健康診断 一

 書類を一通り記入すると、お役人さんと自衛隊の人は帰っていった。


 ちなみに帰路はムーちゃんが提供する、謎の転送装置による移動となった。生身の人間二名の他、二人が乗ってきた戦闘機も併せて、一緒にお見送りした。目の前で人や物が急に消える様子は、それはもう驚きだった。


「失礼します」


 自室でベッドに横になってぼんやりしていると、ムーちゃんが入ってきた。


 っていうか、今ノックしなかったよね。


 もしもオナニーしてたら、大変なことになっていたのではないかと思う。


「東京都港区役所ムー大陸出張所の支度ができました」


「え、もうッスか?」


「ご確認されますか?」


「あ、はい。それじゃあお願いします」


 相変わらず仕事が早いぞムーちゃん。


 ベッドから起き出して、彼女の先導の下、廊下を歩んで屋外に出る。普段寝起きしている建物は、都内の基幹ターミナル並に巨大だから、こうしてムーちゃんに誘導されなければ、目当ての出入り口に向かうことも儘ならない。


 部屋を出発してから数分ばかりを歩いて、数多ある玄関の一つから外に出た。


 建物から屋外に出ると、そこかしこに山林や田畑が窺えた。割合としては人工物よりも遥かに多い。そうした只中を歩くこと更に十数分ばかり。妙に古臭い、まるで昭和初期を思わせる駄菓子屋みたいな建物が、道の途中にぽつねんと立っていた。


「こういう風景、妙に落ち着くっスね」


 田んぼを突っ切るように一直線に伸びた、古びたアスファルトの道路。


 その先に窺える年代物の駄菓子屋を眺めて思う。


「気に入っていただけましたか?」


「迷惑ばかり掛けて、本当に申し訳ないッス」


 きっとムー大陸の超科学を用いて、突貫工事をしたのだろう。もしも自分のようなアジア人の代わりに、アメリカ人とか流れ着いていたら、延々と続く麦畑など、ご提供されていたのかもしれない。


 お国に由来の心象風景というやつだ。


「気に入りませんか?」


「いやいや滅相もない。とても素敵だと思います。大好きです」


「そういって頂けて嬉しいです」


 ほんの僅かばかりではあるが、ムーちゃんの能面のようなお顔に、笑みが浮かんだような気がした。もしかしたら、自信作だったのかもしれない。そう考えると、なんだかこっちまで嬉しい気持ちになってしまうよ。




◇ ◆ ◇




 ムーちゃんに案内されたのは、道路の先にあった駄菓子屋であった。


 曰く同店舗内に東京都港区ムー大陸出張所は所在するらしい。


 てっきり風景の一部として用意されているのかと思っていたのだけれど、中に入ってみると駄菓子までちゃんと用意されており、今まさに営業中といった雰囲気だ。糸引き飴とか、眺めていると懐かしい気持ちになる。


「こちらです」


 二十平米あるかどうかも怪しい店内、ムーちゃんの腕が指し示した先は、もっとも奥まった場所だった。そこには駄菓子屋の番台が設けられていた。そして、古めかしい木製のカウンターの上、役所、なる文字の刻まれたネームプレートがある。


「なんか、駄菓子が沢山あるッスね」


「駄菓子屋ですので」


「なるほど」


 どうして役所が駄菓子屋にジョインしてしまったのか。


 さっぱり分からない。


 しかしながら、ムー大陸の創造主たるムーちゃんがくっ付けたのだ、その恩恵に預かり日々を暮らす我が身は、これを感謝の念と共に迎え入れるのが正しい。そこに疑問を抱くなど過ぎた行いである。


「素晴らしい役所ッスね。ありがとうございます」


「こちらでよろしいですか?」


「ええもう、最高のお役所だと思います。仕事も捗りますとも」


「それはなによりです」


 少し暗い店内へ、軒先から日差しの差し込む様子が、これまた素晴らしい。


 上手く言葉で表現できないけれど、圧倒的に穏やかなお役所である。これなら待ち時間も決して苦にならない。店の前のベンチに腰掛けて、ぽっきんアイスなどチューチューしながら、延々と呆けていたい気持ちになる。


 向こうしばらく、三時のおやつには困ることもなさそうだ。


 きなこ棒など啄みながら、住民票の写しをください。そんなやり取りが、もしかしたら近い未来、こちらでは見られるかもしれない。それはそれで楽しそうなので、行く末を見守ってゆきたい気持ちになった。


「何かお買い求めになりますか?」


 とかなんとか考えていたら、いきなり尋ねられてしまったぞ。


 もしかしてムーちゃん、店員とか務めちゃうつもりだろうか。


「あの、申し訳ないんスけど、自分はお金とか持ってなくて……」


「…………」


 どことなくムーちゃんが不機嫌そうだ。


 だけれども、こればかりは仕方がない。ハローワークで紹介してもらった仕事は、お賃金をもらう前に逃げ出す羽目になってしまったし、ムー大陸ではこれといって働いている訳でもない。つまり金銭を得る機会がゼロなのだ。


 就活中の面接でももらった交通費三万円は、お勤め期間の間に使ってしまった。オフィス街で食べるお洒落なランチの魅力に勝てなかった。キラキラとしたお店の華やかな席に座ると、まるで自分が人間として格が上がったかのように感じるから不思議だ。


 ただ、言い訳ばかり並べてはいられない。


 ムーちゃんの機嫌が優れないというのは、こちらとしても悲しい。


「ぶ、物々交換とか、どうッスかね?」


「……承知しました。そのように致しましょう」


 折衷案。


 それでもどことなく不服そうなムーちゃんだ。きっと彼女は彼女で、様式美のようなものを考えて下さっていたに違いない。番台の向こう側には、金銭を管理していると思しき木製の棚のようなものが窺える。


「何を求めますか?」


 だが、土左衛門として同所に流れ着いた自分には、差し出せるものなんて何もない。今こうして身に付けている衣服さえも、ムーちゃんがどこからともなく持ってきたモノをありがたく着させて頂いている。


 極めて現代日本的なデザインを考慮するに、きっとノートパソコンと同様、ムー大陸のどこかに備えた生産施設で作られたものと思われる。おかげで我が身が今すぐに差し出せるものはと言えば、それこそ目くそ耳くそ鼻くそが精々である。


 なんたる穀潰し。


「あの、す、すみません。実は差し出せるモノもなくて……」


「…………」


 素直にお伝えするも、これといって返事は返らない。ジッと穀潰しを見つめて下さる。出会って間もない間柄、ムーちゃん歴も僅か数週間の若輩者ではあるけれど、なんとなく彼女が不満のようなものを抱いているのは理解できた。


 何が彼女をそこまで駄菓子屋に駆り立てるのか。


 分からない。


「あの、それじゃあ、今日一日はムーちゃんの下で働くとか……」


「大丈夫です。問題ありません。どうぞ好きなものを選んでください」


「あ、はい」


 即断だった。


 両親の誕生日、手製の肩たたき券を進呈する子供の気持ちって、こういう感じなのだろうか。肩たたき券とか、過去に送ったことがないから、なんとも言えない。ただ、他に何も差し出せるものがなくて、そんなどうしようもないことを考えた。


 子供に物や権利を所有させて、その価値を教えて、他の誰でもない自分のために活用させる。そんな大人にとって当たり前のことに対して、小さいうちから前向きに付き合っていくことが、きっと大切なんだろうな。


 ムーちゃんとのやり取りを受けて、ちょっとだけ賢くなった気がする。


「それじゃあ、えっと……」


 それとなく店内を歩んで、目についた駄菓子を手に取る。


 タラタラしてんじゃねぇよ、ってやつだ。


 二十円とお安い価格帯にありながら、それなりに量が入っており、尚且つ味が濃い為に食べごたえがある一品。貧困極まる我が身においては、幼少時分はもとより、昨今であってもお酒のツマミに登場すること度々。


 こんな時くらい他を選ぶべきだとは思うけれど、条件反射で手に取ってしまった。ただ、最近は30円に値上がりしたらしくて、買う場所を選ばないと、20円で購入することは難しくなってきた。悲しい。


「ひとつでよろしいのですか?」


「え? あ、じゃ、じゃぁ……」


 促されるがまま、幾つか駄菓子を手に取り、店舗の脇に設えられた畳のスペースにお邪魔する。中央には妙に古めかしい木製のちゃぶ台が置かれていた。片隅にはブラウン管のダイヤル式テレビや扇風機が並ぶ。圧倒的な昭和の気配を感じる。


 先立って上がるムーちゃんに促されるがまま、靴を脱いで、ちゃぶ台の前に敷かれた座布団に腰を下ろす。対面には正座したムーちゃん。その太ももの合間から、オパンツが見えそうで見えない感じが本日の一等賞。


 そんなこんなで駄菓子など食べながら雑談。


 なにをするでもなく、ムーちゃんと共に穏やかな時間を過ごす。


 そうして一通り手元のお菓子を食べきった頃合い。瓶ラムネなど飲みながら、思ったよりも膨れたお腹を擦っていた最中の出来事である。少しばかり声色を低くして、ムーちゃんが言った。


「さて、それでは先程の取引の対価を利用させて頂きます」


「あ、はい、なんスか?」


 取引、対価。


 ちょっとばかり威力的な単語を耳にして、ピンと背筋が伸びた。


 座布団の上、思わず正座してしまったよ。


「これからご主人の健康診断に向かいます」


「健康診断?」


「はい、これも大陸管理者の責務となります」


「……なるほど」


 そう言われてしまうと、こちらは弱い。衣食住と保証して頂いている訳だから、それくらいはちゃんと受けなければ、という気分にさせられる。しかも労働を強制された訳ではない。むしろ健康診断とか、お金を払って受けさせてもらうものだ。


「よろしいですか?」


「そういうことなら、あの、是非お願いします」


「ありがとうございます。では、場所を移動しましょう」


「あ、はい」


 促されるがまま、駄菓子屋を後にした。

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