健康診断 二

 ムー大陸には地上にも地下にも居住空間がある。


 とりわけ地上は観光地さながらの景色が続いており、それは例えば海辺の見える岬に建てられた東屋だったり、田畑の只中にポツネンと佇む駄菓子屋であったりと、自然豊かな風景が幕の内弁当的に随所に見受けられる。


 居室やお風呂、食堂といった自身の生活空間となる界隈も、大半が地上か地下の浅い区画に存在している。大規模な高級ペンションさながらの様式は、数日を過ごした限りでは、なかなか慣れたものではない。


 ただ、それ以上に慣れないのが地下に続く施設である。


 地下も浅い辺りはまだ、生活空間と大差ない。しかし、エレベータのようなものに乗せられて深いところまで降りると、一変して近未来的な光景が広がる。それは例えば、ムー大陸を訪れて当初に通された、光の走る壁に囲まれた部屋のような感じ。


 金属とも石材とも知れない光沢のあるタイルに囲まれた、研究所というか、工場というか、宇宙コロニーというか、そういった雰囲気の感じられる空間が延々と続いている。所々にパネルや機器のようなものも見受けられるが、用途用法はサッパリだ。


「こちらです」


「あ、はい」


 健康診断に向かうとのお話で、ムーちゃんに連れられて向かった先は、もれなく後者であった。自身の知る病院、診察室とは程遠い様相だ。周囲をツルツルのタイルに囲まれた十数畳ほどのお部屋である。


 中央にはベッドの代わりに、人を一人収めるのにジャストサイズのカプセルっぽい設備が設けられている。他には何もない。お医者様が腰掛けたデスクだとか、診察台だとか、そういう見慣れた設備が、これっぽっちも見当たらない。


 なんだか嫌な予感がする。


「あの、ムーちゃん、これは……」


「少々お待ち下さい」


 こちらが呆然としている間に、ムーちゃんはスタスタと歩んでいく。向かった先は部屋の中央に設えられたカプセルっぽい何かだ。彼女はその先に設けられたパネルに手を伸ばして、手早く操作を始めた。


 すると数分も掛からず、カプセルの上半分がプシューと音を立てて開いた。


 内側にはなめらかな凹凸が見受けられる。人が寝転がるのに都合が良さそうな凹凸だ。おかげでこれが何のための設備なのか、ムー大陸一年生の自分であっても、容易に判断することができた。


「こちらへどうぞ」


「…………」


 患者をカプセルの中に入れて、ゴニョゴニョする為の機械だろう。ムー大陸の発展具合から考えると、金属で作られた触手とか伸びてきて、腕や首に注射を打ったり、耳や鼻の穴をゴリゴリとやったりする可能性が高いのではなかろうか。


「どうされましたか?」


「いや、あの……それって……」


「こちらに横になってください」


「…………」


 嫌だなぁ。


 なんかそれ、嫌だなぁ。


 できればお断りしたなぁ。


「どうしても横にならないと、駄目ッスか?」


「本日は一日、私の指示に従って下さるとのお話だったと思います」


「…………」


 ちょっとした駄菓子が、随分と高く付いてしまったぞ。


 そもそもこちらの機械は現代人類の肉体に対応しているのだろうか。ムー大陸の人と現代人、違うところとか色々とあるんじゃなかろうか。考えれば考えるほど、不安ばかりが鎌首をもたげる。


 しかしながら、ここまで来て断るのは心証が悪いと思う。


「分かったッス」


 ムーちゃんに嫌われるのは悲しい。


 こればかりは仕方がない。


 素直に頷いてカプセルに足を向ける。


「靴は脱いで下さい」


「あ、はい」


 土禁らしいよ。まあ、そりゃそうですよね。


 言われるがまま、カプセルの内側に設けられた寝台に身体を横たえる。両手両足を揃えて、まるで外箱に梱包された人形のようである。すると自動的に手枷や足枷、更には首輪のような物がせり出してきて、身体を寝台に固定された。マジ勘弁。


「あの、ム、ムーちゃっ……」


 ムーちゃんに助けを乞う間もない。頭上に上がっていた蓋が、続けざまにフィィィンと機械音を立てて降りてきた。恐怖から反射的に身体を起こそうと試みるも、拘束は強固であって、身動ぎが精々である。首が締まって痛かった。


「こ、これって痛くなったりしないっスよね?」


「大丈夫です。何も感じることはありません」


「……うぃス」


 やがて、蓋は完全に閉じられた。


 顔の部分にはガラスのような透明の素材が用いられており、外の様子が確認できる。カプセル脇の謎装置に向かい、ピポパポとやっているムーちゃんのお尻が見える。こっちに向かって突き出されているのエロい。


 ムーちゃんってば安産型。


 とか、油断したのが良くなかったかもしれない。


 プシュッという音と共に、カプセル内に水蒸気のようなものが放たれた。それは足元と顔の横から噴出されて、内部を瞬く間に満たしていく。当然、閉じ込められた身体は藻掻く。それはもう、ジタバタと暴れさせて頂く。マジでビビり。


 しかしながら一向に拘束は解けない。


 そして、意識を保っていられたのは、そこまでであった。




◇ ◆ ◇




 結論から言うと、寝て起きて次の瞬間には全てが終わっていた。


「お疲れ様でした」


 病院で胃カメラを飲む際に利用する静脈麻酔。それと同じような感じだった。意識を失う直前、何を考えていたのか、それさえも定かでないほど強烈な失意。そして、次に目覚めたとき、妙にフワフワとしていて、心が軽い感じ。


 ストレスというストレスが、どこかへ吹き飛んでしまったような。


「ど、どうもッス」


 手足や首に掛けられていた枷が外れた。


 これを確認して、カプセルの内側に設けられた寝台から身体を起こす。


 軽く身体を動かしたりして、具合を確認だ。


「どこかおかしいところはありますか?」


「いえ、むしろ何だか身体が軽い感じが……」


 五感が妙にクリアというか、普段より鮮明にムーちゃんの声が聴こえる。それとなく動かした腕の動きも、どことなく具合が良いような。更にカプセルな寝台から腰を上げる際にも、思ったより軽く身体が持ち上がった。


「少々お時間が掛かりましたが、一通り見させて頂きました」


「え? あの、時間が掛かったっていうのは……」


「二十日ほど治療に要させて頂きました。主な所見としては、血液腫瘍及びその転移、併せてホルモンバランスの崩れが見受けられました。一通り治療に当たらせて頂きまして、現時点においては全て完治しています。再発の可能性もありません」


「…………」


「また、脳の構造に一部気になる箇所が見受けられましたが、こちらは同時に人格の形成にも関わる部分であった為、治療は行わずにそのままにしております。生命の存続には問題はありません」


「え、あの、それって……」


 マジですか。ムーちゃんそれマジですか。


 こっちは体感、五分くらいだったよ。しかも血液腫瘍ってそれ、いわゆるガンだよね。割と瀕死の重傷のような気がする。自分が知っているお医者様だと、患者さんに宣告するのにも、もう少しこう、躊躇するタイプの診断のような気がする。


 それに脳の構造が気になるとか、普通に背筋が寒くなるんだけれど。


「どうされましたか?」


「…………」


 さらっと流されてしまったけれど、大丈夫なのだろうか。


 今からでも高級ソープランドに駆け込むべきなのではなかろうか。


「ご安心ください、現在のご主人は健康体です」


「……どうもです」


「治療と併せまして、健康管理の他に環境適合など、各種ナノマシンを注入させて頂きました。今後は栄養失調や水分不足による衰弱を除いて、遺伝性の疾病も含めた病理全般に罹患する可能性も低くなると思います」


「…………」


 寝ている間にレイプされちゃった感ある。


 でもまあ、それならそれでいいか。


 ムーちゃんも好意でやってくれたのだろう。それに何より、もしも今回の治療を受けていなかったのなら、血液腫瘍とやらで死んでいた訳で、むしろ感謝するべき本日の健康診断である。完治を祝いこそすれど、苦言を申し立てるなどとんでもない。


「あの、どうもありがとうございました」


「大陸の管理者として、必要な処置をさせて頂いた限りです」


「なるほど」


 やっぱりムーちゃんとしては、そこが重要なんですね。




◇ ◆ ◇




 同日、健康診断を終えた後は食事に向かった。


 如何にムー大陸の神秘とはいえ、眠っていた間は口からモノを食べることも叶わない。おかげでカプセルから脱出して早々、空腹を覚えた次第である。ムーちゃんに確認したところ、すぐにでも食べて問題ないとのことだった。


 そんなこんなで例によって食堂までやってきた。


 ところでこの食堂、一口に食堂とは言っても、学校や工場のそれとは別物だ。そもそも幾十人という大所帯で食べることが想定されていない。どちらかというと、高級ホテルのラウンジみたいな感じである。


 ちなみにメニューはムーちゃんにおまかせ。


 その日によってコース料理だったり、丼物だったり、実に様々である。


「相変わらず美味しいッスね」


「そのように評してもらえて何よりです」


 ちなみに本日は懐石料理である。


 大粒の貝が小さなコンロの上でグツグツしているの、マジ最高ですよムーちゃん。一生ついていきたくなってしまう。味噌汁もお出しが効いていて凄く美味しいし、伊勢海老とか入っていたりする。お刺身なんて皿の上で動いてる。HPが残ってるよコイツ。


「いやもう、本当に美味しいッス。毎日食べても絶対に飽きないッス」


「……ありがとうございます」


 っていうか、現時点でも既に毎日お世話になっている。


 こんなに美味しいご飯、死ぬまで食べていたい。


「ムーちゃん、料理がお上手なんですね」


「それほどでもありません」


「いやいや、本当にお上手だと思いますよ」


 こちらのお食事に慣れてしまったら、もう以前の半額惣菜生活には戻れないんじゃないかって、危機感を感じてしまう。適度にジャンクなお食事も混ぜてもらった方がいいのではないかとか、真剣に考えている。


「あの、ところでムーちゃん、一つお願いが……」


「なんでしょうか? どうぞ、おっしゃって下さい」


「割と長いこと眠ってたみたいなんで、世の中のニュースとか見させてもらってもいいっスか? 確認したからどうってことはないんですけど、やっぱりこう、生まれ育った場所のことは気になるっていうか」


「承知しました」


 ムーちゃんが頷くのに応じて、お料理の上に半透明のウィンドウが浮かび上がった。いつでもどこでも不意に現れては、各国のニュースや、ムー大陸内の現地映像を移して下さる便利な代物である。


 そこに映し出されたのは母国のニュース映像だ。


 ドドンと映し出されたテロップには、ムー大陸なる文字。


 時機を合わせたように、こちらの地が話題に上がっているではないか。


『ムー大陸に対する郵便番号の付与を受けて、本日の国会ではその是非を問う議論が交わされております。先の報告からは各国の反発も強く、国際社会から日本が孤立するのではないか、という非常に強い懸念が与野党から上がっており……』


「…………」


 ムー大陸のことが凄く問題になっている。


 原因は郵便番号。


『ムー大陸の管理者から受け入れの書状は受けております』『先方の是非ではなく、我々側の問題ではありませんか?』『だとしても、友好関係を築けたことは大きな一歩でしょう』『かといって他国との関係を崩すわけにはいかない!』『ムー大陸もまた、懸念すべき他国の一つではありませんかな?』『その書状は本当に確かなのですか!?』


 エキサイトする偉い人立ち。


 ムーちゃんちに住民票を移したくて、お願いした経緯を思い起こす。将来的にムー大陸を追い出されたときに備えていた。安心して転出届を出せるように、と。万が一にも法律の隙間に落ちて、悲しいことにならないようにと。


 そういう感じだったのだけれど。


「ムーちゃん、あの……」


「国政が混乱していますね」


「え?」


「如何されますか?」


「いやあの、そ、そういうのって、全然分からないというか……」


 どうにかできるとも思えない。郵便番号はもう申請してしまったし、申請の取り消しをした場合は、ムー大陸から転居するときに非常に困ったことになる。下手をしたら国籍とかなくなってしまうかも。


「とりあえず、よ、様子見ということで……」


「承知しました」


 下手に割り込んでも良いことなんて何もないだろうし、当面は黙っておこう。もしも何かあれば、神絵師のお役人さんからツイッターで連絡が入るだろう。そうなってからでも遅くはないはずだ。


 当面はムーちゃんが作ってくれる美味しいごはんを堪能して過ごそう。

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