就活 三

 翌日、指示された通り面接が行われたフロアまで出社した。


 出社にはムー大陸が誇る謎の瞬間移動技術を利用。おかげで満員電車に悩まされることもなく快適に到着した。移動時間がゼロのおかげで、睡眠時間も十分に取ることができた。この調子なら長く働いていけるのではないかと思う。


 出社するとすぐに、スーツ姿の女性が対応に当たってくれた。


 先日、面接をしてくれた男性の姿はない。


「……ということで、しばらくはこの部屋で作業をして頂きます。この端末を利用して、こちらのマニュアルにある作業を行って下さい。質問があるときは、デスクにある電話を利用して下さい。私が持っている端末への直通となります」


「あ、はい」


「なにか質問はありますか?」


 とても淡々とした物言いが特徴的な人物だ。


 ムーちゃんのクールさに迫るものがある。ただ、ムーちゃんが歳幼い外見である一方、こちらの女性は自分よりも一回りくらい歳上なので、彼女以上にきつい印象を受ける。なんていうか、ちょっと怖い感じ。でも、とっても美人。


「あの、この部屋には自分だけなんでしょうか?」


 現在地はオフィスビルの一角に設けられた十畳ほどの一室だ。


 中央には大きなデスクが用意されており、その上にはノートパソコンが置かれている。部屋の壁際にはズラリとロッカーが並んでいて、何やら難しそうなラベルの張られた分厚いファイルが沢山収められている。


 そして、室内には自分と彼女以外、同僚の姿が見られない。


「そうです。幹部候補の育成は特別な部屋で行われます」


「な、なるほど」


 凄い、どうやら幹部候補というのは本当であったようだ。


 個室でお仕事とか、これは帰ったらムーちゃんに自慢できるぞ。


「他に何か質問はありますか?」


「え? あ、だ、大丈夫です!」


「それでは本日から、マニュアルに従い作業を開始して下さい」


「ういッス」


 よく分からないが、やることは決まっているらしい。


 机の上に置かれた冊子に従って、パソコンを操作すればいいそうだ。パソコンの使い方については、一連の説明の中で軽く教えてもらった。不器用な自分であっても、特に問題なく行える作業であった。


「それではお願いします」


「あ、はい」


 小一時間ほど受け答えをすると、女性は部屋から出て行った。


 めっちゃ綺麗な人だった。正社員だとああいう人ともお話できてしまうわけだ。スーツ美女って素晴らしいと思う。シニヨンというのだろうか。綺麗に結って頭の上でくるくると巻かれた髪型が素敵だった。


「…………」


 さて、一人になったところで早速お仕事をスタートしよう。


 ちなみに本日はムーちゃんとは別行動である。まさか当日まで知り合いの女の子が同伴とか、正社員としてカッコ悪いじゃない。


 そういう訳で静かに淡々と、マニュアル通り仕事を進めることにした。




◇ ◆ ◇




 正社員になって二週間が経過した。


 仕事は順調だ。


 毎日決まった時間に出社して、最初に頂戴したマニュアルに従い、淡々と作業をこなしている。これまで例外の一つもなく、とても安定している。パソコンの操作にも慣れて、今では大半の処理が目を瞑っても行えるまでに至っている。


 おかげで段々と飽きてきた。


「……誰かと話がしたい」


 家に帰ったらムーちゃんとお話できる。


 ただ、帰るまでは一人だ。


 一人で延々と、パソコンと戯れる時間が続く。


 労働時間は一日十から十二時間。


 流石は正社員。とても過酷な仕事である。このまま続けていたら、いつか挫けてしまいそうだ。個室をもらえて嬉しかったのも、最初の三日間くらい。今は他の人たちと机を並べて一緒にお仕事をしたい。


 お昼休みに誘い合ってランチとか、ちょっと憧れていた。


 幹部候補の育成とは、とても辛く厳しいものなのだと知った。


「あ、また上がってきた」


 画面の隅の方に、仕事の追加を示唆するアイコンがポコンと表示された。手紙を咥えた鳥さんの可愛らしいアイコンだ。これをクリックするとウィンドウが開く。それがお仕事の開始を知らせる合図である。


 そこから先はウィンドウ上での作業となる。マニュアルに示された順番で、所定のボタンを幾つかクリックするのが自身に課せられたお仕事だ。ボタンには『次へ』だとか、『承認』だとか、それっぽい文字が表示されている。


 幹部ってもう少しハイソな仕事をするものだと思っていたけれど、実際はそうでもないらしい。近所のスタバでイケてるリーマンと、売った買ったの駆け引きをするものだとばかり考えていたよ。もちろんスーツを着てさ。


「…………」


 おかげで最近のマイブームはタイムアタック。


 通知アイコンクリックから作業の終了までのタイムを競う競技。


 ベストレコードは五秒と少し。


 昼食とトイレ休憩以外、ずっと同じ作業なので、かなり鍛えられた。


「…………」


 そろそろ転職しようかな。


 いやでも、ここで止めたら履歴書が汚れてしまう。それは良くないと思う。ムーちゃんにも冷たい目で見られてしまうかも。それにゴールデンレトリバーをお迎えする為には、最低でも一ヶ月働いてお給料をもらわなきゃいけない。


 やっぱりどうしても、自分で稼いだお金でお迎えしたい。


「…………」


 もうちょっと、もうちょっとだけ頑張ろう。


 あぁ、そうしよう。


「よし……」


 気分を改めて、今まさに表示された通知アイコンをマウスでクリック――


「警察だっ! そこを動くなっ!」


 した直後の出来事だった。


 部屋にあった唯一のドアが、バタンと勢い良く開かれた。


 それはもう大きな音が鳴った。


 何事かと顔をパソコンから上げる。すると開かれたばかりの戸口から、ダダダと勢い良く人が雪崩込んできた。一人や二人ではない。十名近い人たちが、我先にと室内に入り込んできたのである。


 めっちゃビビるんですけど。


 何事ですか。


 お祭りですか。


「え? あの、な、なんですかね?」


「いいから動くな! 記録を消そうとしても無駄だっ!」


「…………」


 意味わからないんですけれど。


 それとなく様子を窺うと、大半は制服姿だ。紺色のそれは自身もまた目に覚えのあるデザインである。淡い青色のシャツに濃い紺色のズボン。肩には無線機を下げており、腰には革製のボーチ。


 警察である。


 彼らは瞬く間にパソコンの乗っているデスクまで駆けて来た。


「……あの」


「大人しくしていろ、調べは既についている。逃げようと思って……」


 その手がこちらの腕を掴まんとした際の出来事であった。


 ブォンと低い音が聞こえた


 すぐ隣から聞こえてきた。


 今度はなんだと視線を向けると、そこにはいつの間にやってきたのか、ムーちゃんのボールが浮いていた。つい数週間前、自宅で一悶着あった際に、どこぞの国の外人部隊を壊滅させた謎の卵型のボールだ。


 その正面から、例によってビームのようなものが放たれた。


 右から左へビビビって感じである。


 これに応じて、自身に伸ばされていた警察官の腕が、肘のあたりから切断された。それはもう見事に切断された。柔らかなケーキをナイフで切り分けるように、光の走りが撫でるのに合わせて、数秒と掛からぬ早業だった。


「ぎゃぁぁぁあああああああああ」


 吹き出した血液が一帯を汚す。ただ、その飛沫が我が身を汚すことはなかった。ある一点において目に見えない壁が生まれており、一切合財を受け止めていた。まるで透明なガラス板でも間に置いたようである。


「な、何をしたっ!?」


 途端に警察官一同が慌て始める。


 イケイケドンドン状態であった強きな姿勢が、一変して警戒のそれに変わる。部屋の中央に設けられたパソコンデスクと、これに腰掛けた自分を中心として、二、三メートルほどの距離を取った上で、周りをグルリと囲い込む形である。


「……いや、あの」


 何をしたと言われても、こっちだって困る。


 多分、ムーちゃんが気を利かせてくれたのだろう。


 その姿を脳裏に思い浮かべた直後、デスクの正面に人の気配が生まれた。これといって物音を立てることもなく、フッと人がその場に像を結んだ。ここ数週間で見慣れた姿は、後ろからでも容易に判断できる。


「あ、ムーちゃん」


「外敵を排除いたします」


「ちょ、ちょっと待って。その人たちは待って!」


 慌てて止めると、彼女はこちらを振り向いて問うた。


「何故ですか?」


「だって、警察じゃん……」


「ではご主人、大人しく逮捕されますか?」


「…………」


 そう言われると辛い。


 っていうか、どうして逮捕なのか。


「ご主人はこちらの企業に騙されたのです。彼らがご主人に対して職を斡旋したのは、ひとえに身代わりを求めてのことです。本日までご主人が狂ったように繰り返してきたマウス操作は、全てが違法な決裁に対する承認行為です」


「違法な決済?」


「はい、違法な決裁です」


 決済っていうと、あれだよな。モノを売ったり買ったり、そういう感じの。最近だと電子決済とか流行ってるらしいじゃん。コンビニとかでピッピするやつ。ここ数年で猛烈に新しいのが増えてきて、何がなんだかサッパリ分からない。


 もしかして、これまでのマウスクリックもその延長で、覚せい剤とか、絶滅しそうな動物とか、そういう感じのショッピングを行う為の作業だったのかもしれない。なるほど、そりゃ確かに警察も突入してくるわ。


「体の良い身代わりとして、この席が用意されていた訳です」


「なるほど」


「風俗店の雇われ店長と同じようなものですね」


「理解したよ、ムーちゃん」


「それはなによりです。いつ気づくかと非常に焦れったかったです」


「けど、そうは言われても、こっちは言われたとおりに仕事をしていただけで、悪いことだって知らされていた訳じゃないじゃん? ぶっちゃけ就職してから一ヶ月も経ってないし、ちゃんとその辺りを説明すれば……」


 今しれっと本音を混ぜてきたよね、ムーちゃん。


 なんだか二人の距離感が縮まった気がして嬉しいよ。


「こちらの企業の株主となる組織には、警察OBからの天下りが名を連ねております。恐らく裁判で意義を申し立てたところで、勝訴を得ることは難しいでしょう。ご主人が逮捕されることは、既に決定しているのです」


「マジッスか」


「身寄りがなく成人から間もないご主人は、とても扱いやすい存在として映ったのだと思います。即日で採用の通達が行われたのも、他の応募者と比較して、そうした面が彼らにとって都合が良かったからでしょう」


「…………」


「面接の映像は保存しておりますが、この場で確認しますか?」


「だ、大丈夫っス」


 ムーちゃん、マジッスか。


 っていうか、面接を見られていたの恥ずかしい。


 しかも録画されてたとか、悶絶ものである。


 そういうドラマみたいな出来事って、本当にあるんだな、というのが素直な感想である。自分の人生に警察OBだの天下りだの、そういった物騒な単語が関わってくる日が訪れるなんて、夢にも思わなかった。


「よろしいですか?」


「え? あ、いや、あの……」


 何がよろしいのか、確認するのが怖い。


 それでもスプラッタは勘弁だ。


「排除します」


 これでなかなか血の気の多い女なのかもしれないぜ、ムーちゃん。少なからず憤りを感じさせる表情が、マゾヒストの弱いところを刺激してくれる。ロリロリな体型に似合わないホットな情熱を持ち合わせていらっしゃる。


「おい、あれってもしかしてムー大陸の……」「この前、テレビやネットで流れてたやつだよな?」「おいおい、どうなってるんだよ!」「ちょっと待てよ、ってことは俺たちもネットに流出させられるってことなのか!?」「マジかよっ!?」「か、顔を隠せっ! 顔をっ!」「でも別に俺ら、何も悪いことしてないよなっ!?」


 ムーちゃんの姿を目の当たりにして、警察の方々が慌て始めた。


 斎藤さん一派の身バレ事件が影響してのことだろう。


「いやでも、ほら、あれですよ、ムーちゃん。ここでやっちゃったら、世間からのムー大陸に対する心象とか、最悪じゃないですか。色々と思うことがない訳でもないけれど、少しは我慢も必要だと思うんっスよ」


「それでは素直に捕まるのですか?」


「ム、ムーちゃんちに帰りたいッス……」


 こうなってはお賃金も絶望的だろう。


 まさか給料日を待たずして、逃げ出す羽目になるとは思わなかった。目と鼻の先まで近づいていたゴールデンレトリバーが遠退いてゆく。来月にはお迎えできると考えて、楽しみにしていたのに。名前も色々と考えていた。


 おかげで労働意欲がメリメリと失せていくのを感じる。


「……承知しました」


 逃げるが勝ちである。


 ムーちゃんちなら誰も手出しはできない。毎日のように降り注いでいるらしいミサイル。その熱や衝撃はおろか、放射線すらも漏らすことなく防いでいるという。仕事から帰った夕食の席、あれこれと状況を聞いているから知っているのだ。


 引きこもりにとっては最高の環境である。


 文字通り世界から引きこもれる。


 しかしなんだ、世の中というのは本当に上手くできている。どう足掻いても底辺は底辺のままなのか。騙されたのが自分のような妙ちくりんな立場の人間でよかった。そうでなければ、今頃は何も知らない誰かが一方的に逮捕されていたことだろう。


 今は自分と同じような立場の人を一人でも救えたことに喜んでおこう。


「……どうされました?」


「いえ、なんでもないッス」


 自分は何の為に生まれてきたんだろうな、とか考えてしまった。


 理由なんてある筈ないのに。


「それでは移動します。よろしいですか?」


「あ、はい。おなしゃす」


「承知しました」


 ムーちゃんが頷くと同時に視界が暗転した。


 ムー大陸お得意のワープ移動である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る