郵便 二

 皆々で移動した先は、見晴らしの良い岬に建てられた東屋だ。航空機の着陸地点から徒歩で数分ほどの距離である。絶え間なく届けられる波の音と潮の香りが、すぐ近くに臨む海原と相まって、なかなか気分の良い寛ぎスポットだ。


 規模は十畳ほど。中央にはテーブルと椅子が並べられている。これに腰掛けて、お役人さんとああだこうだと、書類に所定の書式で必要事項を記入している。温かな日差しと、時折吹き抜ける風が心地良い


「あぁ、違います。そこは西暦でお願いします」


「あ、すみません」


「いえいえ、やっぱり分かりにくいですよね。私も思います」


「たびたび申し訳ないッス。なにぶん学がないもので」


「そんな滅相もない。あ、訂正印を押しときますね」


「どもッス」


 穏やかな気候も手伝い、おもむろに昼寝でもしたくなる心地良さだ。


 朗らかな気分で、お役人さんと共に書類を埋めていく。


 こんな気分良くお役所の書類を書いたの、生まれて初めての経験。


 ちなみに自衛隊の方は隅の方に立ってる。椅子には余裕があるので、もちろん是非どうぞと勧めさせて頂いた。しかし、自分は結構です、と断りの言葉を口にして以降、一言も発することなく同所に立っている。ピクリとも動かない。マジ凄い。


「しかし、随分と穏やかなものですなぁ」


「そうですか?」


「どういう仕組なのか知りませんが、外は凄いことになっていましたよ? 私どもがやって来たときも、どこの国のものなのか、ミサイルが飛んでいたり、戦闘機が追いかけっこをしていたり、それはもう大した騒ぎでした。はい」


「マジですか」


「ご存知ありませんでしたかな?」


「え? あ、いえ、多少は聞いているんですけど……」


「今なら大義名分は幾らでも立ちますからね。というよりも、この期に及んでは言ったもの勝ちと言いますか、どこの国や組織、団体も、予期せず始まった大航海時代に必死ですよ。ゴールドラッシュさながらです、はい」


「…………」


 チラリとムーちゃんの様子を窺う。


 すると彼女は淡々と状況を説明してくれた。


「不要な熱や電磁波、音などは全てフィルタをしています」


「なるほど」


 相変わらず凄いな、ムーちゃんち。


 引きこもるには最高の環境だ。


 どおりで毎日快眠できているわけだよ。


 安アパートの騒々しいお隣さんが早くも懐かしいわ。


「……本国で噂になっている以上の代物ですね、こちらの技術は」


「そのへん自分はさっぱりなんで、詳しくはムーちゃんに聞いて下さい」


「ムーちゃん?」


「そちらの彼女ッス。この島の管理人みたいな方なんですよ」


「全権管理者は貴方です。私は代行者に過ぎません」


「とかなんとか本人は言ってますけど、島のドンみたいな感じッス」


「なるほど……」


 役人さんの視線がムーちゃんに向かう。


 きっと色々と考えているのだろうなぁと思いつつも、自分から何か言うのも違う気がして、それ以上は控えておく。こちとら居候である。いつ何時、ムーちゃんの気が変わって追い出されるとも知れない。


 そう考えると肩もみの一つくらい、した方がいいんじゃないかって思えてきた。


 今晩あたり、それとなくお声掛けしてみようかな。


「お役人さん、ところで一つ質問してもいいっスか?」


「なんですか? 私に分かることであれば答えさせてもらいますが」


「引っ越しの手続きって、どうすればいいんスかね? 移動するためには郵便番号が必要って言われて、こうして書類とか持ってきてもらって、色々と面倒を掛けてしまって申し訳ないんですけど、これから先の手続きとか……」


「たしかにまあ、一般の方には縁遠い処理になりますね」


「できれば今のうちに教えてもらえると嬉しいんですけど」


「仮に貴方の新しい住所、こちらのムー大陸が、日本国内であると考えて話を進めましょう。その場合ですと、転出元で取得した転出証明書を転出先の役所に届け出て、転入届の手続きを行う必要があります」


「うぃす」


 そういった流れは理解している。過去にも経験があるから。


 けれど、ムー大陸にお役所ってあるのだろうか。


 それっぽい施設を見たことがない。


 あれこれと悩んでいると、お役人さんが顔を強張らせて問うてきた。


「……よろしいのですか?」


「え? あ、どうなんでしょう。ムーちゃん、どうなんスかね?」


 何がよろしいのか、ちょっと分からなかった。


 困った時はムーちゃんに丸投げだ。


「大陸の主権については現管理者の意向に従います。しかしながら、こちらの大陸にはその存続を実現する為の各種規則が存在します。これに違反するような行いは、管理者であっても決して認められておりません」


「なるほどなるほど、差し出がましい確認を申し訳ありませんでした」


「いいえ」


「そういうことでしたら、我々は形だけも全然構いません。本国はこちらの大陸の皆さまとの円満な交流を望んでおります。領土へ立ち入るつもりは毛頭ありません。もしも入り用などございましたら、お気軽にお声掛け頂けたら幸いです」


「承知しました」


「我々はムー大陸の管理者である、そちらの方を全力でサポートさせて頂きます。代りにと言ってはなんですが、もしも彼の生まれ故郷が世の中の流れから取り残されそうになりましたら、そこはかとなく支えて頂けたら嬉しく思います」


「現管理者のメンタルの保全は私の仕事の範疇です」


「あ、ありがとうございます……」


 ムーちゃんとお役人さんの間で何やら話が進んでいく。


 目と目で通じ合っている感じが格好いい。


 ここは自分も、何かしら喋っておくべきではなかろうか。


「でも、ムー大陸にはお役所とかないんスよね?」


「……なるほど?」


 お役人さんもその辺りは気になるのだろう、チラリチラリとムーちゃんに視線を向けてみせる。続く言葉に悩んでいるような感じ。そもそもムー大陸は誰のモノなのか。個人的にはムーちゃんの所有物のような気がしてならないのだけれど。


「役所となる施設が必要ですか?」


「え、ええまあ、あると大変ありがたいなとは……」


 ムーちゃんから質問が飛んだ。これを受けたお役人さんは、ズボンのポケットからハンカチを取り出して、額に浮かんだ汗を拭いながら答えてみせる。その萎縮した表情を見ていると、こちらまで申し訳ない気持ちになってくる。


「いかがされますか?」


「え? じ、自分ですか?」


 今度はこちらに向かってムーちゃんが問うてきた。


 いきなりだったので驚いた。


「私に決定権はありません。この場で決めて下さい」


「マジですか……」


 自分なんかが決めちゃってもいいのかと焦る。ただ、そう深刻に考えないでも大丈夫なのかも知れない。とりあえず部屋の隅に机と椅子を一式用意して、ムー大陸市役所とか書いた札でも立てておけばいいんじゃなかろうか。


 お役人さんも自衛隊の人も、せっかく命懸けで来てくれたのだし、まさかここへ来て断るのも申し訳ない。っていうか、ここで断ったりしたら、今まさに書いている書類も無駄になってしまいそうだし。


「あの、それじゃあ申し訳ないんスけど、一つでいいんで……」


「承知しました」


 お伺いを立ててみると、ムーちゃんは即座に頷いて下さった。


 相変わらずキビキビとした娘さんである。


 一方でお役人さんは嬉しそうだ。


「ありがとうございます、とても助かります」


「あ、でも、この島って他に人とか全然いないんで、書類を書いたり、判子を押したり、そういうお役所の仕事って、全然できないと思うんスよ。だから申し訳ないんですけど、できれば当面はお手柔らかにお願いしたいっていうか……」


「ええ、大丈夫です。役所があるという名目が立てば問題ありません」


「本当ですか?」


「おまかせ下さい。その辺りはお二人のやり易いように、こちらで柔軟に進めさせて頂きます。もちろん今後、お話を進めていく途中で気になる点など出てきましたら、いつでも仰って下さって結構ですので」


「おぉ……あ、ありがとうございます」


 良かった、どうやらちゃんと引っ越しできそうだ。


 これで後々、ムーちゃんにムー大陸から出てけと言われても、しっかりと転出届をゲットすることができる。転出届さえあれば、日本国内へ転入することができるはずだ。少なくともお役所で門前払いを受けることはないと信じたい。


「しかし、そうなると連絡を取る手段が必要になりますね……」


「たしかにそうッスね」


 島の外と連絡を取るとなると、やっぱりインターネット経由だろうか。自ずと思い起こされたのは、ついこの間ムーちゃんに作ってもらったノートパソコンと、インタネットエクスチェンジである。回線速度とか、めっちゃ速いの。


「あ、そうだ。お役人さん、ツイッターってやってますか?」


「え? あの、……え?」


「ツイッターですよ、ツイッター。もしかして知りません?」


「いえ、知ってはいますが……」


 他所だとフェイスブックとかインスタグラムとか人気だけど、自分はあれ嫌いなんだよな。なんかキラキラしている人たちが自慢ばかりしてて、底辺的に絶望するっていうか、眺めていて心がダメージを受ける。やっていていいことが一つもない。


 一方でツイッターはエロスが溢れていて素晴らしい。


 放っておいても勝手にエッチな絵が流れてくるの凄く嬉しい。


「やってます?」


「アカウントは持っていますが、それがどうかしましたか?」


「出会って間もない人にこんなこと言うのも申し訳ないんスけど、フォローしてもらってもいいですか? こっちもフォローしますんで。それでもしも何かあったら、ダイレクトメッセージを送らせてもらいますんで」


「こ、こちらの島ではインターネットが使えるのですか?」


 え、マジで? って顔でお役人さんが聞いてきた。


 やっぱりビックリですよね。


「使えますよ。バリバリのアンテナ三本ッスから」


 それもこれもムーちゃんの仕事である。


 いつのまにやら屋外にもアクセスポイントを用意して下さったようで、気付けば手元の端末には、アンテナが三本立っている。取り立ててSIMを入れ替えた覚えもないのに、何ら不自由なく使えているのが凄く怖い。でも便利なので使っている。


 ちなみにSSIDはMUU LAND。


 マジかっちょいい。


「っ……」


「あ、でも、パスワードはムーちゃんしか知らないんで、ムーちゃんに言って入力してもらわないと繋がらないッス。あと、エッチなサイトとか見ると、たぶんムーちゃんに筒抜けなんで、注意した方がいいかと」


「それはご主人がパスワードの管理を嫌がったからです」


「いやだって、ふとした拍子に流出とか怖いじゃないっスか」


「クライアント証明書を利用しても構いません」


「そ、そういうIT関係のはちょっと、自分は無理っていうか……」


「…………」


 エッチなサイトに関しては何も言われなかった。


 きっと、その通りなんだろう。


「もしかして持ってません? それなら捨て垢でもいいんスけど……」


 初対面の人にツイッターのアカウントを尋ねるとか、頑張りすぎたかもしれない。仕事とプライベートを分けたい人って、やっぱり多いんだな。自分はプライベートが壊滅しているから、あんまり気にしてなかったけれど。


「いえ、持っているには持っているのですが……」


「あ、よかったっス」


 よし、これで当面の連絡手段も確保したぞ。


 メールとか堅苦しいのは苦手だし、やっぱりツイッターが気軽でいいと思う。いつもお世話になっておりますとか、そういうの凄く面倒だよ。この前の逮捕寸前の一件も手伝って、そういうビズってるスーツでサラリーな感じ、個人的に印象悪いっていうか。


「それじゃあ早速なんですが、フォローさせてもらってもいいですか?」


「え……」


「え?」


「あ、いや、あの、それはその……」


「もしかして、やっぱり駄目っスか? それならそちらの自衛官の方でもいいんで、とりあえずアカウントだけでも教えてもらえたら、この場でフォローさせてもらいたいなぁ、なんて考えているんですけれど」


「っ……」


 それとなくお願いしてみると、ここへきて今の今まで直立不動を貫いていた怖い顔の彼に変化があった。ピクリと身体が震えると共に、心なしか顔が強張ったような気がする。というか、強張っている。間違いなく強張っている。


「…………」


「…………」


 これはあれだ、現実では物静かなナイスガイである一方、ネットでははっちゃけているタイプの人だったりするのかも知れない。なるほど、そういうことであれば、こちらから無理強いはできない。


 そうした背景をお役人さんも想像したのか、間髪を容れずに声が漏れた。


「しょ、承知しました、私のアカウントでフォローさせて頂きます」


「あ、はい。なんかいきなりすみません……」


「いえいえ、これもまた仕事ですから」


 心なしか表情の危ういお役人さん。


 おかげで自分もドキドキ。


 彼は懐から取り出した端末を操作して、画面をこちらに差し出してきた。これにムーちゃんからパスワードの確認が入って、無事にムー大陸のネットワークに接続。アンテナもバッチリと立って、画面にはログイン済みのプロフィール画像が表示されている。


 すると、そこに表示された彼のアカウントは、自分が想定した以上の代物だった。


 まずアイコンが可愛い女の子のイラスト。めっちゃ好みのロリロリロリータ。更にタイムラインに並んでいるのは、同じような絵柄の幼くも美しい裸体。絶妙な筆使いで描かれた肉々しい質感はエロエロ。一部陵辱。


「…………」


「…………」


 どうしよう。


 お役人さん、神絵師だった。


 フォロワーとか十万人越えてるじゃないですか。


 しかも、どこかで見たような絵柄だよ。


 主に薄い本で。


「生殖活動を刺激するイラストですね」


「っ……」


 困っていると、これを覗き込むように見つめて、ムーちゃんが声を上げた。


 今のトドメを刺した気がする。


 お役人さんの心を潰した気がする。


 どうしよう、ここで神絵師の心が死んでしまったら、彼をフォローする十万オーバーのフォロワーがとても困ったことになる。明日から何をオカズにご飯を食べればいいのか、分からなくなってしまう。まず間違いなく難民だ。


「ストレスの多い職場でして、それ故の矛先とでも申しますか……」


 額の汗をシャツの袖で拭いながらお役人さんが言った。


 凄いぞ神絵師様。


 こんなときでもクールな対応が格好いい。


「こ、こちらこそ無理を言って申し訳ないっス」


「フォロー、して頂いてよろしいでしょうか?」


「あ、はい」


 大慌てでズボンのポケットから端末を取り出す。


 今し方に確認した名前で検索すると、一番上にアカウントが出てきた。流石は神絵師だ。改めてフォロワーの数に圧巻だ。本当にフォローしてしまって良いのかと、躊躇してしまうほどの桁数だ。


 些かの緊張とともにフォローのボタンを押させて頂く。応じて画面に表示された自身のフォローの数が一つ増えた。間髪を容れず、フォロワーの数もまた一つ増える。どうやらお役人さんの方でもフォローして下さったようである。


 凄い、神絵師にフォローして頂いてしまったぞ。


 やばい、嬉しい。


 まるで人として一皮剥けたような喜びがある。


「それでは今後、やり取りはこちらのダイレクトメッセージで行わせて頂きます」


「はい、よ、よろしくお願いします!」


 百人いない神絵師のフォロワーになっちゃった。ヤバい、どうしよう、むちゃくちゃ興奮するんだけど。無性に誰かに自慢したい気分だ。でも自慢する相手がいない。5ちゃんにスレ立てたい。神絵師にフォローされたけど何か質問ある?


 あ、そうだ。ムー大陸も公式アカウントとか作ったほうがいいのかな。


 アイコンはムーちゃんの可愛いお顔で。


 いやいや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


 それよりも、自衛官の方にもお声掛けをしたほうがいい気がする。こういう場合、一人だけ仲間はずれって寂しいもの。せっかく神絵師とお知り合いになる機会だし、こういうのは皆で喜びを分かち合うべきだろう。


「あの、もしよければ自衛隊の方も自分やお役人さんと……」


「すみません、自分はインスタ派なんで」


 速攻で断られてしまった。


 マジ、今の早かった。


 こっちの台詞を予期していたのではないかというほど。


 何が何でも死守するという意気込みが感じられた。


 アカウント的な意味で。


「あ、はい。無理を言ってしまって申し訳ないです」


「いえ」


 インスタは逆にこちらが持っていない。あそこはキラキラ系の人たちの独壇場だから、社会の底辺と相性が悪い。日常的に上げられる写真も、牛丼チェーンの丼が精々の層にとっては世知辛いフィールドだ。


 ああでも、ムー大陸って景色が綺麗なところも多い。今から始めるっていうのもありなのかもしれない。あとでムーちゃんに相談してみよう。もしかしたら、有名インスタグラマーになれちゃったりするかもしれない。


「それじゃあ、あの、すみませんがそういう感じでお願いします」


「いえいえ、こちらこそよろしくお願い致します」


 当面はこれで大丈夫だと思う。

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