就活 二
翌日、二度の電話連絡を経て訪れたのは新しい仕事先。
マグロ漁船なんて目じゃない、都内の立派なビルにオフィスを構えた会社である。外観とかメッチャピカピカしてた。こういうところって大卒じゃないと入れないと思ってた。おかげでめっちゃ興奮するよ。
一階のエントランスで受付を済ませて、目的のフロアまでエレベータ。
ウィーンと移動している最中のことだ。
「おかしいですね……」
ムーちゃんが怪訝そうな顔で呟いた。
困った感じの表情も、とってもチャーミングである。
「なにがっスか?」
「いえ、余りにも真っ当なオフィスですので」
「なるほど」
「後で調べておきましょう」
「はい?」
「いえ、なんでもありません」
彼女の仰ることは分からないでもない。
中卒には縁遠い場所である。
この手の施設に表から入るのは生まれて初めてだ。廃品回収に向かったり、空調の手入れをしたりと、それなりに経験がないわけではないけれど、どれもこれも裏方から入って裏方から出るようなものだった。
道を間違えて、作業服のまま表方の廊下に出てしまったりすると、スーツを着た人たちから、お前こっち来るなよ、みたいな目で見られるの割と辛かった。しかし本日に限っては、Tシャツにジーパンで正面から堂々と玄関に臨んでいる。
だからなのか、ちょっと落ち着かない感じ。
「綺麗な分には問題ないっスよ」
「まあ、そうですね……」
ムーちゃんが難しい顔をしている内に、エレベータは目的のフロアへ。
エントランスの先には廊下が伸びており、これを壁に貼り付けられた案内に従い進む。すると少しばかり歩んだところで、廊下に人が立っているのを発見した。スーツ姿の大柄な男性である。何やら廊下に椅子を並べている最中だ。
男性の正面にはドアがあり、面接会場と記載された紙が張られていた。
「……君たちは誰ですか?」
「こ、こちらで面接を受けに来た者ですが……」
「あぁ、本日最初の方ですね」
「はい、そうッス」
面接という単語を耳にして、男性の表情が変化があった。
どうやら驚いたようだ。
「担当者から若いとは聞いていましたが、それにしても若いですね」
「だ、駄目ですか? 若い分だけ沢山働けると思います!」
「決して駄目という訳ではありませんよ。若いのは良いことです」
廊下には自分以外、面接希望者の姿は見られない。
ただし、部屋の前には椅子が三つほど並べられている。男性が今まさに並べていたものだ。面接には朝の早い時間を指定したので、その影響ではなかろうか。ムーちゃんのおかげで朝の満員電車に揺られることなく、移動はものの数秒で済んだ。
「ところで、そちらの子は誰ですか?」
男性の視線が、自分の隣に立ったムーちゃんに向かった。
頭からつま先まで、じろりじろりって感じ。
そりゃそうか。
綺麗な女の子同伴で就活の面接とか普通じゃない。
ちなみに本日のムーちゃんは変装をしている。素顔がテレビで流出してしまったので、これを隠すための措置である。より具体的には長い黒髪のウィッグを被り、同じく黒い縁のメガネを着用している。
「あ、いえ、色々とありまして……」
どうしよう。
適当に言い訳とか並べておこう。
「……その顔、最近どこかで見たような」
「し、親戚の子を預かっているんです。ここで待っててもらうんで、すみませんが自分だけ、面接を受けさせてもらえませんか? ちゃんと静かに待っていると思うんで。ご迷惑はお掛けしませんから」
「なるほど? まあいいでしょう。それではこちらに来て下さい」
「あ、はい」
言われるがまま、男の後に続いて歩む。
面接会場と銘打たれたお部屋に移動である。
◇ ◆ ◇
結論から言うと、面接には合格してしまった。
しかも面接会場にて、即日で合格を言い渡されてしまった。君は素晴らしい人材だ。我が社になくてはならない人材だ。是非とも明日から来てもらいたい。あぁ、これは交通費だから取っておきたまえ、云々。
頂戴した封筒には万札が三枚も収められていた。
おかげでビックリだ。
これが正社員の世界かと。
通りで誰も彼も正社員を目指すわけだ。
想像した以上に、社会の一員として参加を言い渡された気分。
おかげでその日は足取りも軽く、予定していた雑務を片付けることができた。電気やガス、水道、SIMの解約手続きを済ませた上、賃貸アパートの大家さんの下に向かい、賃貸契約の解約の為に必要な書類をゲットである。
大分スッキリした。
あとは転出届やら国籍やら、諸々についてお役所からの連絡待ちとなる。
正直、その辺りは訳が分からない。
ムーちゃんに聞いても、運次第ですね、とのこと。
きっとお国も大変なのだろう。
またアパートの部屋を壊してしまった件については、犯人である斎藤さんから大家さんに十分なお金が支払われていたとのことで、これといって咎められることはなかった。おかげで気分良く書類をもらうことができた。大家さん、終始ニコニコしてた。
昼食は面接でもらったお金を使って、ムーちゃんと一緒にランチ。
今日は生まれて初めて異性と外食した記念日。
ご飯を食べた後は、つい先日にも訪れたペットショップに向かった。そこでゴールデンレトリバーの子供と戯れた。お仕事に臨む為の目的意識を再確認である。子犬、めっちゃ可愛かった。隣には相変わらずノヴァの姿もあった。
少し疲れたけれど、充実した一日だった。
付き合って下さったムーちゃんには感謝しかない。
こんなふうに誰かと休日を共にしたのは、生まれて初めての経験だ。
そんなこんなで、彼女と共に丸一日を外で過ごしての帰宅。
ムー大陸のお屋敷に戻った。
高級ホテルのエントランスを思わせる立派な玄関を過ぎて、やたらと広いロビーに至る。未だ慣れない大理石のようなピカピカの床を、スニーカーでペタペタと歩くことしばらく。不意に隣を歩いていたムーちゃんの歩みが止まった。
どうしたのかと後ろを振り返ると、彼女は粛々と呟いた。
「面接の合格、おめでとうございます」
改めてお祝いの言葉を頂戴した。
おかげで目元が熱くなった。
「いやもう、本当にありがとうございます。めっちゃ嬉しいッス」
一生なれないと思ってたよ、正社員。だって、正しい社員なんだよ。これから歩む先が人として正しいことを保証してくれているようで、とても嬉しい気持ちである。マグロ漁船とか、絶対に誤ったルートだもの。
自らの人生が、今まさに正しい道に軌道修正された気分。
「食事になさいますか? それとも先にお風呂に入りますか?」
「え? あ、じゃあ食事でお願いします」
明日は正社員が待っている。
正社員として勤める為には、英気を養わないといけない。ご飯をシッカリと食べて、十分に体力を付けて臨むべきだろう。幹部として取り立ててもらう為にも、絶対にミスはできないぞ。
ところで一つ疑問がある。
面接では自分の残念な身の上を語っただけなのだけれど、何が相手に響いたのだろう。身寄りのなさに同情してくれたのだろうか。もちろん、ムー大陸という単語は一度も出していない。それがNGワードであることは阿呆な自分でも理解できる。
まあ、いいか。
深く考えても仕方がないし、会社に馴染んだ後で聞いてみよう。
「承知しました」
「どもです」
「ところで、本日の献立に注文はありますか?」
「え? あ、それじゃあ、お肉柔らかめのカツ丼とか食べたいッス」
「お肉柔らかめのカツ丼ですか。分かりました、そのように致します」
「こ、細かいこと言っちゃってすみません」
「いいえ、そうした細かな指摘も非常に大切なことだと思います」
「うぃす……」
ムーちゃんってば、なんでもお願いを叶えてくれるの凄い。
これって出会って数日の間柄の人に言うことじゃない。
お願いした後になって気づく。
申し訳ない気分になる。
だけれども、気づけばいつの間にやら口が動いて、思ったことを口にしてしまうのごめんなさい。小さい頃から周りの人たちに指摘されて、今まで延々と生きてきたけれど、それでも治せない癖のようなものである。
何故なのだろう。
他の人たちは違うらしい。
ムーちゃん、本当にありがとうございます。
お肉柔らかめのカツ丼、今からとても楽しみです。
それを食べたら明日も、きっと頑張れる気がするんですよ。
丼の隅に紅生姜が多めだと嬉しいです。
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