接近
五十嵐さんと飲んだ翌週、月曜の朝。
俺は少し早く起きて、二人分の弁当を作っていた。
テーブルにランチボックスを二つ並べ、多めに作ったおかずを二等分して、彩りなどを考えつつ詰めていく。
「うん、今日もなかなか美味そうだ」
その出来映えに、俺はひとりうんうんと頷く。
先週末に飲んだ際、五十嵐さんは言っていた。
お試し期間中は、一緒に飲食した際の俺の代金は全て彼が持つ……というようなことを。
その気持ちは本当に嬉しいし、有り難い。
だが、俺は、女子じゃない。
「嬉しい♡ありがと♪」みたいな可愛い笑顔で済ます気にはとりあえずなれないし……お礼にチューだのハグだのという色っぽい方法で男を喜ばせるのは不可能である。——かっ仮に五十嵐さんが喜んでくれるとしても、俺が無理なのだ。
だからと言ってノーリアクションのスルーじゃ、彼がまた及び腰になるのは目に見えている。
——とにかく、俺なりに、何か気持ちを形にしたい。
そんなこんなで、俺は今、自分の弁当のついでに五十嵐さんのランチを準備しているわけだ。
幸いこういう仕事は好きだし……彼が普段とんでもなく粗食であることも、俺はよく知っている。
昼食など、ウィダ○インゼリーとかカ○リーメイトとか、じゃなければカップラーメンとか……とりあえず胃に何か入れておけばいい、というレベルのテキトーな食事なのだ。そういうところに無頓着なのもミニマリストの五十嵐さんらしいと言えばらしいのだが、健康にいいとは言い難い。
とは言え、毎日手作り弁当を彼のために……というのは、なんかさすがに寒いだろ?? 俺は彼の恋人でも、ましてやオカンでもないんだし。
彼に奢られるなどした際に、お返し的に……というやり方がとりあえず無難ではないか。
そんなことを思いつつ、適当なランチボックスと小さめでスリムなステンレスボトルを、昨日近所のショッピングモールで購入した。
朝一に豆を挽いて落としたコーヒーを、ボトルに注ぐ。時間が経っても香ばしく、なかなかに美味しいのだ。ちょいちょいやってることなので、別に面倒でもない。
大仰なランチバッグなどに入れてはむしろ目立ちそうなので、完成したランチボックスとボトルをその辺の適当な紙袋に入れた。
彼の隣で俺が何をやっても文句は言わない、という約束も取り付けてあるのだ。好きにさせてもらうぞ。俺の決定に関して、彼に拒否権はないのである。
*
出社すると、五十嵐さんはもうデスクでパソコンに向かっていた。
その手元には、何気にウィダ○インゼリーが……まさか朝昼ともそれで済ます気じゃねーだろうな?
「——五十嵐さん、おはようございます」
向かいのデスクの前に立ち、そう声をかけた。
「んー、おはよ」
彼は目の前の作業に集中しているようで、画面を見つめたまま適当にそんな返事を返す。
「……あの」
「ん?」
俺の何か言いたげな様子に気づき、彼はやっと視線を上げた。
「……えっと、実は今日……」
「五十嵐さん、おはようございます!」
なんとなく不明瞭にそう言いかけた横から、いきなり鈴を振るような澄んだ声が割り込んできた。
「……ああ。おはよう、
ふわりと、俺のすぐ側に甘い花の香りが漂う。
彼は俺から視線を外し、何か硬直するように俺の横に立った可愛らしい女子に挨拶を返した。
仲林
俺と同期で、総務部に所属する子だ。
小柄で華奢、透き通るような白い肌。
淡いピンクに染まる柔らかそうな頰。
くっきりと二重の美しい茶色の瞳、フワフワとウェーブのかかる栗色の長い髪。
まるで人形のように可愛らしいその容姿で、社内でも密かに噂の女子である。
つやつやピンクの可愛い唇を緊張したようにぐっと結び、彼女は鼓動がそのまんま漏れ出すような波立つ瞳で五十嵐さんを見つめた。
「あ……
俺、あとでいいんで」
その空気を察した俺は、ずいっと大きく後ろへ下がる。
「——……
僕に何か用事? 仲林さん」
とりあえずその要件を聞くために、彼は普段と変わらぬスマートな微笑で仲林さんに問いかけた。
「……あの……
今日、お昼休み……少し、お時間をいただけませんか?」
「……」
うーん。
五十嵐さん……昼の予定、入っちゃうか。
タイミング悪いが……これはまあ仕方ないんじゃないか。
……で。
五十嵐さん、なんて答えるんだろう?
聞こえてしまった会話に、俺はそんなことを考えながら何となしに五十嵐さんを見る。
その時、すっとこちらへ向いた彼の視線に、俺の心臓は不覚にもドキリと反応した。
「——んー。
仲林さん、ごめんね。
今日は、ちょっと予定あって」
一瞬で俺から視線を戻すと、五十嵐さんは穏やかな口調で彼女にそう答える。
「……そうですか。
なら……明日は?」
「うん——明日なら、大丈夫かな」
「わかりました。
でしたら明日のお昼、ここのカフェに」
彼女は、何かをメモした小さな紙をパッと五十嵐さんに手渡すと、呼び止める間もなくタタタっと小走りに廊下へ出て行った。
「…………」
なんというか。
微妙なもの見ちゃったなあ……
俺、いなきゃよかったなあ……マジで。
ってか、やっぱ今日の昼は五十嵐さん用事あったんだ。
彼のランチを作るときは、予定確認しなきゃ無駄になるなあ弁当が……
ぼーっとそんなことを思いながら佇んでいた俺に、五十嵐さんがすいと歩み寄った。
「……で。
君の話は?」
「……え……っと」
「ん?」
なんとなく言い淀んだ俺の顔を、五十嵐さんは少し前屈みになって覗き込む。
その柔らかく優しい表情に、俺はぎゅうっと変にどこかが詰まり……一瞬、言葉を奪われた。
なっっ……
なんだよ……?
これ、さっきの仲林さんにしてやるやつだろ……!?
い、いやいや、それはいい。
とっ、とにかく……落ち着け。
「……い、いえあの……
五十嵐さん、今日の昼用事あるんなら、いいんです……」
「ん、用事?
別にないけど」
「え……?
だって今、仲林さんにそう言ってたじゃないですか」
「いや。
君が、何か俺に用がありそうな顔してたから……。
——違ったか?」
彼は、間近で俺の目を見つめ、さらりと微笑む。
「……」
————はあはあっ。
この動悸息切れをなんとかしろ鍋王子め。
そうやって、あなたはいつも女の子たちの呼吸と鼓動と心を、一気に掻っ攫っていくわけですね……。
ふんっ。
しかしな、生憎だが俺は男なのだ。仮に一瞬そんなキラキラな言動に呼吸を乱されようが、そう簡単に生け捕れると思うな。
「……そういうことですか。
なら……
今日、外で一緒に昼食べませんか?
寒いですけど、天気良さそうだし」
「……は?」
「あなたの分、作ってきたんです。
食べてもらえないと、無駄になっちゃうんで」
「——……」
俺の言葉に、彼はデスクにおもむろに片手を突くと、何やら口元を手のひらで覆ってぐっと俯く。
「……
どうしたんですか」
「いや……なんでもない。
——それは嬉しいな」
なんだか、その表情はよく見えないのだが……
どうやら、彼を喜ばせることには成功したようだ。
ただ——
五十嵐さんを見つめる仲林さんの熱を含んだ瞳が、その後やけに何度も俺の脳を行ったり来たりした。
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