ムー大陸、急浮上! 俺、初上陸!

ぶんころり

プロローグ

 てめぇ、使えねぇんだよ。


 それが船の上で最後に聞いた言葉だった。気付けば胸を強く押されて、我が身は太平洋のど真ん中、荒ぶる水面に落ちてゆく。深夜、月や星の他には碌に光源も見当たらない、真っ暗闇の只中での出来事だった。


 身体を押した相手も、まさか落ちるとは思っていなかった様子で、バランスを崩して後ろに倒れゆくこちらを眺めて、驚いた表情をしていた。もやしボディーの踏ん張りの利かなさが敗因んだろうか。


 着の身着のまま、身体は海の藻屑と沈んでいった。


 浮袋は身に着けていない。


 あ、死んだな。


 そう思った。


 話には聞いていた。この手の漁船は容易に人が落ちて死ぬのだと。他に人目のない海原の一角が仕事場であり、割と気性の荒い人種が集まる業界とあって、その手の事故には枚挙に暇がないそうな。


 とはいえ、まさか自分が落とされるとは思わなかった。


 たしかに役立ってはいなかった。


 道具を海に落としてしまったことがあった。


 他の人が捕まえたマグロを逃してしまったこともあった。


 おうふ、確かに邪魔しかしてないな。


 しかしながら、運動音痴なヤツが経験値ゼロで漁船に乗り込んだら、きっとそんなもんだと思うんだ。舞台は近海でなく、完全な外海である。ただ、そんな言い訳が通るほど、海の上は穏やかなものではなかった。


 ざぶん、着水。


 同時に沈んでゆく肉体。


 真っ暗な海の底。


 遠退いてゆく船の明かり。


 もがく四肢。


 市民プールで二十五メートルが精々の金槌野郎には、数メートルを超える高波の連なりなど、まさか攻略できる筈もない。気付けば口の中に海水が入り込み、視界はにじみ、意識も数分と経たずに失われていった。


 生後十八年と三ヶ月。


 なんだかんだで頑張って生きてきたけれど、どうやらそれも本日をもって終了のお知らせ。もしも次があるのならば、真っ当な家庭に生まれて、高等学校というやつに通ってみたいと強く念じながら、いざ、さらばである。


 合掌。




◇ ◆ ◇




 気づくと何処とも知れない浜辺に倒れていた。


「……マジか」


 どうやら生きているようだ。


 幸か不幸か海水もそんなに飲んでいなかった。不思議なくらい軽やかに身を起こすことができた。立ち上がると少しばかりふらついたが、海を漂流していただろうことを鑑みれば奇跡のようだった。


「どこだよ」


 ハワイだろうか。


 グアムだろうか。


 サイパンだろうか。


 太平洋の島って言うと、そのくらいしか頭に浮かばないんだよな。


 ちなみに三島の位置関係はサッパリだ。


「…………」


 とりあえず、少しばかり歩いてみよう。


 浜辺は綺麗なもので、ポツポツと流木の類が見られるものの、ゴミは見つけられない。人の手に管理されていない砂浜であれば、他に海藻やらプラスチック片やら、色々と流れ着いているのが普通じゃなかろうか。


 更に浜辺から続く海に面した林には、人の足で踏み固められたふうを思わせる道が続いている。鬱蒼と茂る木々の合間に、およそ一メートルほどの幅で土が踏み固められている様子は、獣の通り道というには些か立派なものだ。


 もしかしたら人里とか、意外と簡単に見つかるかも知れない。


「よし……」


 覚悟を決めて歩み出す。


 海水に浸かった靴が、足を踏み出すごとにヌポヌポして気持ち悪い。服の中にも砂が入っており不快感が半端ない。更にザラついた服の生地に乳首が擦れて、痛みの中にも気持ち良さとか感じている自分どうしよう。


 砂に足を取られながらも少しばかり歩いた。


 すると、向かう先に変化があった。今まさに向かっていた林道の先に、うっすらと人の気配が生まれたのだ。しかも、こちらに近づいてきている。木々の影の下で、段々と輪郭がはっきりしてくる。


「…………」


 お互いに歩み寄り、砂浜と林のあいだ辺りまで進む。


 顔立ちもはっきりと確認できる距離。


 その性別が判断できるくらい。


「あのー、すみません……」


 数メートルほどの間隔で足を止めて、声など掛けてみる。


 一方で相手は構わずこちらに歩み寄ってきた。


 やがて、手を伸ばせば触れられるほどの距離まで。


 綺麗な女の子である。年頃は小学生高学年くらい。陽光を眩しいほどに反射して輝く黄金色の髪が印象的だ。これをおかっぱに整えている。綺麗にぱっつんと切り揃えられた前髪の下には、大きな蒼い色の瞳がクリクリと。


 衣服もまた変わっており、どこかの国の民族衣装を思わせる。幅の広い裾や袖口に対して、スラリと細くも幼い四肢が伸びる様子は、その整った外見と相まっては、まるで人形のようだ。とても可愛い。


「ようこそムー大陸へ」


「え?」


 驚きどころは幾つかあるぞ。


 それでも一番気になったのは、欧米人を思わせる顔立ちの彼女が、流暢な日本語で語りかけてきたこと。違和感も甚だしくて、ムー大陸なる単語が霞んでしまう。もしかして、ハワイのそれみたいな感じで、日本人向けの観光が発達していたりするのだろうか。


「どうぞこちらへ」


「あ、はい」


 まあいいや。


 こちとら全身海水まみれの土左衛門候補生である。


 来いと言われれば、どこまでもついて行く限りだ。




◇ ◆ ◇




 少女の案内に従い林道を歩むことしばらく。


 鬱蒼と茂る木々の並びは、十数分ばかりを進んだところで失われた。木々の途切れは一様であって、その先は一変して開けていた。芝のような丈の短い植物が絨毯のように広がる小綺麗な丘と、その一番高いところにドーム状の構造物がある。


 なんの施設だろう。


 ぱっと見た感じカマクラのようだ。規模は高さ三メートル、幅五メートルほど。表面は金属のような陶器のような、傍目に眺めた限りでは判断がつかない。唯一理解できる点があるとすれば、決して雪を盛って作った訳ではないということ。


「こちらへ」


 正面、ポッカリと空いた穴の前に立ち、彼女は奥を腕で指し示す。


「あの、自分はお金とか持ってないんスけど……」


「問題ありません。どうぞ、こちらへ」


「……はい」


 まあいいや。


 言われるがままに彼女の後に続く。


 穴の中におじゃまします。


 数歩ばかりを踏み入れて、その内側に収まる。


 すると、なんと出入り口が消えた。もにゅん、って感じで、極めて有機的な動きと共に。屋外から差し込んでいた光も遮断である。一瞬、前後不覚となる程に暗がりとなって、思わず驚いてしまったよ。


「ちょっ……」


「おちついてください」


 そうかと思えば、すぐに灯りが点った。


 真っ暗だったドームの内側、光の筋が右へ左へと走る様子は、なんだろう、新手のディスコだろうか。それにしては少しばかり規模が小さいような気がするのだけれど。もしかして二人用とか、いやいや、そんな訳ないって。


 そんなふうに馬鹿なことを考えていたら、視界が上下に割れて開けた。


 まるで卵から孵った雛のような気分だ。


 先程眺めたドーム状の施設より、遥かに広々とした空間が広がる。


「うぉっ……」


 目に映ったのは印象的な光景だった。


 とても金属質な空間である。上も下も左も右も、銀色に輝く半透明のタイルに埋め尽くされて、その内側に光の筋が走る様子を確認できる。今し方に暗がりの中で眺めたものと同じような雰囲気を感じる。


 唯一、部屋の中央に壁以外の凸が見受けられる。


 墓石ほどのサイズで直方体の物体が立っている。


 素材は部屋の壁や床と同様、半透明のタイル。内側には四方を走る光を集約するように、一際強い輝きが線と走っている。電気回路に伸びるハンダや銅線を、全て光に置き換えたのなら、こういうふうになるのかなぁ、なんて思う。


「こちらに手をかざして下さい」


「あ、はい」


 まあなんでもいいや。


 質問するのも面倒なので、とりあえずかざしてみる。


「……大陸の全権限を移譲します」


「え?」


 少女が言葉を発するのに応じて、壁や床、天井の内側を走る光の筋が勢いを早くする。目にも留まらぬ速さで右へ左へ。なにか法則性でもあるのだろうか。しばらくを眺めてみたけれど、まるで見えてくるものはない。


 そうこうする間に、筋の走る勢いは段々と衰えて元の速さに。


「完了いたしました。ご協力を感謝します」


「え? あぁ、それはどうもッス」


 とりあえず、会釈でもしておこう。


 満足してもらえたのであれば幸いだ。


「……ところで、ここってどこなんでしょうかね?」


「ムー大陸です」


「なるほど?」


 ムー大陸か。


 ムー大陸っていうと、あれだよな。


 ほら、あれだ、その、ほら……。


「…………」


「…………」


 ムー大陸だよ。

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