大陸の全権限 三

 お風呂に入って食事も終えた。その次に案内を受けたのは寝室だ。


「こちらです」


 幾つかあるなかで、ムーちゃんオススメだという一室を選んで頂いた。


 風呂場や食堂がそうであったように、寝室もまた豪奢ななりをしている。例によって高級ホテルのそれを思わせるデザインだ。所々に用途不明の物体Xが見受けられるが、自らの知るそれと大差無いようにも思える。


 思い起こせば風呂場や食堂もそうだった。


「ムー大陸の人も意外と今と変わらない生活をしてたんスね」


「いえ、こちらの部屋は本日という日の為に、その時代に合わせて逐次、改装を行っておりました。ムー大陸の歴史は西暦と比較して、遥か長きに及びます。生活様式はその時々によって大胆に変化しておりますので、こちらとは比較するべくもありません」


「……ども、申し訳ない限りッス」


 聞けば聞くほど申し訳なくなるよな。


 しかし、おかげで気持ちよく眠れそうだ。


 キングサイズのベッドとか初めて見た。


「ごめん、すこし眠らせて欲しいんスけど」


「承知いたしました」


 伊達に海を漂流していない。


 食事を取ったところで、途端に眠気が襲ってきた。


「ご用の際はお呼びください」


「あ、ども」


 小さく会釈をして、ムーちゃんは部屋から出て行った。


 漂流野郎はせこせことベッドに上がらせて頂いて、おやすみなさい。


 目を閉じると睡魔は即座に訪れた。


 久方ぶりに波の揺れを感じず、静かに深く眠れそうだ。




◇ ◆ ◇




 目覚めると夜だった。


 窓から差し込む月の光を眺めて理解した。


「…………」


 目覚まし時計の音が鳴ることもなく、道路工事の騒音が届くこともなく、人の気配を感じることもなく、ましてや波に揺られることもなく。これといって何か刺激を与えられることなく、スゥと自然に瞳が開いて目が覚めた。


 最高に気分の良い目覚めだった。


「……いい気分だわ」


 体力がゲージ最大まで回復した気分である。


 ベッドの上、身体を起こす。


 見渡す室内は寝入る前と変わらない。


「…………」


 しばらく呆と過ごしていると、部屋のドアがノックされた。


「はい」


 素直に応じて答える。


 すると開かれた廊下から現れたのはムーちゃん。


「失礼します」


「あ、どもっス」


 この絶妙なタイミングを思うと、きっと我が身の睡眠と覚醒は、彼女に監視されているのだろう。でもまあ、それならそれでいいか、なんて考えてしまうのは、ひとえにムーちゃんが美少女だから。


 彼女が部屋に足を踏み入れると同時に、室内の照明が灯った。


 スタスタと歩んで、ムーちゃんがベッド脇まで移動する。


「こちらをどうぞ」


「え? あ、どもっス」


 なにやら差し出された。


 よく見てみるとノートパソコンだ。


「……え? ムー大陸ってノーパソ作ってるんですか?」


「インターネットへの回線と合わせて製造いたしました」


「なるほど……」


 自前で作っちゃうとか凄い。


 ムー大陸の超絶技術を前としたら、大陸外の技術なんて子供だましのようなものなのかもしれない。伊達に現在進行形で、諸外国からの侵入をフルオート防衛していない。全自動だよ、全自動。凄すぎるじゃないですか。


 きっと大抵のモノは三次元プリンタ的なノリで作ってしまうのだろうな。


「……おぉ、見覚えのある画面だ」


「ソフトウェアは既存のモノを利用しております」


「どもっス」


 おかげでエッチなゲームとかを他所からダウンロードしてきても、普通に遊ぶことができるって寸法ですね。なかなか気が利いているではないですか。きっとアクセスログとか、ムーちゃんに全部もろバレなんだろうなぁ、なんて。


「……どれ」


 適当にニュースサイトでも開いてみる。


 すると、おぅ、さっそく記事になってるぞ。


「ムーちゃん、ここのことニュースになってるよ」


「どうやらそのようですね」


 これまで何もなかった太平洋の一角に、急に陸地が浮かび上がったら、やはり気づく一般人も出てくることだろう。まさか人の口には戸は立てられない。今日日、民間の報道機関だって、ヘリの一台や二台は所有しているだろうし。


「おぉ、ムー大陸か? とかテロップ出てるし」


「そうですね」


 甚だ興奮している自分。だって、ニュースとか凄い。


 一方で話題に上がっている大陸の主はといえば、大した興味もなさそうだ。


「……もしかして、割とどうでもいいんですかね?」


「はい」


「…………」


 なるほどね。


 どうやらムーちゃんの興味の対象は、ニュースに向いていないようだ。


 まあ、その辺りは個人の趣味趣向であるから、無理に推すこともない。主義主張の強制は良くないと思う。ただ、自身の戸籍の在り処を思うと、少なからず気になる事柄も出てくるというもの。


「とりあえず、あ、挨拶とかしなくていいんスかね?」


 世界的に見たら地図を書き換える事態な訳で、それくらいはやっておいても損はないような気がしないでもない。引越しそば的なサムシング。ああした贈り物も、やっぱり必要に駆られて生まれたと思うんだ。


「貴方が望むままに致します」


「…………」


 ただ、ムーちゃんのテンションは低い。


 めっちゃどうでもよさそうだ。


 お風呂場で洗いっこした際とは雲泥の差である。


 口調こそ変わらないけれど、どことなく不機嫌な気配を感じるもの。


「……よし、それじゃあ決めたッス」


「はい」


「ムーちゃんともう一回、お風呂に入りたいんですけど」


「承知しました」


「え? いいんスか?」


「こちらです」


 二つ返事で答えてくれたムーちゃん。


 ムーちゃんとお風呂嬉しい。




◇ ◆ ◇




 お風呂はいい。だってムーちゃんが全裸だから。モリマンだから。


 共に湯船に浸かり、その縁に背中を預けては、湯気のゆらゆらと立ち上る様子を眺めている。少し熱めのお風呂が目覚めて間もない身体の冷えた芯を、じんわりと温めてくれる。最高に気持ちがいい。


「まさかお風呂が幾つもあるなんて思わなかったッス」


「気に入りませんでしたか?」


「いいえ、最高ですとも」


 チラリチラリ、傍らにムーちゃんの柔肌など拝みつつの入浴。


 彼女は平素からの淡々とした表情のまま、お湯に浸かっている。極めてクールだ。湯に濡れたうなじや鎖骨が非常にエロい。もっとエロいところも見たいけれど、あまり執拗にして嫌われたら困るので自重しておく。


「どちらが好みですか?」


「どちらかということ、こっちの方が好きッス」


「なるほど、そうでしたか」


 今浸かっているのは日本贔屓の露天風呂。屋外のテラスに設けられた石畳の界隈に、ヒノキっぽい木材で作られた桶を思わせる丸いお風呂。サイズは直径三メートルほど。これにムーちゃんと一緒に仲良く肩を並べている。


 こっちの方が距離が近くて嬉しい。


 テラスから眺める先には、広大な海が広がる。


 ざざーん、ざざーん。


 堪りませんな。


「先程は随分とニュースに執着していましたね」


「そりゃまあ、あれだけ記事になってれば気になるっていうか……」


「一度、母国に戻られますか?」


「え? 戻れるの?」


「移動方法は幾つかあります。安全に本国まで送り届けることは可能です。ただし、その場合でも大陸の管理権限は紐付いたままとなりますので、ご注意下さい」


「それって行って戻って来たら、またムーちゃんとお風呂に入れるんスか?」


「そうなります」


「おぉ……」


 てっきり外に出たらアウトとか、そういうルールかと思った。


 浦島太郎的な。


 また帰って来られるとか、最高じゃないですか。


「でも、これと言って今すぐに、戻る必要はないんスよね……」


「……構わないのですか?」


「ここのが居心地いいんスよ。出てけと言われたら出て行くんですけど」


「それならば構いません。いつまでも滞在して下さって結構です」


「ど、どもっス」


 家に帰ったところで、やることなんて何もない。更に日本では、日々を生きていくだけでも大変だ。家賃と食費と光熱通信費を稼ぐので、自分の時間は大半が失われてしまう。それと引き換え、こちらであれは全てが一方的に与えられる。


 しかもムーちゃんがいる。ムーちゃんかわいい。


 ブロンドのおかっぱが、汗でしっとりとおでこにくっ付いているの最高。


「当面はこちらで厄介になりたいんスけど、いいですかね?」


「幾万年でもご自由になさって下さい」


「どうもです」


 よかった、当面はゆっくり過ごせそうだ。


 人生の夏休み、みたいな響きが脳裏に浮かんでは消える。


「背中を流しましょうか?」


「あ、おなしゃす」


 湯船から上がり、何故か置かれているケロリン印の椅子に腰掛ける。ムーちゃんの言葉が正しければ、これも時代の変遷を追い掛けて用意されたものだと思われる。いささか場違いな感じが、絶妙に可愛らしい。


「失礼します」


 ムーちゃんの手が伸びて背中を洗い始める。


 いい感じだ。


 凄くいい感じだ。


 オチンチンおっきする。


「あ……」


「どうかしましたか?」


「今日って何日ッスか?」


「八月二十六日ですが」


 そういえば、出漁前に振り込んだ家賃の前払い、今月までだった気がする。漁が伸びたとか言って、当初予定した以上に船に乗っていたのだ。原因は失敗を連発した自分の責任なんだけどさ。


 このまま延々と、ムーちゃんちにお世話となるのであれば、解約するなりなんなり、対処しなければならない。だって家賃の滞納はヤバイ。信用情報に傷がついてしまう。後々、クレカとか作れなくなったら大変だ。


「申し訳ないんスけど、やっぱり少しだけ自宅に戻りたいなと」


「……戻られるのですか?」


「本当に少しの間だけ、ちょっとした用事なんスけど……」


 諸々お伝えさせて頂く。


 当面をムー大陸で生活するにしても、生活の場を移動する為、少なからず手続きが必要である旨をご説明だ。賃貸契約以外にも電気やガス、水道、移動体通信など各種インフラまわりの清算を終える必要がある。あと健康保険や税金。


 以前、ケータイ代の滞納から住宅ローンを断られた友達から色々と聞いたのだ。この辺りは我々のような庶民が想定する以上にシビアらしい。総額四桁万円に達する住宅ローンは、これら信用情報が完全にクリーンでないと受けられないとか。


 もちろん家を買う予定なんて毛頭ないけれど、綺麗であるに越したことはない。なんせこちとら中卒のその日暮らし。取り分け健康保険や国民年金の支払いは、近い将来、生命の維持に関わってくる大切なものだ。


 一生をムー大陸で過ごさせて頂けるのであれば、不要かもしれない。しかしながら、こちとらムーちゃん及びムー大陸民のご厚意から住まわせて頂いている。いつなんどき強制退去を命じられるとも限らない。


 戻って直後、ホームレスから再スタートとか、それは辛いでしょ。


「なるほど、承知しました」


「どもッス。そういう訳で少しばかり手続きとかしたいんですが」


「そういうことならば、これから現地に向かいましょう」


「いいんですかね?」


「問題ありません」


「どもです。色々と申し訳ないんですけど、どうかお願いします」


「承知いたしました」


 どうやって移動するのかは知らないけれど、自宅まで戻れるらしい。


 あ、でも、家の鍵、マグロ漁船の中だ。

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