帰宅 二
斎藤さん一派の襲撃で自宅は酷い有様である。
そもそもどうして彼らは、こちらの中卒がムー大陸に関連していると知り得たのか。去り際に確認したところ、大陸浮上の前後で、界隈を行き来していた船舶の乗組員を網羅的にチェックしたのだとか。
その中で上陸した可能性のある人物の住まいを、遠くから監視していたらしい。そうした彼らのチェック網に引っかかってしまったのだ。自身の他にも何人か、色々な国や地域で、監視を受けている人がいるのだとか。
ムー大陸の技術は間違いなく凄い。ただ、現代社会の技術や執念もまた十分に凄いと思った。それだけの情報から個人を特定するだなんて、映画の中の出来事だとばかり考えていたた。おかげで背筋が震えた。
「申し訳ありません。ご主人の部屋を散らかしてしまいました」
「いえ、部屋の修理費はあの人が持ってくれるってことなんで……」
弾痕の残る壁やら何やらの修繕に関しては、斎藤さんの方で支払い含めて面倒を見てもらえるように交渉した。それでも当面の住処に関しては、ムー大陸に居候させてもらう必要がありそうだ。
実家とは絶縁状態だし、自分にはここ以外に住処と呼べるような場所はない。
「申し訳ないんですけど、しばらくお世話になってもいいッスか?」
「はい、そのようにお願いします」
「ど、どうもです」
良かった。ホームレスは回避だ。
いや、待てよ。
ムーちゃんちに居候したとしても、日本国籍的には住所不定になっちゃうんじゃなかろうか。日本国内に住所を持っていない訳だし。そうなると次に賃貸決めるとき、めちゃくちゃ大変になる。ただでさえ保証人とか居ないから。
今まで住んでいたここも、借りるのに苦労した。
色々とあちこち頼み込んで、頭を下げて、本来より少し多めに支払って、ようやっと住民票を移せたという経緯がある。そう考えると、どうしよう。せめて書面上の住所くらいは、確保しておきたい気分なんだけれど。
「…………」
「……あの」
考え事をしていると、ムーちゃんからトークの兆し。
「なんスか?」
「ご主人の部屋を滅茶苦茶にしてしまいました。すみません」
謝罪の言葉と共に、ペコリと頭を下げて見せるムーちゃん。
形の良い旋毛が目の前に顕となる。
「いやいや、別にムーちゃんのせいじゃないっしょ」
「ですが一連の出来事は、事前に想定の範囲内であり、これに対応することも可能でした。ご主人の住まいを優先するならば、私はそのように手を打つべきでした。無遠慮に連れ出したことは私の過失です」
「少しは愛着はあるけど、そこまでじゃないんで」
「……よろしいのですか?」
「ぶっちゃけ、次の引っ越しの時に困るっていうのが一番大きいんスよ。最近は賃貸も随分と借りにくくなってて、本当に苦労したっていうか。いわゆる空白期間みたいなのが伸びると、更に借り難くなってくるし」
「なるほど」
ムーちゃんちにお世話になっている間は大丈夫だけれど、もしも放逐された時、住所がないって人生詰むじゃん。まず間違いなくホームレスだよ。マグロ漁船どころの話じゃない。まだ漁船の方が夢がある。
「…………」
一応、努力の跡くらいは残しておくべきだろう。
後々で行政の世話になった時とか、有利に働くかもしれない。
「あの……」
「ムーちゃんちに住所変更とか出したいんスけど、試してみていいですか?」
「え? あ、はい」
やったぞ、仮住まい先の許可をゲットだ。
とりあえず、ダメ元で管轄の市役所まで行ってみよう。
◇ ◆ ◇
結論から言うと、市役所の窓口を勤めるお姉さん大混乱。
「あの、こちらにある住所欄なんですが……」
「え? あ、はい」
「……転出先、ムー大陸、ですか?」
「駄目ッスかね?」
住所欄、めっちゃ書きやすかった。
いつもは都道府県から始まって、番地にアパート名、部屋番号までが長々と連なっていた部分が、ムー大陸、の四文字で済むの想像した以上に快感だった。なんだか癖になりそう。無性に書類を書きたい気分。
「ムー大陸というのは、最近のニュースでやってる……」
「ええ、それです、それ」
やはり、ムー大陸が急浮上した件に関しては、本国でも話題になっているらしい。というか、フロアに設けられたテレビでは、なんということだろう、今し方に発生した我が家でのバトルがオンエアされているではないか。
ムーちゃんが言ってたこと本当だった。
自宅の風景、ネット流出しちゃったよ。
ちなみに映像の主役は、斎藤さんと彼が率いていた兵隊さんたち。それと画面の隅にチラリと、ムーちゃんの姿が入り込んでいた。それがテレビ局の処理により、ズームアップされていたりする。
おかげで受付のお姉さんの視線は、テレビとこちらとで行ったり来たり。
ムーちゃんほどの美少女、世の中に二人と見つけることはできないだろう。だからこそ、きっと信じてもらえるのではなかろうか。ちなみに自分はというと、幸い画面には入っていなかった。よかった、顔バレはしていない。
「……あの、しょ、少々お待ち下さい」
「あ、はい」
カウンター越し、駆け足で奥の方に引っ込んでゆく受付のお姉さん。
これを見送ることしばし。
取り立てて何をするでもなく、呆けて過ごす。
すると数分ばかりして、どたばたと慌ただしく男性の職員が数名ばかり、こちらに向かいやって来た。その後ろの方には、カウンターで受付をしてくれたお姉さんが申し訳なさそうな表情で続いている。
たぶん、彼らが面倒を見てくれるのだろう。
「あ、どうも」
「これはこれは、どうぞ奥のほうで詳しいお話を」
「え? あ、はい」
言葉を語ってみせるのは、先頭を歩む壮年の男性。
とても高そうなスーツを着ている。底辺的にはスーツを着ている相手を見ると、自然と萎縮してしまう。ここ最近は普段着と大差ない価格まで落ちてきている筈なのに。イギリスだとホームレスでもスーツを着てるらしいぞ。
衣服としても着心地は最悪だし、洗濯機で洗えないし、良い所なんて何一つもない。個人的にはネクタイに次ぐ悪しき人類の発明だと思う。上下スウェットが正装になってくれたら、日本国民の生産性も向上すると思うんだけれど。
「こちらです」
「え? 窓口ってここじゃないんですか?」
「奥で詳しい事情を伺いましょう」
「……うぃす」
促されるがまま、人で賑わうフロアから別所に移動する運びとなった。
◇ ◆ ◇
通された先は役所の上の方のフロアに所在する応接室だった。
下級市民にとってのお役所というと、安っぽいパイプ椅子だとか、パッと見た感じ学校の職員室を思い起こすデスクだとか、そういったアイテムが並ぶ様子を想像する。しかしながら、同所に限ってはいささか趣が異なった。
値の張りそうな来客用を思わせる様相は、中学校の校長室を思い起こす。
だって足元に絨毯とか敷いてある。
「不躾ですまないが、君は本当にムー大陸から来たのかね?」
足の短いテーブルを挟んで向かい合わせ、対面のソファーに腰掛けた男性が問うてきた。お高そうなスーツ姿を着ている壮年男性だ。隣には彼に続いていた職員の一人、もやし体系の中年男性が座っており、パソコンをカタカタと操作している。他の職員は部屋の外だ。
「いえ、自分は歴とした日本国籍の日本人ッスけど……」
「どういうことだね? 映像の本人という話ではなかったのかね?」
リッチスーツな彼が、隣のもやし系男子に問い掛けた。
「ま、間違いありません。このとおりです」
問われた彼はノートパソコンの画面をリッチスーツに向ける。
そこにはクローズアップされたムーちゃんの姿が映った。
受付フロアのテレビで流れていたものと同じ映像が映し出されている。絶妙なアングルからの鮮明な映像、プロ顔負けのスタイルで撮影されている。それもこれもムー大陸の超絶技術の賜物なのだろう。ムーちゃん可愛い。
「……なるほど、たしかに」
「あの、一時的には滞在してました。それは間違いないっス」
「一時的?」
問われたところで、素直に自らのこれまでの境遇をご説明だ。
マグロ漁船に乗っていたこと。余りにも使えなくて海にドボンされたこと。そのまま意識失ったこと。気づいたらムー大陸に打ち上げられていたこと。そこでムーちゃんと出会ったこと。ムー大陸は非常に先進的な大陸であったこと。
「な、なるほど……」
一頻りを語ってみせると、リッチスーツは引き攣った表情で頷いた。
いきなりそんなことを言われても、やっぱり困るよな。
自分だったら絶対に困るもの。
っていうか、絶対に作り話だと思うよ。
「つまりなんだ、そちらの娘さんが大陸の管理人の方なのかね?」
「そうっスね。ムーちゃんです」
皆々の視線がムーちゃんに向かう。
ムーちゃんマジ可愛い。オカッパなブロンドヘアーが、クールな眼差しと相まって知的美少女。居合わせた大人たちの注目を受けても、まるで動じた様子がない。メガネとか絶対に似合うと思う。お願いしたら着用してくれるだろうか。
「当人は色々と言っていますが、ムー大陸の全権管理者は彼です」
自身に視線が集まったことで、ご本人が口を開いた。
続けられたのは、ムー大陸上陸当初に聞いたような台詞だ。
「……そうなのかね? 今の口ぶりでは君のように思われるが」
「いいえ、大陸沈没時の取り決めにより、最も最初に上陸した者に大陸の全権限を委譲することが定められています。これが拒否された場合、大陸は所定のカウントの後、二度と浮上せぬよう海に沈みます。
「え? マジっすか」
それは聞いてなかったよムーちゃん。
っていうか、再沈没って怖くない?
あれだけ大きな島がドボンしたら、津波とか起きそうだし。
「マジです。管理者権限の再発行が行われることはありません。沈没後、大陸は海中で爆散し、二度と復旧されることはなくなります。それは私としても、あまり望ましい未来ではありません」
「そ、そりゃまあ、沈没は嫌ですよね……」
よかった、訝しんだ末に拒否とかしなくて。
ちょっとビビっている自分がいる。
一方で興味津々、身を乗り出して問うのがリッチスーツ。
「なるほど? つまり彼こそがムー大陸の管理者であると」
「はい」
粛々と頷くムーちゃん、秘書っぽくてかっこいい。
最高にクール。
これは負けてはいられないな。
そう考えたところで、自ずと口は動いていた。
「それであの、じゅ、じゅ、住所変更の件なんですが……」
強気で事に当たらねば。
ムー大陸で過ごすムーちゃんとの生活は天国だ。主にお風呂で背中を流してくれるシチュエーションが天国だ。こればかりは譲れない。ここは是が非でも新しい住居として認めて頂きたいところである。
すると、先方からのお返事は思ったよりも簡単に頂戴できた。
「……わかった。君の住所をムー大陸に移すことを認めよう」
「え? そ、そんな簡単にいいんですか? 結構遠いッスよ?」
ぶっちゃけハワイの一歩手前あたり。
日付変更線を跨いで存在している。
ムーちゃんに確認して、地図で見たから間違いない。
「ただし、そこを日本国民の住所として定めるに当たっては、色々と手続きが必要だ。分かりやすく言うと、たとえば郵便番号を付与する必要がある。住所として地名を登録しなければならない。こういった諸々の条件を飲んでもらえるかね?」
「ムーちゃん、いいッスか?」
「その程度であれば構いません」
よかった、思ったよりも簡単に承諾を頂けた。
どうにかホームレスは回避できそうである。
「大丈夫みたいなんで、そういう感じでお願いします」
「ああ、ではそのようにしよう」
「あ、それで郵便番号なんですけど、できればお願いしたいことが……」
自動車のナンバープレートにゾロ目を付けたくなる人の気持ち、今なら分かる。
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