就活 一
なんでも細かな手続きに関しては、役所の方で上手いことやってくれるそうだ。たらいまわしが得意技のお役所仕事にしては、至れり尽くせりと称しても過言ではない好待遇である。我々は口頭でのやり取りだけで、お役所を後にする運びとなった。
「これからどうしますか?」
エントランスから外に出た直後、ムーちゃんに尋ねられた。
「え? あぁ、これといって予定はないんスよね……」
無事に住民票は移せそうだし、当初の目的は達したに等しい。
残りは賃貸契約の解約や、電気ガス水道、光回線や携帯端末の停止だ。こちらは新規に結ぶわけではないから、解約の意思さえちゃんと伝えれば、そこまで苦労することなく行えるだろう。たぶん。
「それではムー大陸に戻りませんか?」
「ムーちゃん的には戻りたい感じっスか?」
「私がというより、貴方がムー大陸にいてください」
「なるほど」
ムーちゃんは束縛するタイプの女なのだろう。
しかし、居て欲しいと言われるほど、居たくなくなるのが男の性だ。
困った顔のムーちゃんも見てみたい。
「ペットとか連れて帰ってもいいッスか?」
「ペット、ですか?」
「昔から犬とか飼うの夢だったんですよ。あそこなら大型犬の飼育も、決して夢じゃないと思うんですよね。できれば子犬から育てて、一緒にフリスビーとかできる間柄のワンちゃんが欲しいなとか思いまして」
「大型犬ですか」
「やっぱり駄目ッスかね?」
小型犬と比較して、しつけや世話が大変らしい。
部屋も臭くなるという。
やっぱりペットはダメだろうか。
「いいえ、なんら問題ありません」
「マジですかっ!?」
やった、飼ってもいいらしい。
ムーちゃん優しい。
「承知しました。早速ですが、ペットショップに向かいましょう」
「ありがとうございます、ムーちゃん」
やった、嬉しい。大型犬、めっちゃ嬉しい。
◇ ◆ ◇
電車を乗り継ぐことしばらく、都内有数のペットショップにやってきた。
大きな商業施設の一角に軒を構えた同店舗は、正面におもちゃ屋が並んでいることもあって、子どもたちの姿が多く窺える。おかげでキャッキャウフフ、とても賑やかな店内だ。これぞまさにペットショップ、みたいな感じ。
これに混じって底辺野郎も絶賛、キャッキャウフフしている。
「すごっ、犬すごっ! めっちゃ沢山いるっ!」
癒やされる。こいつは癒やされてしまう。
これでもかと、わんにゃんランドしている。
「どれになさいますか?」
ムーちゃんから問われた。
「そうっすね! 自分としてはやっぱり、ゴールデンレトリバーとかいいと思うんですよ! 室内で生活の場を共にすることで、生まれる絆ってあると思うんですよ! なんていうんスかね? ほら、互いに寄り添う感じ? そういうの、いいじゃないですか」
「そうですか」
「ほらっ! こいつ! こいつとか最高にゴールデンじゃないッスか!」
「それはノヴァ・スコシア・ダック・トーリング・レトリーバーの子犬です」
「え? なんスかそれ」
歴史の教科書で眺めた、昔の西欧貴族みたいに名前が長い。
もしかして偉い系だろうか。
「レトリーバーとしては最も小型です。犬種全体としても中型となります」
「…………」
「成熟してもゴールデンレトリーバーのように大きくはなりません」
なるほど、どおりで目が小さいと思ったんだ。目が細い細いと世界各国より定評のあるアジア人的に考えて、今まさに一重を晒すブサメン野郎としては、そのフェイスに親近感を感じていたのだけれど。
でも、中型犬ではダメなのだ。中型犬では。
「……悪いな、ノヴァ、少しばかり勘違いしていたようだ」
ぶっちゃけ、犬種とかサッパリだ。
改めて視線を巡らせる。
すると、幾つか隣のケージにゴールデンの文字が。
「あった! ムーちゃん、コイツですよね? コイツっ!」
店内を駆けまわるちびっ子に混じって、ゴールデンな相棒の下に駆ける。
ケージの中には、今し方に眺めたノヴァなんちゃらと同じような子犬の姿があった。賑やか極まる店内にも関わらず、うつらうつらと船を漕いでいる。なんてラブリーなんだ。流石はゴールデンレトリバー。
「はい、そのようです」
「コイツにしましょう! コイツにっ……」
ケージの隅に掲げられた価格を眺めて、続く言葉を失う。
だって、四十万円。
「……ムーちゃん、やっぱり、ここで買うのは止めとこう」
「よろしいのですか?」
子犬ってこんなにお高いのかよ。
どうしよう。
「……金銭的な問題ですか?」
「え? あ、ええまあ、その、なんというか……」
ふと思い返してみれば、ムー大陸では日本円を稼ぐ方法がない。完全に自給自足だもの。食品や飲料水はおろか、工業製品やインターネットエクスチェンジまで自前で揃えている。完全に大陸内で生産と消費が完結している。
「ご想像の通り、ムー大陸には日本円の蓄えがありません。しかし、ご主人が望むのであれば、今この瞬間にでも都合することが可能です。お使いの携帯端末をこちらにどうぞ。すぐに入金致します」
「いや、それダメな方法でしょ。これから増える新しい家族が、ちょっとアレな方法で稼いだお金で買われてきたとか、ブリーダーとして心穏やかでいられないんッスけど。素直に愛せる相棒が欲しいっていうか」
「……そうですか」
おう、ちょっと残念そうなムーちゃん。
クラッキングに対して、あまり罪悪感はなさそうだ。
「つまりあれですよ。家族をお迎えするには、お金を稼ぐ必要があると」
「こちらの子犬を欲するのであれば、そういうことになりますね」
「……ムーちゃん、ちょっと不機嫌?」
「いいえ? そのようなことはありません」
自身も手持ちは非常に寂しい。そうでなければマグロ漁船など乗っていない。銀行口座にはキャッシュディスペンサーで引き出せ無かった百数十円が残るばかり。財布にもお札は皆無である。
今更ながら、犬を買ってる場合じゃないよな。
「ムーちゃん、仕事とか探そうと思うんスけど」
「働かれるのですか?」
「健康な心身の維持には、程良い労働が最適らしいっス」
他人から働けと言われると、是が非でも働きたくなくなる。しかし、こうして自発的に意義を見つけると、無性に働きたい気分になってくる不思議。ただまあ、それもこれもムー大陸という逃げ場があってこその余裕なのだろうけれど。
「……なるほど、その意見には賛同いたします」
「それじゃあ、とりあえずハローワークにでも……」
「住居は大陸内に取って頂きます。それでもよろしいですか?」
「え? あぁ、それはもちろんッスよ。こちらこそお願いします」
自宅は斎藤さん率いる外人部隊の来襲で滅茶苦茶だ。寝泊まりするのは厳しい。それにリベンジされる可能性だった十分にある。そう考えると、とてもではないけれど同所で寝起きする気分にはなれない。
これに対してムー大陸のなんと快適なこと。
「それではハローワークに向かいましょう」
「うぃす」
ムーちゃんに促されるがまま、向かった先は管轄のハローワークだ。
◇ ◆ ◇
思い起こせば、ハローワークを訪れるのは初めての経験だ。
仕事といえば日雇い。そんな生活を送ってきた中卒野郎には、ハローワークなる上等な就職活動は、身分に合わない行いであった。それでも今なら、ムーちゃんと一緒の今なら、チャレンジできるのではないかと思える。
そんなこんなで必要書類を携えて、順番待ちの列に並ぶことしばらく。
目前には同所で窓口を担当する中年女性の姿が。
「すみません、仕事を探しているんですが……」
「書類を受け取りました。そちらのパソコンで検索して下さい」
「え? あの……」
「書類を受け取りましたので、そちらのパソコンで検索していて下さい」
「……はい」
どうやらパソコンで検索しなければならないようだ。
了解である。
まるで要領は知れないが、次にやるべきことだけは判明した。
「ご主人、さっさと検索して終えましょう」
「そうっスね」
ムーちゃんに先導されて、指示されたとおりパソコンに向かう。
幸い一つだけ開いていた端末があったので、これに向き合うことにした。画面には職探しの案内が表示されており、希望する条件を入力すると、検索結果を一覧にして出してくれる仕組みだった。
「えぇと、できれば月収は多い方がいいよな……」
土曜と日曜はちゃんと休みたいし、雇用形態もバイトやパートでなく社員がいい。やっぱり時代は正社員だよな。社会的信用ってやつが段違いだと思うんだ。交通費はムーちゃんがいれば必要ない。あと、資格の欄とか発見。
もしかして資格に合ったお仕事とか紹介してくれるのだろうか。
「どうかしましたか?」
「え? あぁ、いや、ちょっと気になって……」
昔、学校の先生に言われて取った資格を思い出した。
今の今まで取ったことを忘れてたやつ。
「一総通……一総通……一総通……」
ないじゃん。
だめじゃん。
「妙な資格をお持ちですね」
「中学の頃に教師が受けろっていうから受けたんスよ」
改めて思い起こしてみると、あの人くらいだったな、まともにこっちの話を聞いてくれたの。おかげで今もこうして、紛いなりに人として生きて行けている気がする。今も元気でやっていればいいのだけれど。
「経験に乏しい十代にとっては、それなりに難易度の高い資格だと思われますが」
「自分、仕事はからきしなんスけど、好きなものは意外とイケる感じで」
「……なるほど」
とはいえ、仕事がないのでは意味が無い。
やっぱり資格なんて意味ないよな。
大切なのは万人に好かれる職歴だって、誰も彼も言ってるじゃん。ご飯を食いっぱぐれない為にも、見栄えの良い履歴書こそ人生の宝物なんだよ。冷静に考えれば遠方マグロ漁船に搭乗って、かなり引かれるタイプの職歴である。
とりあえずあれだ、一番給料の高いところにしよう。そうすればゴールデンレトリバーをお迎えする日も近づくというもの。キーボードをカタカタとやって、労働条件欄から月給の指定を四十万に。
「マジかよ、三桁も出てきたし……」
「……あまり素直に受け取らないほうがよいかと」
「そうなんスか?」
「給与欄の上限に関しては、今まさに行われているような検索への対応です。そちらの額が支払われることは滅多にありません。下限の方を基準に考えるべきかと思われます。特に上限と下限の差が大きい場合には十分な注意が必要です」
「なるほど」
自分より日本の雇用情勢に通じているムーちゃん凄い。
そうなると四十万くらいじゃ駄目だな。ここは一つ、百万円で行かせてもらおう。今一度、キーボードをカチカチとやって、労働条件を新しく指定する。すると、それでも出てくること出てくること。
「二十万から百万って、やばくないッスか?」
「先程申したとおりです」
「…………」
ブラックだブラックだと言われているけれど、想像した以上にブラックだ。どれだけ嘘が紛れ込んでいるんだろう。真実を探す方が困難なのではなかろうか。本格的に危ういぞ、このリスト。検索する手が震えてしまいそう。
「どうされますか?」
「えっと、それじゃあ……」
あまりまじめに選んでもバカを見そうだ。
適当に面白そうな職種でチョイスさせて頂こう。
「あ、これとか良さそうじゃないッスか? 幹部候補生っ! 月給四十万!」
高給取りってやつだよ。
最低四十万から、最高百万まで。
流石にこれなら大丈夫でしょ。
ちゃんと最低が四十万円って書いてあるし。
「…………」
「どうですかね? ムーちゃん」
「……ご主人が望むのであれば」
「それじゃあこれでっ!」
ムーちゃんの承諾も頂戴したので、カウンターへ再突撃。
すると今度は職員の人も応じてくれた。書類に名前を書いたり何を書いたり、あれやこれやと手続きを進める。正直、どういった仕組みになっているのかはさっぱりわからない。それでも仕事がもらえるなら問題はないでしょう。
なんたって幹部候補だからな。幹部候補。
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