昼にね、ある場所で彼とね……』とか、途中からなんだか不明瞭になって」

「……で?」

「『……で、彼とどんな話を?』と突っ込んだら、『——それ以上は秘密だ』と返された。

 一体どういうことなんだ?——怪しい以外の何物でもないじゃないかこれは」


「……」


 どーしてそういうビミョーな言い方するかなあー部長??

 きっと彼のことだから、あの穴場カフェの存在は五十嵐さんに明かしたくなかったんだろうし……俺の悩みのことも、言わずにおいてくれたのだ。

 その配慮は本当に嬉しい。

 だが……「秘密」って。むしろ怪しい匂いがプンプンすんじゃんか?

 でも、あの人実は割とそういう悪戯っぽいこと好きそうだなー。


 ってか、五十嵐さんも実は相当にヤキモチ焼きキャラかよっっ!?



「……まさか君、部長にも告られたとか、色っぽく言い寄られたとか……」

「んなことあるわけないでしょっ!! 冷静に考えてくださいあり得ませんから!!

 昼食べに行った店で、たまたま部長に会っただけですよ。……その時に、俺が恋やらそういうことに全く不慣れだっていうのが会話の中でバレたんだと思います。それを部長は可愛いとか思ったんじゃないですか」


「ふうん……

 それならまあ……納得がいく。

 恋愛偏差値ゼロの君の恥じらい顔は驚異的破壊力だしな」


「——……」


 喜ぶとこなのか、憤るべきとこなのか。


「ってかそれよりも。五十嵐さんってこんなヤキモチ焼きだったんですか、知りませんでした」


「——んー?

 そういえば。

 今までこんな風に人の詮索などしたことなかったな——他人には興味なかったし。

 ……ってことはこのモチは君限定だ。遠慮なく受け取れ」


「……」

 王子の焼く贅沢なモチでもいらねーぞ。



「まあ、部長と何もなかったならいいんだが。

 ところで今週金曜、君の都合が良ければ、ちょっと飲みにでも行かないか。

 または君の好きなものを食べにいくでもいいし、その辺は君に任せるから」


「え……今週金曜、ですか……」


 え、ほんと?? ちょっと嬉しい。

 最近肉食べてないからたまにはがっつりいきたいなーとか思ってたんだ。

 何と言っても彼と一緒の時は俺はタダだし〜〜〜うひゃひゃ♪♪


 と、途中まで思い切りノリノリだった俺の気分が、突然しゅうーーーっと音を立ててしぼみ始めた。



 思い出したのだ——

 この前、自分の部屋で悶々と思い悩んだ、あの夜のことを。


 五十嵐さんのこの暖かさは、いつも心底心地良い。

 それでも、そこにいつまでもごろ寝を続けていては、いけないのだと。

 俺はあの時、自分自身にそうきっぱり言い渡したじゃないか。



 ——次の機会には、自分の出した結論を彼に伝えなければ、と。

 そう決めていただろう?

 金曜には、引っ込めずに今度こそちゃんと言え。

 じゃなければ、また同じ悩みに突き落とされるぞ。





「————……


 金曜は……

 もしかしたら、ちょっと都合が——」



「ん? そうか。なら仕方ないな。

 じゃ、次の機会にするか」



「——……

 すみません……」




 …………。


 ちょっと待て……




 何やってんだ俺???




 今、引き延ばしたよな?

 今度は、結論を伝える機会そのものを先へ引き延ばそうって作戦なのか!?


 同じだからな。

 逃げられないぞ。

 なんでそこまで引き延ばしたいのか——自分の問いが、どこまでも追ってくるだけだ。


 今週金曜に会わないなら……次の機会まで、お前の苦しみは続くんだ。……それでいいんだな?



「——あ、あの……五十嵐さん。

 やっぱ、今週金曜、都合つきそうなので……」


「……そうか?

 なら、場所は——」

「いつもの作戦会議場で、お願いします」


 もはや上機嫌で肉などをご馳走になっている場合ではない。

 俺はやや固まった顔で、不明瞭にそう答える。



「——わかった」


 彼は、俺の表情を少しだけ窺うように見つめた。




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