告白

 帰りの車内で、俺たちはしばらく無言のままだった。



 言いたいことが、それぞれの中でぐるぐる激しく巡っている気配はしているのだが——どう切り出したものか、互いに途方に暮れている。

 そんな張り詰めた空気が、車内に満ちていた。



「……」


 車窓には、ひたすら夜の闇が続く。

 BMWの静かで滑らかな乗り心地も、こういう時には余計に緊張感を高める気がする。


 その息苦しさに耐えかね、俺は必死に空気穴を求めた。



「……あっ……

 えーと、少しラジオつけてもいいですか?」



「——やられたな」



「……え?」


 返事の代わりに小さく聞こえた独り言のような五十嵐さんの呟きに、俺は思わず彼を見た。




「最後の最後でな。

 まさか、こんなふうに——」


 前を向いたまま自嘲のような微笑を浮かべ、彼はふうっと軽く息を吐き出した。



「……」


「——まあ、惚れた弱みってやつだから仕方ない。

 俺が一緒で、今回の件が少しはうまく片付いたなら、それでいい」



 聞けば聞くほど、彼の言っていることがわからない。

 俺はぐっと彼を見つめた。



「……一体、何の話ですか」


「もうごまかすことはないだろ」


 彼は、静かな眼差しで俺を見る。



「……『全力で幸せにしたい人がいる』、と。

 さっき、君はそう言ったろ?


 これで佐々木さんとの関係が切れたのだから、本当は今すぐにでも会いに行きたいんじゃないのか——その人に。

 その人も、君がそう言ってくれるのを心待ちにしてるだろう。


 ついでだから、その相手のところへ連れて行く。

 ——君の希望の場所で降ろすから、言ってくれ」




「——————は?」



 思わず、はあっと大きなため息が漏れる。

 意味不明な腹立ちに任せ、彼をぎゅっと睨みつけた。

 いつもは切れ味スパスパのくせして、肝心なとこでトンチンカンだなあんたは!!!?



「……五十嵐さん。

 俺をそういう人間だと思ってんですか?

 自分のゴタゴタを片付けるためにあなたの好意を利用して、挙げ句の果てに別の相手の元へ送らせるようなクズ野郎だと?」



「……」


 突然の俺の苛立ちに、彼は驚いたような顔で俺を見つめた。



「さっきの言葉は——

 俺が、全力で幸せにしたいと言ったのは——あなたのことです」





「————……」




「……気づきました。

 やっと。

 自分自身の気持ちに。


 俺は、あなたが———」



「まっっ——待ってくれ!!!!」


 五十嵐さんはそこで全身をガッチリと硬直させ、上擦った声で俺にそう懇願した。

 ハンドルを握る指先が、小刻みに震えている。


「——頼む。

 そこから先は……ち、ちょっと待ってくれ……

 今それ以上何か聞いてしまったら……俺は、この先安全運転できる自信がない……信号も標識もおそらく完全スルーだ……」



「——……」


 ここで話をちぎられるのもめちゃくちゃに小っ恥ずかしいが、身の危険に関わることなら仕方ない。



「……わかりました。

 俺も、中途半端な状況で大事な話したくないんで」



「——……

 ならば……

 もし、君が都合悪くなければ……これから、俺の部屋に向かってもいいか」


「お願いします」




 今度こそビリビリと張り詰めた沈黙を充満させたBMWは、そのまま彼の部屋へ向かって走った。









「——お邪魔します」



 心臓が破裂しそうな緊張感をどうすることもできないまま、俺は五十嵐さんの部屋のソファにもぞもぞと座った。

 黙ったままキッチンへ向かう彼のシャープな背と肩に、これでもかというほど心拍がばくばくと暴れる。



「——とりあえず」


 彼は冷蔵庫から缶ビールを2本取り出し、俺の前に一本を置いてくれる。

 俺の向かい側に座りながら自分の缶のプルタブを開けると、静かに一口呷った。



「——さっきは、悪かった。

 君の言葉を遮って」



「……」





「——……今なら、引き返せる」



 じっと何かを考え込むように俯いていた視線を俺に向けると、彼は小さくそう呟いた。


 俺に向いていながらも、その瞳はまるで己に剣を突き立てるかのように激しく揺らぐ。




「——……」



「……君は、まだ何も言ってない。

 俺も、まだ何も聞いてない。


 もう一度、よく考えてくれ。

 君を、こんなところへ半ば無理やり引き込んでしまったのは、俺だ。

 この先、君が後悔するようなことには、したくない。——絶対に」




 俺は、膝の上に拳を力一杯握る。



「——……

 もう、散々考えました」



 緊張に張り詰めたような彼の肩が、小さく揺れた。



「……最初は——

 あなたに引き込まれた場所が、あんまり居心地良くて、幸せで……どうしようもなく怯えました。

 散々悩んで、自分に散々揺さぶりをかけて——この気持ちから、何とか目を逸らしたいと思った。逃げたいと思った。


 なのに……

 俺はやっぱり、ここへ戻ってきてしまう。どうしても。

 必死に否定しようと思えば思うほど、自分の本心を見せつけられる。


 ——俺はこれ以上、自分自身の本心から逃げられません」



 全身の力を込めて、俺は真っ直ぐに彼を見つめる。



「俺は、あなたの隣にいたいんです。

 ——もう、お試しではなく」




「……」


 俺の言葉にふうっと大きな息を一つ吐き、彼は二口目のビールを大きく呷った。

 静かにテーブルへ置いたその缶を、じっと見つめる。

 その眼差しを動かさないまま——意を決したような低い呟きが響いた。



「————本気にするぞ」


「そうしてもらわなければ困ります」



 自分の気持ちは、もう動かない。

 嫌という程、俺はそれを知っている。


 これまでの、どのシーンを思い返しても。

 そうすればするほど。



「俺は——あなたが好きです」




 やっと、彼は俺へ顔を向け——

 まるで迷路を抜け出た子供のように、どこか泣きそうな笑顔になった。









「——ここへ来て。

 君の気持ちが、本当なら……君から、ここへ来て欲しい」


 どこかおずおずとそう囁く彼の腕の中に、身を寄せる。

 優しく包まれたその胸に額を寄せ——彼の匂いを吸い込んだ。



 ああ——

 やっと、ここに辿り着いた。


 バカみたいに遠回りをして——

 だからこそ、はっきりとわかる。

 俺の探していた場所は、他のどこでもなく、ここなんだと。




「——君を、一生縛ろうとは思わない」



 その時——

 俺の耳のすぐ側で、彼がそう囁いた。




「——……」



「もしも、いつか小宮山のように、君の心をそっくり攫っていく女子が現れたら——その時は、潔く身を引くつもりだ。

 君は、いつでも自由だ……このことは、覚えておいてほしい」



 その言葉に、俺はぐっと頭をもたげると、彼を強く見つめ返した。


「——あなたは、思ったよりムードを作るのが下手ですね」




「…………」



「今、こうしているときに……俺がそういう言葉を聞きたいと思いますか?

 あなたの俺への気持ちは、そんなに浅くて緩いんですか?


 俺は今、あなたに本心を全部告白しました。

 ——あなたの本当の気持ちを、ちゃんと俺に聞かせてください」



 俺に回る腕に、ぐっと強い力がこもる。

 思い切り、彼の胸の中に引き寄せられた。



「——……

 もう、離さない。

 絶対に。


 どこへも行くな。

 君は、俺だけのものだ」


 

 例えようもなく熱い何かが、胸の奥に込み上げる。

 思わず彼の背に手を回し、力一杯抱きしめた。

 溢れ出すものを隠すことなど、もうできない。



「——いつでも自由だなんて、もう言わないでください。

 俺をしっかり掴んでいてください。


 あなたの温かさの中にいることが、俺の最高の幸せです。

 俺は、ここを誰かに明け渡す気はありません。——多分、これからもずっと」



「当たり前だ。

 ここは、永久に君だけの場所だ」



 胸の奥を締め付けるように甘い眼差しが、俺を見つめる。

 彼の指が、壊れ物にでも触れるかのように恐る恐る俺の頬に触れた。




「——……」



 まるで調子の悪いロボットのように、彼の動きはそこから先へ進まない。


 指を微かに震わせ、激しい狼狽を露わにしている彼の様子に、俺は思わず小さく吹き出した。



「初詣の時は、あんな秒速で持って行こうとしたくせに」


「……我ながらとんでもないな」


「——今日は、俺が焦らされてる」



 俺の言葉に、彼はどこか困ったような微笑を浮かべ——

 そして、あの夜よりもずっと優しく、俺の顎を上向ける。



 そおっと、唇が重なった。


 さらりとして温かく、どこかに爽やかな香りの漂う、その感触。





 ——こうしてみて、初めてわかる。

 硬く鍵をかけていたものが、一気に溢れ出してくるかのように。



 きっと、あの夜から——俺はずっと、これを欲しかったのだと。




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