帰宅 一

 自宅までの移動は一瞬だった。


 なんとかという不思議な装置の前に立って、ムーちゃんがどこへとも指示を飛ばしたところ、次の瞬間には自宅の六畳一間が目の前にあった。築四十五年。バス・トイレ一緒の木造住宅である。出かける間際に見た光景と寸分違わない我が家だ。


「うわ、すごっ」


「こちらで間違いありませんか?」


 あらかじめ住所は伝えたものの、ドンピシャ過ぎる。


 おかげで自宅の鍵をマグロ漁船に放置してきたという事実も、帰宅にはなんら支障とならなかった。どういった理屈で瞬間移動したのだろうか。学がない自分であっても、とても凄いことだということは理解できる。


「いやもう完璧ですよ。ムーちゃん、流石ッス」


「……ありがとうございます」


 妙に懐かしく感じる風景だ。


 ほんの数週間ばかり離れていただけなのに。


「こちらがご主人の部屋ですか」


「うぃす」


 ムー大陸の豪華絢爛な有り様を目の当たりとした後では、お恥ずかしい限りだろう。昨今の格差社会に倣って、絵に描いたような底辺住まいである。老後の心配をしている余裕さえない毎日ってやつだ。


「こちらの部屋ごと大陸に持ち帰ることも可能です。いかがしますか?」


「え? マジですか?」


「はい」


「…………」


 パネェなムーちゃん。


 けれど、箚さくれてボロボロの畳とか、ひび割れたカラーボックスとか、持ち帰ったところで全然嬉しくないんだよな。食器の類いだって、学生の頃に百均で購入して以来、ずっと使っているようなビンテージ仕様だ。


「お願いしてもいいッスかね?」


「承知いたしました」


 物の価値って、値段じゃないと思うんだよ。


 触れてきた時間が大切なんじゃないかと。


「思っていたよりも、ご主人は感傷的な性格のようですね」


「そうっスかね?」


「はい、そのように思います」


 そういう年頃なんだろうね。


 恋人とかいたら、ちょっとは違ったのかもしれない。


 年齢イコール彼女いない歴だから仕方がない。


「私個人の意見としては、決して嫌いではありません」


「どもッス」


 そういって頂けると幸いです。世間的には男というと、財布一つで東奔西走してナンボっていうイメージある。ご主人は女々しいですね、とか突っ込みを受けるのではないかと慌ててしまったよ。ムーちゃんに肯定してもらえて、心が暖かくなったぞ。


「こちらのフロアを丸ごと持ち帰ります。不要なものがあれば事前に仰って下さい。そちらだけ避けるようにします。細かなものに関しては、事前に部屋の外に移動することになるのですが……」


 私物の持ち帰りに関するご説明。


 これを拝聴させて頂いている最中の出来事だった。


「三秒後に襲撃が想定されます」


「え?」


「こちらへ」


 ギュッと、ムーちゃんに正面から抱きしめられた。


 こちらの背中に両手が回される。


「っ……」


 なにこれ温かい。


 とっても気持ちいい。


 お風呂みたい。


「勃起しないで下さい。保護フィールドから逸脱しない為の処置です」


「それは無理な相談ってヤツですよ」


 そうかと思えば次の瞬間、耳を劈くような大きな音が響いた。


 ガンゲームで耳にする銃声のようだ。ズガガガガと連続した炸裂音が届けられる。おかげで慌てる。それはもう見事なまでに慌てる。しかしながら、ムーちゃんに抱きしめられている都合上、その場を動くことはできない。


 ムーちゃんってば、めっちゃ力強いんだもの。


 アンドロイドという肩書に今更ながら信憑性を感じた。


 やがて銃声が止むのに応じて、玄関の方からバキバキと破壊音が響いた。何事かと注目するに応じて、大勢の人が我が家の居室に雪崩れ込んできた。誰も彼もは戦争映画で眺める特殊部隊のそれ。手にはもれなく銃火器を携えている。


「マ、マジかっ……」


 ヤバイ、漏らしそう。


 オチンチン小さくなっちゃう。


 せっかく大きくしたのに。


「安心してください。敵は脅威ではありません」


「いや、でも、じゅ、銃とか持ってるしっ……」


 数名からなる一団に周りを囲まれてしまった。


 ほんの数秒ほどの出来事である。


 黒光りする銃口を向けられては、まるで生きた心地がしない。


「……町田清彦さんですね?」


 予期せず来襲した一団の向こう側、玄関の方から声が聞こえてきた。何事かと身を強張らせつつ様子を窺っていると、姿を現したのはスーツ姿の男だ。年齢は三十代と思われる。ちなみに呼ばれたのは自分の名前だ。


「だ、誰っスか? そちらさん」


「私は斎藤と申します」


 ムーちゃんに抱かれたまま、というのも格好がつかないので、とりあえず声を掛けて来た彼に向き直ってみる。依然として銃口は向けられたままだけれど、先程ムーちゃんが大丈夫だと言って下さったから、それを信じて対応する。


「……斎藤さん?」


「以後、お見知りおきを頂ければ幸いです」


「あ、ど、どうも……」


 名字だけ言われても、どういう背景の人なのかサッパリである。日本人のようだけれど、どことなくハーフっぽい顔立ちのイケメンだ。彼の周りを囲っている兵隊さんも大半は欧米の人である。そして、日本語はとても流暢だ。


「そちらは?」


 斎藤さんの視線がムーちゃんに向かう。


 彼女の知り合い、という訳でもなさそうだ。


「え? あぁ、ムーちゃんです」


「……ムーちゃん?」


「ニュースで話題になってるムー大陸の管理人の方ッスよ」


「ほぅ……」


 斎藤さんの瞳がスゥッと細められた。


 興味を持ったみたいだ。


 一方でムーちゃんは、これに何を語ることなく、淡々と様子を眺めるばかり。根っからのクールっ子だから、愛想とか良くない感じでキャラ作りしているのだろう。頭を下げることもなければ、挨拶をすることもない。


「それでは彼女も含めて、大人しくその場にうつ伏せとなって下さい」


「え? なんでですか? っていうか、いきなり人の部屋に押し入ってきて、それって酷くないッスか? 流石に人として、どうかと思うんですけど。もう少しこう、大人としての礼儀っていうか、そういうのが……」


「やれっ!」


 斎藤さんが腕を振るう。


 これに応じて兵隊さんが襲いかかってきた。


 問答無用である。


「ひっ……」


「落ち着いて下さい。この程度の戦力は物の数に入りません」


 慌てるこちらの腕をムーちゃんが引っ掴んだ。


 それと同時に、我々の下に向かい来る兵隊さんに対して、どこからともなくレーザー光のようなものが照射された。空中をピカリと細い光の筋が走った。その輝きは点灯と消灯を繰り返して、兵隊さんの脳天を次々と通過していく。


 その直後に彼らは倒れた。


 それはもう狙い合わせたように、一斉にバタリと倒れた。


「お、おぉ、すげぇ……」


 気づけば室内には球状の何かが浮かんでいた。


 卓上スピーカーくらいのサイズ感である。表面に繋ぎ目は見受けられない。色は光沢のある銀色で、ツルッとした卵型の物体だ。レーザーっぽい光が、そこから発せられたことを、自分は確かに目撃した。


「続けますか?」


 どうやらムーちゃんの持ち物らしい。


 斎藤さんに対して、挑むように語る姿が凛々しい。


 横顔とかマジ格好いい。


「……それは?」


「続けますか?」


「い、いえ、止めておきます。申し訳ありませんでした」


 斎藤さん、両手を上げて完全に降参のスタイルだ。


 どうやらムーちゃんの圧勝でバトルは終了。


「こちらの球体には、映像や音声を保存する機能が備わっています。この場で起こった一連の出来事は、貴方の外見や所属、生い立ちなどと共に、リアルタイムで地球上のネットワークにブロードキャストされています」


「なっ……」


 辛うじて残っていた斎藤さんの余裕が、続けられたムーちゃんの言葉によって失われた。空中に浮かんだ卵型の機械に動画撮影の機能が付いている、というのは分からないでもない。けれど斎藤さんの所属や生い立ちは、どこから仕入れてきたのだろう。


 まさかクラッキング的なこととか、致してしまっているのか。


「用が済んだのであれば、さっさと出て行って下さい」


 とても冷たい眼差しで語るムーちゃん。


 サディスティックな魅力がこれでもかと溢れている。


 斎藤さん、膝が震えちゃってるよ。


 リベンジポルノって、こういう感じで配信されるんだろうな。

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