ムー大陸人 四

 銀髪ロリの人が地球上の全人類に向けて宣戦布告を行った。


 それが契機となった否かは知れない。


 ただ、結果として自身に対する当たりは、とても厳しいものに変化した。何がどのように厳しいかと言えば、真っ白な部屋で行われる質疑応答が、それはもう過激なものに移り変わった次第である。


「他に何か知っていることは?」


「ないです。なんにも、ないです……」


「素直に言わないと、もっと辛い目に遭うわよ?」


「…………」


 拷問って本当にするんだなって、今更ながらに実感した。


 右手も左手も、爪を剥がされてしまった。


 どうしてこんな酷いことをするんだろう。


 何も知らないって言っているのに、まるで信じてもらえない。


 約束してくれた美味しいご飯も、一向に出てくる気配がない。


「寝ていいとは言っていないわよ?」


 会話の相手は相変わらずブロンド美女の人である。


 こんな綺麗な顔をしているのに、素知らぬ素振りで恐ろしいことをする。その言葉通り、最後に眠ったのはいつ頃だろう。とても眠いのに眠らせてもらえない。おかげで体調は最悪である。


 ここに攫われてから、何日が経ったのか。


 時間感覚もほとんどない。


 っていうか、なんかもう死にたい。


「っ……」


 左手に強烈な痛みが走った。


 目を向けると、小指があらぬ方向に曲がっていた。


「この程度は拷問のうちに入らないわよ? さっさと喋りなさい」


「……知らないです。なんにも、知らないです」


「…………」


 受け答えする口調も覚束ない。


 こうして彼女とやり取りをしている以外にも、妙なテストを受けさせられたり、血を抜かれたり、お腹にメスを入れられたり、深いプールの中に溺れるまで閉じ込められたりと、訳の分からない行いを強制された。生きているのが不思議なくらいだ。


 人間っていうのは、なんて頑丈にできているのだろう。


「本当に何も知らないです。知らないですから……」


 自分にできることは、知らない知らないと、繰り返すばかり。


 そんなこちらの姿を眺めて、彼女はふぅとため息を吐いた。


「仕方がないわね。今日のところはこれで終えましょう」


「…………」


 今日は終わりらしい。


 でも、明日も続くらしい。


 なんてことだ。


 こんなの死んでしまうよ。主に心が。


 神絵師のお役人さんのところで受けた治験が恋しい。皆が優しくしてくれたし、ご飯も美味しかった。検査だって全然辛くなかった。どうしてここでは、こんなにも辛いことをするのだろう。もう少し優しくして欲しい。


 そんなふうに痛い思いをしながら、しばらくを過ごした。


 そうしてどれくらいの時間が経っただろうか。


 ある日、ブロンド美女の人が部屋の大きな画面に映像を映して見せた。


「これがなんだか分かるかしら?」


「…………」


 どこかの町が燃えている。


 どこかは分からない。日本じゃないのは間違いない。なんとなくだけれど、建物の雰囲気から欧米っぽい感じがする。遠くから写した映像なので人は米粒ほどだけれど、黄色人種はあまり見られない気がする。海外とか一度も行ったことないけれどさ。


 建物の多くは倒壊しており、そこかしこから火の手が挙がっている。まるで大震災の直後を思わせる光景だ。これを受けて現地の人たちは、右へ左へ逃げ惑っている。映像はそれを空から写したもののようだ。


「ムー大陸の人が攻めてきたんですか?」


「ええ、そうよ」


「…………」


「貴方はネオテニー、あるいは幼形成熟という言葉を知っているかしら?」


「……自分、中卒なんで、そういう難しいのは分からないです」


「生物の進化の過程で発生すると言われる、ある種のプロセスの一定の状態を示す言葉よ。ただ、その扱いについてはこれまで、議論こそ重ねられてきたけれど、具体的な作用を特定するまでには至っていなかったわ」


「…………」


「それが今回の一件で、確実なものとして考えられるようになった」


「……あの、自分には何が何やらさっぱりなんですけど」


「喜ぶといいわ。貴方たちアジア人は、ホモ・サピエンスの最先端よ」


「え……」


「あの大陸の超科学がそれを肯定したわ」


「あの、どういうことッスか?」


「大陸から優先して狙われているのは非黄色人種が人口の大部分を占める国。アジア圏はほとんど被害を受けていない。この事実と先の大陸人の発言を受けて、我々はそのように結論付けるに至ったのよ」


「……そうッスか」


 母国が無事なのは嬉しいけれど、だから何だよ状態である。


 それよりも早く開放して欲しかった。


 お腹とか、指先とか、弄くり回された部分がジクジクと痛む。


 ご飯も碌に食べれていない。


 アサリのお出汁が利いたお味噌汁が恋しい。


 食堂のお姉さんやオバちゃん、無事だといいのだけれど。


「そういう意味だと、ホモ・サピエンスという枠組みは既に古いわね。まるで自分がチンパンジーだと言い渡された気分だわ。せめてもう少し、私が死ぬまで海に沈んでいればよかったのに」


 お医者様という役柄、学術的な話題に敏感なのだろう。ブロンドの人の語りっぷりは、お酒に酔った中年オヤジの愚痴さながらだった。世の中の全てが信じられないと言わんばかりである。これまでの超然としていた姿とは、一線を画して思えた。


 このままだとDVが酷くなりそうなので、慰めの言葉を掛けよう。


「これまでを支えてきた実績のある凄い人たちと、現在進行系で頑張っている人たち、最後に次世代への可能性。役割分担ができてていいじゃないですか。各々で協力すれば無敵ッスよ。それに可能性はあくまで可能性でしかない訳で」


「日々のほほんと生きている貴方たちは、それでいいのかも知れないわね。まあ、自閉症スペクトラム障害とギフテッドを併発している2Eの貴方には、私たちとは違った形で世界が見えているのかも知れないけれど」


「…………」


 割と一生懸命に生きているつもりだけど、そうは見られていないようだ。


 あと、サラッと妙な病名を挙げられたの怖い。


 おかげで今日はブロンド美女の人の機嫌も悪くて、とても大変な目に遭った。




◇ ◆ ◇




 一日が終わってようやっと訪れた、僅かばかりの睡眠の時間。


 ベッドに身体を横たえる。


 すぐにでも眠りたいと思う意志とは裏腹に、ジクジクと痛む手やらお腹やらのおかげで、その日もまた眠るに眠れない時間を過ごしていた。舌を噛んで死ねたら楽だろうに、などと考えても、その勇気がない惨めである。


 中途半端に噛んで生き残ったら、翌日から猿ぐつわを追加されそうだし。


「…………」


 ムーちゃんちのフカフカのベッドが恋しい。


 いいや、そんな贅沢は言わない。


 六畳一間のオンボロなアパートに敷いた煎餅布団で十分である。


 自宅とバイト先を往復するだけの人生が、如何に幸福であったか思い知った。同時にそれ以上を望むのであれば、ただただ疲弊するだけの人生があると理解して、なんだかとっても疲れてしまった。


 もう全部まとめて終わりにしたい気分。


 縫われたばかりのお腹が痛い。


 シャツを捲って確認してみると、ガーゼに血が滲んでいる。


「…………」


 なんか疲れた。


 今なら駅のホームへ転落する人の気持ちが理解できる。


 心が疲れてしまったら、もうどうしようもない。


 心は身体ほど頑丈にできていないんだと理解した。


 だからこそ、大切にしなければならない。


「……はぁ」


 ただ、その余裕が今の自分にはない。


 そもそもここはどこなのだろう。


 日本じゃなかったりするのだろうか。


 訪れた当初は真っ白であった部屋も、度重なる尋問を経たことで、ところどころが赤黒く染まっている。見ていて憂鬱な気分だ。もしもこの為に真っ白な部屋を用意したのだとすれば、とんでもなく意地の悪い人たちである。


 あぁ、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 それよりも早く寝ないと。


 寝て少しでも体力を回復しないと明日が辛い。


 過去、彼女みたいな人に襲われずに済んでいたのは、もしかしたらムーちゃんが陰ながら撃退してくれていたからなのかも知れない。ハローワークでお仕事をもらったときなんか、割と一人で好き勝手に出歩いていた。ランチとか行っていた。


 そう考えると、殊更に彼女のことが恋しく思えてきた。


 ただ、既に彼女は別の人の下で働いている。


 ぽっと出の自分が、これに縋ることはできない。


「……あっ」


 瞳を閉じようとした瞬間、目の前に文字が浮かび上がった。


 何もない空間に、文字だけがぼんやりと見える。


 咄嗟に飛び起きようとしたところで、そうして見えた文字の指示に従い、身体に急制動を掛ける。シーツの上に仰向けになって寝転んだ自身の正面、目と鼻の先には「驚かないでください」との文字が並んでいた。


 驚いちゃ駄目らしい。


 そういうことなら驚かないでおこうと思う。


 仰向けに寝転んだまま、文字に注目する。


 すると文字はこちらの反応を理解してか、内容が変化した。


『私はムーです。この場を脱出する算段が整いました』


「っ……」


『時間が掛かったことは申し訳なく思います。あの場に別組織の人間が突入するとは想定外でした。大陸のシステムに気づかれず今回の状況に対処するため、準備に時間が掛かってしまいました』


 マジですか、思わず呟きそうになったところで、これを押し止める。


 だってこちらのお部屋、絶対に見張られているもの。スパイ映画なんかだと、捕虜の放り込まれた牢獄に監視カメラは必須である。今も現在進行系で誰かが監視しているに違いあるまい。


 だからこそ、驚かないで下さい、なのだと思う。


 それじゃあ、何もない空中に文字列が浮かんでいるのは、傍目に大丈夫なのかと疑問に思った。何気ないふうを装い身体を起こして、文字を横や後ろから確認してみる。すると、ベッドの枕元側以外からは、まるで確認できなかった。


 ムーちゃん、凄い。


 そういえば以前、自宅が襲われた際にも、何もないところから急に卵型の物体Xが現れていた。あれと同じものが、今も顔の正面に浮かんでいるのかも知れない。そう考えると納得がいく。


「…………」


 軽くストレッチをする振りなどして、再びベッドに横になる。


 すると目前の文字が変化した。


『理解して頂けましたか?』


「…………」


 小さく顔を縦に振って応じる。


 どうやらムーちゃんからはこちらの様子が確認できているようだ。


 僅かな反応を受けて文字は変化を見せた。


『この場を脱してムー大陸に戻る意志はありますか?』


 そんなの決まっている。


 ここから逃げ出せるなら、どこへだって行きますとも。


「…………」


 他所からみて不自然でない程度に顎を動かして応じる。


 そんな感じで、摩訶不思議な空中の文字と会話を続ける。


『ありがとうございます。それでは私の指示に従い動いて下さい。機動ポッドを複数用意しました。こちらの施設に対して十分な兵力です。ちゃんと指示に従ってもらえれば、安全に脱出することが可能です』


「…………」


 ムーちゃんってば、なんて頼もしいんだろう。


 惚れてしまうよ。


『それでは行きます』


 面前で文字が変化した直後、真っ白な部屋に変化が訪れた。


 廊下に通じる出入り口のドア正面に、いつぞや目撃した卵型のレーザー兵器が三つほどお目見えした。直後、どれだけ叩いても一向に開く気配のなかったドアが、スッと何の抵抗もなく開いた。


『こちらの施設のシステムは、既に我々が掌握しております』


「なるほど」


 間髪を容れずに届けられたのは、耳に覚えのある音声である。


 ドアが開くのに応じて、文字から音声に情報伝達の方法が切り替わった。同時にそのシルエットが明らかとなる。空中に文字を映し出していたのも、ドア正面に現れた三台と同じデザインの空飛ぶ卵である。


『体調は大丈夫ですか?』


「良くはないッスけど、頑張るんでお願いします」


 気遣ってもらえるなんて、嬉しい。超嬉しい。


 ここ数日、辛く当たられてばかりだったら、涙が出そうだよ。爪を剥がされたのも、手だけで良かった。もしも足の方まで剥がされていたら、歩くのとか絶対に大変だったと思うもの。万が一にも骨とか折られていたら、きっと頷けなかった。


『承知しました。では出発しましょう』


「うぃす」


 検査着のまま部屋を後にする。


 ムーちゃんの用意してくれたレーザー卵が、我々の行く先を先導するように飛ぶ。三台の内、二台が先行して、一台が後ろに回っている。また、文字を担当していた一台はすぐ隣に控えて下さっている。なんて心強いのだろう。


『施設のドアをすべてロックしました。しばらくは敵との遭遇もありません。施設内のマッピングは既に完了しておりますので、安心して先導するポッドの後ろに続いて下さい。可能な限り戦闘は回避します』


「やっぱりムーちゃんは凄いッスね。最高ですよ」


『大したことではありません』


 ドアをロックしたというのは本当のようで、廊下にはまるで人気が感じられない。これ幸いと我々は進んでいく。途中で部屋の内側から、ドンドンと壁を叩くような音が聞こえたりもした。


 合計四台のレーザー卵は、こちらの走る勢いに併せて、ピタリと付いて来てくれている。過去、彼らの性能を目の当たりにしていたことも手伝い、廊下を駆ける足にはこれといって迷いもなかった。


「ところで、今の自分にはムー大陸の管理者権限っていうのが無いと思うんですけど、こういうことをしちゃってもいいんですか? 後でムーちゃんが大陸の人に文句を言われたり、悪いようにされたりしちゃったりしたら、それはそれで辛いんですけど」


『その点については、ここを脱してから説明をします』


「あ、はい。了解ッス」


 何はともあれ脱出が最優先とのこと。


 ありがたい限りである。

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