ムー大陸人 一
就寝前、ムーちゃんにもらったパソコンを利用して、自室でネットサーフィンをしていると、ツイッターに反応があった。タイムラインに一枚のイラストが流れてくる。とてもエッチで魅力的なイラストだ。
神絵師のお役人さんが、新作のエロ画像をうpしていた。
「……最高じゃないか」
当然、いいねさせてもらう。
リツイートだってしちゃう。
フォロワー少ないけど。
すると少しして、先方からダイレクトメッセージが入った。
『どうも、先月お邪魔した者です。いきなりのご連絡となり申し訳ありませんが、そちらでは日本のニュースを見られておりますでしょうか? もしも見られておりましたら、一報、謝罪のご連絡だけでもと思いまして』
これまたマメな方である。
わざわざ気を遣って連絡を下さったようだ。
神絵師に気を遣わせてしまうとか申し訳ない。
「いえいえ、こちらこそお気遣いありがとうございます……と」
適当にメッセージをやり取りする。
これといって何か不穏な会話が流れることもなく、世辞の挨拶的な流れから、日常会話っぽいメッセージが幾度か双方の間で行き来した。たぶん、他所様の国のサービスであるから、お役人さんも大切なお話をするようなことはないのだろう。
時間にして三十分ほどだろうか。
メッセージのやり取りが一段落したところで、デスクから腰を上げる。
喉が乾いたので、飲み物をもらいに行こうと考えた。
自室を後にして廊下を歩く。
未だキッチンがどこにあるのかさえ不明の内部構造だ。どこかへ移動するときには、だいたいムーちゃんが先導してくれる。それでもまあ、食堂に向かえばきっと大丈夫だろう食堂とキッチンが離れているということはないと思う。
「…………」
部屋を出てしばらく、廊下はとても静かだった。
自分とムーちゃん以外、この島で人に出会ったことはない。彼女の言葉を信じるのであれば、ムー大陸人は誰もが皆、お亡くなりになったのだという。そう考えると島全体が巨大な墓地のように思えてきて、ちょっと怖い感じ。
ひんやりとして寂静極まる廊下の在り方が、そういう気分にさせるのだろう。
自ずと足の動きも早くなる。
ただ、どれだけ歩いても食堂は見えてこなかった。
「…………」
理由は簡単である。
道に迷ったのだ。
「……ムーちゃん、この建物大きすぎるでしょ」
思わず愚痴が漏れていた。
屋外ならいざ知らず、まさか屋内で迷うとは思わなかった。それでも建物の管理人であるムーちゃんなら、きっと間抜けな迷子を補足して助けてくれるに違いない。そんな淡い思いを抱きつつ、歩みを進める。
それからしばらく歩くと、段々と周囲の光景が変わってきた。
ホテルの廊下を思わせる作りから、どこか無機質な感じのする、研究所ちっくな通路に様変わりしている。お客としてやって来たのに、従業員の方が行き来する専用のスペースに出てしまったような、そんな焦りを感じる。
「やばいな……」
こうなったら食堂は諦めよう。
せめて自室に戻りたい。
しかし、そうした本人の思惑とは裏腹に、周囲の光景は一向に戻らない。こういったときに公衆トイレと自動販売機にまみれた日本の下町風景が恋しくなる。まるで海外旅行にでも訪れた気分だ。国内から外に出た経験はないけれど。
いや待てよ。
よくよく考えてみると、ここはここで海外か。
「……駄目だ」
いずれにせよ一人では戻れそうにない。
こうなったら大声を上げて助けを呼ぼう。建物内のみならず、島全体を把握していらっしゃるムーちゃんならば、こちらの情けない悲鳴を確認して、助けにやって来てくれるはずだ。あまりにも無様だけれど、背に腹は代えられない。
しばらく歩いたことで、いよいよトイレに行きたくなってきたのである。
漏らすのだけはイヤだ。
ただ、そうして救難信号の発信を決意した直後の事である。
不意に向かう先から物音が聞こえてきた。
「っ……」
カツカツという規則的な響きは、足音で間違いない。
もしかして、ムーちゃんだろうか。いや、ムーちゃんに違いない。ムーちゃんが助けに来てくれたのだろう。むしろ、ムーちゃん以外の誰かがいたら困る。ホラー映画さながらの展開ではなかろうか。
そのように判断して、音の元に向かい駆け足で進む。
すぐ近く、廊下の角を曲がった辺りに、人の気配を感じた。
これ幸いと角を越えて声を上げる。
「ムーちゃん、あのっ……」
直後、投げ飛ばされた。
手首を掴まれたかと思いきや、まるで柔道の投げ技でも受けたように、視界が勢いよく動いた。そして、気づけば背中から床に押し付けられていた。バタンという大きな音が、物静かな廊下に反響する。
「っ……」
肺を強打したことで呼吸が詰まる。
満足に声を上げることもできなかった。
「……ふぁじぇをいふぁlkjqlk;fじゃえ?」
耳に届いた声色は、ムーちゃんのものではなかった。
◇ ◆ ◇
ムーちゃんだと思ったらムーちゃんじゃなかった。
しかも投げ飛ばされた上に身体を固められてしまい、碌に身動きを取ることもできない。更に現在進行系で、ギチギチと関節を決めてきている。おかげで膝とか肘とか、めっちゃ痛いんですけれど。
「ちょ、ま、待って下さい。自分、怪しい者じゃっ……」
「fじゃlwけjふぉw23lkふぁsふぁ?」
ギロリと睨みつけられた。
相手は十歳前後と思しき小さな女の子である。顔立ちは欧米風で、少なくともアジア人とは違う。ただ、どことなくまろやかな感じがする。つまるところムーちゃんと同じ雰囲気を感じさせるデザインだ。
もしかして姉妹機とか、そういうのだろうか。
腰下まで伸びた長い銀色の髪が印象的である。歳幼い割にムッチリとした肉付きをしており、太ももやお尻が妙に性的なものとして映る。爛々と輝く大きくて真っ赤な瞳が、意志の強さのようなものを感じさせた。
身につけている衣服は病院の検査衣を思わせる非常に簡素なもの。また、彼女の髪はシャワーを浴びた直後のように、しっとりと濡れている。おかげで絶妙にエロい。まるでお風呂上がりのロリータさながらだ。
「こ、ここで世話になってる者なんですけど、あの、できれば腕を……」
「…………」
彼女は仰向けに横たわったこちらに馬乗りとなり、両手両足を抑えている。
顔の横から垂れた相手の髪が、頬にサラサラと触れるのくすぐったい。
こちとら成人した一端の男性であるから、退けようと思えば退けられるはずである。しかし、手足は万力で固定されたように動かない。華奢な手足のどこにこれほどの力が秘められているのかと疑問だ。
っていうか、さっきから言葉が通じていない。
どうしよう。
「……sぁdjふぁlじぇwふぁいうぇjlふぁ」
彼女が声を上げるのに応じて、その正面に半透明のウィンドウが浮かび上がった。ムーちゃんが呼び出していたものと同様に思われる。そこにつらつらと文字のようなものが表示されて、上から下に勢いよく流れ始めた。
話し言葉と同様に、見たことのない言語である。
当然、自分には読めない。
しかしながら、彼女にはそれが読めるようで、ウィンドウに流れる文字を眺めて、その表情はみるみるうちに驚きへと変化していった。一体何を見つけたというのだろう。まるで想像がつかない。
疑問に首を傾げていると、その視線がこちらに向けられた。
「どうして大陸が浮上しているんだっ! 何が起こったっ!?」
ギロリとおっかない目付きで見つめられる。
っていうか、急に日本語を話し始めたぞ。
ただし、彼女の声は明後日な方から聞こえてくる。口の動きも音声と合致していない。ムー大陸に備わった機能が、彼女の喋っている言葉をリアルタイムに日本語に変換しているのではなかろうか。
発声は外部のスピーカーから、みたいな。
「に、日本語、お上手ですね……」
「やはり大陸外からの侵入者かっ!」
大陸とはムー大陸を指してのことで間違いないだろう。
しかしそうは言っても、大陸の浮上は元から予定されていたものだと、ムーちゃんは語っていた。その事実に驚くというのは、なんだか不思議な感じがする。最後の時を迎えるに差し当たり、大陸内で齟齬があったのだろうか。
この大陸が浮上して最初に上陸した人物に管理者権限を云々のお話である。
「もしかして、こちらの大陸の方ですか?」
「他に誰がいるというんだ?」
「というと貴方も、島の管理をされているアンドロイドの……」
「馬鹿を言えっ! 私は人だっ! 歴とした大陸人だ!」
「なるほど」
ムーちゃんの話では、全員お亡くなりになったと聞いたのだけれど、こちらの彼女は例外のようである。ムー大陸の人口がどれほどのものだったのかは知らないが、やはり全員が全員、仲良く心中したかった訳ではないのだろう。
ただ、そうなると危ういのが自身の身の上である。
大陸の方々がいらっしゃらないからこそ、こうして悠々自適にに食っちゃ寝生活を満喫させて頂いているのだ。彼女から出て行けと言われたら、反論することも儘ならない。住民票、ちゃんと意識しておいてよかった。
「こちらの大陸の方々は、中央会議というので自決を決めたと聞いたんスけど」
「はぁ? 自決? なんの話だ?」
「いえ、ですから長く生き過ぎた為に、世の中の事物に興味関心が沸かなくなったとかで、大陸を海に沈めると共に、皆さん一緒にお亡くなりになったと、こちらの大陸の管理をされているアンドロイドの方に伺いまして……」
「……それは本当か?」
「本当ッス」
「それじゃあ貴様は何なんだ?」
「自分が聞いた話だと、大陸の皆さんがいなくなってから、再び浮上したこちらの大陸へ最初に辿り着いた人間に、その権限を譲渡するとかしないとか、そういうお話を受けた覚えがあるんですけど」
「大陸の権限を譲渡だとっ!? そ、そんな馬鹿なっ!」
「そ、そうっスよね……」
ちょっとちょっと、ムーちゃん、なんだか話が違うじゃないの。
大陸の人、めっちゃ驚いているよ。
「そのアンドロイドはどこにいるっ!」
「それはその、自分もよく分かっていないというか……」
いつも呼べばすぐに来てくれる、というか、呼ぶまでもなくやって来てくれるムーちゃんが、今回に限っては一向に姿を現さない。なにかトラブルでも起こっていたりするのだろうか。分からない。
「ええい、オマエと話していても埒が明かない!」
声も大きく吠えると共に、少女が立ち上がった。
おかげでこちらも自由の身だ。もう少し押さえ付けられていたかった気がしないでもないけれど、今回はこれくらいで勘弁してやろう。次の機会に期待である。ずっと寝ている訳にもいかないので、相手を刺激しないようにゆっくりと立ち上がる。
「……そこか」
彼女は正面に浮かんだ端末を操作して、何やら呟いている。
きっとムーちゃんの現在地を確認しているのだろう。全力でムー大陸の機能を使いこなしている感じが格好いい。ハッカーって感じ。自分は未だに薄いウィンドウの呼び出し方すら分からないから。
「オマエも一緒に来いっ!」
「え? あ、ちょっ……」
呆っと様子を眺めていると、腕を掴まれた。
そして、ぐいっと力強く引っ張られる。
どこへとも駆け出した彼女に連れられて、無事に迷子を脱せそうな予感。
◇ ◆ ◇
それまでの無機質な空間から一変して、我々が訪れた先は居住区画だ。
見覚えのあるそこは、当初の目的地であった食堂。
無事に戻って来れたことに、まずは人心地だろうか。
しかしながら、自身の置かれた状況はあまりよろしくない。同所ではムーちゃんと銀髪ロリの人とが、真正面から見つめ合うように対峙している。取り分け後者が前者を見つめる眼差しは、非常に剣呑なものだ。おかげでこっちまでメンタル削られる。
「状況を説明せよ」
「ムー大陸の管理権限を譲渡しました」
「だから、その理由を説明しろと言っているんだっ!」
ダイニングテーブルの傍ら、立ったままで迎えたトークシーン。
席についてお茶でも飲みながらどうですかね、などとご提案したいところだけれど、それをしたら銀髪ロリの人から殴られそうなので、門外漢はお口にチャックで、事の成り行きを眺めるばかり。
おかげで喉はカラカラだ。
トイレにも行きたい。
入口と出口、体内でお互いに背反する水分の行方が、宿主としては気になる。
「…………」
「黙っていないで答えろ」
黙秘を貫くムーちゃん。
アンドロイドというポジション的に、大陸の人に逆らうことはできないんじゃないかと疑問に思うのだけれど、意外とそうでもないらしい。彼女たちのような存在にも、一定の権利が存在しているのだろうか。
考え出すと色々と気になるぞ、ムー大陸の仕組み。
「我々居残り組はシェルターの中で、生存圏の終焉まで眠り続ける予定であったはずだ。大陸もそれまでは地中深くに沈めておく段取りとなっていた。それがどうしてこの状況で浮上しているのだ。これは予定にない行いだぞ」
「…………」
「しかもこの値を見る限り、シェルター内のエネルギー循環が停止している。長期休眠状態にある筈の肉体が、どれもこれも腐敗しているではないか。一介のアンドロイド風情にこのような越権行為、決して許されるものではない!」
「それでは貴方は、どうして生きているのですか?」
「い、今は私の話をしているのではないっ! 大陸の一大事だっ!」
「まさか中央会議の決定に背いて、自身の値を不正に操作したのでは?」
「っ……」
何やら二人の間でスケールの大きな話が交わされている。
生存圏の終焉とか、めっちゃ気になる。
あまりにも物騒だ。
「ええい、オマエと話をしていても時間の無駄だっ!」
銀髪ロリの人がこちらを振り返った。
ギロリと怖い顔で睨みつけられる。
「管理者権限を寄越せっ!」
「え?」
「だから、この大陸の管理者権限を寄越せと言ったんだっ!」
「あぁ……」
なるほど、なんとなく分かった。
ご飯やノートパソコンを作ってくれたり、お風呂で背中を洗ってくれたりと、非常に甲斐甲斐しい性格のムーちゃんが、それでも質問の一つにさえ答えないのは、管理者権限という名の彼女に対する命令権の有無が関わっているみたいである。
そうなると非常に申し訳ないのが、昨今の自身の立ち位置だ。
「脅迫による管理者権限の譲渡は管理者権限法の第五条に違反します」
「そもそも違法に譲渡された権限だ。その限りではない」
「法の審議を行うのは個人ではなく、中央議会直下の施政院です」
「その施政院がまとめてお亡くなりだから言ってるんだよっ!」
「では新たに現行の管理者権限に基づいて、司法組織を設立するべきです。その上で審議を行い、現在の管理者権限の扱いについて議論を行いましょう。有事法の一部にはその為のガイドラインが規定されております」
「大陸付きのアンドロイドの演算性能に、生身で勝てる筈がないだろう! 議論の余地なんてある訳がない! そもそもどうして、アンドロイドがそんなことを考えたんだ!? 中央会議からの命令は管理者権限に基づくものだぞ!」
「その質問にはお答えできません」
「ぐっ……こいつ、やはり暴走しているなっ……」
銀髪ロリの人が忌々し気に呟いた。
端的にまとめると、どうやらムーちゃんは暴走気味のようである。
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