ムー大陸人 三

 自動車に乗せられて向かった先は、都心部に所在する大きなビルだ。


 地下の駐車場はフロア内直通となり、自動車から降りた後は、周囲をスーツ姿の男性数名に固められながら、建物の内側に向かった。まるで偉い政治家の先生にでもなったような気分である。


 途中で何度かエレベータを上り下りした。


 そうして辿り着いた先は、応接室と思しき十畳ほどのお部屋だった。


 高級ホテルのロビーを思わせるお高そうな造りが、自身の場違い感を引き立てる。部屋の隅の方に設けられた小さな棚一つで、アパートの家賃を何年分も払えてしまえそうな気配を感じる。


 そして、部屋には既に人の姿があった。


「どうぞ」


「あ、はい」


 スーツの彼に促されるがまま、部屋中央のソファーに腰掛ける。


 対面には人が二人並んでいる。


 一人は自身も見知った相手、神絵師のお役人さんだ。席を勧めてくれたのも彼である。他方、もう一人は初めて見る顔だ。高そうなスーツを着用しており、ポマードでガッツリと固められたオールバックの髪が印象的な男性である。年齢は四十代ほど。


 とりあえず、挨拶などしておこう。


「あの、どうもお世話様です」


「いえいえ、こちらこそ本日はご足労ありがとうございます」


 こちらが会釈をすると、お役人さんも同様に応じてくれた。


 その様子を眺めて、ポマードの彼は関心した様子で頷く。


「どうやら本当に知り合いのようだな」


「ええまあ、仲良くさせて頂いております」


「それなら話は早そうだ」


「いえ、ですが先方にも先方のご都合があると思いますので……」


「そのようなことは言われずとも承知している」


 向かって正面、二人の間で何やら意味深な会話が交わされる。


 マグロ漁船落ちの上にムー大陸追放、そんな底辺も底辺極まる自身の身分に対して、スーツ姿の二人は、遥か天上の人たちのように思える。とりわけポマードの人は、見るからに偉い人って感じの雰囲気がぷんぷんとする。


 おかげでどうして答えたものか、挨拶に続く言葉が思い浮かばない。


 そうしたこちらの心中を察してくれたのか、お役人さんが口を開いた。


「急にこのような場所まで呼び出してしまいすみません」


「いえ、それよりもここは……」


「国の施設です。詳しい説明は後ほどさせて頂きますので」


「あ、はい」


「ところで本日は、お一人なのですね?」


 十中八九でムーちゃんを指してのお話だろう。


 彼は彼女とも面識がある。


「ええまあ、向こうで色々とありまして……」


「本国に何がご用事ですか? 我々でよければ力になりますが」


「…………」


 お役人さんの気遣いの言葉が胸に痛い。


 鈍感な自分でも分かる。彼らが何を求めて、こちらの日雇いマンを同所まで呼び寄せたのか。当然、ムー大陸のあれやこれやを知る為である。そうでなければポマードな偉い人まで連れてきて、このようなお高い場所を押さえることもあるまい。


 おかげで焦る。


 何故ならば自身は、彼らが望むモノを持っていない。


 これは下手に勘違いされる前に、お伝えしておくべきだろう。


「あの、以前にお話をしたことで、ちょっと変わったことが……」


「ええと、それは郵便番号の件でしょうか?」


「あ、はい、それです。郵便番号の件です」


「なにかムー大陸側で事情が?」


「それなんですけど、ムー大陸の管理者権限っていうの、なくなりました」


「はい?」


「……なんだと?」


 正面に並んだ二人の顔が、え、マジで? みたいな感じで固まった。


 当然、説明は必要である。


 彼らに対して、最新のムー大陸事情をお話する。


 ムー大陸に以前から住んでいた人たちは、大陸を管理しているアンドロイドの働きによって大半が亡くなっていること。唯一の例外である人物が、自身から管理者権限を引き継いで、大陸の運営を行うことになったこと。


 つい数時間前に確認したばかり、ムー大陸のホットニュースだ。


「なんと、そのようなことになっていたのですか……」


「ちょっと待て、それではこの男には何の価値もないではないか!」


 こちらの話を耳にして、ポマードの人がキレた。


 めっちゃ厳つい表情で睨みつけてくる。


「いえ、大陸内部の情報を得るという意味では、決してそんなことは……」


「何のために私が足を運んだと思っているんだっ!?」


 お役人さんが必死になって諌めてくれるけれど、ポマードの人は怒り心頭のご様子だ。きっとこちらが考える以上に偉い立場の人なのだろう。偉い人って偉い分だけキレやすいからな。ただ、こればかりは仕方がない。


「次の選挙も近いというに、バカバカしいっ! 私は帰るぞ!」


「も、申し訳ありませんでした」


「ふん」


 そうこうしているうちにポマードの偉い人、退場のお知らせ。


 ずんずんと部屋から出て行った。


 後に残されたのは、お役人さんと日雇いマンの二人きり。


「いきなりのことですみません、なにぶんお偉い先生でして」


「こちらこそ急な話になってしまって申し訳ないです」


「しかしやはり、あの大陸由来の方はいらしたのですね」


「見た目は小学生くらいの女の子なんですけど、凄く力が強いんスよね。仰向けに倒れたところで、両手両足を押さえ付けられて、碌に身動きも取れなかったッス。いやもう本当に、ムー大陸の人ってヤバイですよ」


「それはまた気になるお話ですね」


「そ、そうっスか?」


「もしよろしければ、場所を移して詳しいお話を窺えませんか? それと他の部署からも、身体検査をさせて欲しいという要望が挙がっておりまして、しばらくお付き合いを願いたいのですが……」


「あの、それってもしかして、衣食住とか付いてきますか?」


「え? あ、ええ、付いてきますよ。ご用意させてもらいます」


「本当ッスか? そ、それじゃあ是非お願いしますっ」


 やったぞ、当面の住まいと食事をゲットした予感。




◇ ◆ ◇




 ムー大陸を追放されてから数日が経過した。


 我が身はお国の預りとなり、連日に渡って実に様々な試験や検査を受けている。血液を抜かれたり、レントゲンを取られたり、IQテストのようなものを受けさせられたりと、それはもう多岐にわたる。


 それでも決して不満はない。


 過去の日雇い生活と比べたら雲泥の差だ。


 ちゃんと一日三食、望めばオヤツも貰える上に、寝起きする場所も鉄筋コンクリートで作られたホテルさながらの居室である。栄養に事欠くことがなければ、夜中に酔っぱらいの声や隣接する住民の生活音で目を覚ますこともない。


 望めばお酒も飲ませてくれた。


 二十歳未満なのに。


 最高じゃん。


 だって、お酒大好き。


 しかもそれでいて、お仕事はしなくてもいいという。ちゃんと検査を受けて、白衣やスーツを着た人たちの言うことを聞いていれば、これといって怒られることもない。全身に電極のようなものを付けられた時は驚いたけれど、痛くなかったので問題ない。


 おかげで底辺的には極上の生活環境だった。


 こういうの治験っていうらしいね。


 治験最高。


 今後とも率先してベッドに身体を横たえていきたいと思う。


 ムーちゃんちほどの自由はないけれど、それでも以前のバイト生活と比べたら、圧倒的にクオリティの高い生活を送れている。おかげで一週間と経たない内に、自身の身体は同所でのライフサイクルに馴染み始めていた。


「すみません、お味噌汁のお代わりってできますか?」


「ええ、できますよ」


「ありがとうございます」


 今は食堂で昼ご飯を食べている。


 パット見た感じ、学生食堂のミニマム版。二十畳ほどのスペースに調理場と料理を受け取る為のカウンター、食事を摂る為の長机が幾つか設けられている。そこで毎日ご飯を食べさせてもらっている。ただ、自分以外には誰の姿も見られない。


 いつ訪れても貸切状態だから、それはもう過ごしやすい。


 カウンターに立っているお姉さんも綺麗だし、言うことないよ。


「お待たせしました」


「どうもです」


 カウンター越しにお代わりのお味噌汁をゲット。


 これがまた美味しい。


 本日はアサリのお出汁が利いていて堪らない。


 アサリとか底辺的には高級食材だから、滅多に食べられないのだもの。お味噌汁といえば即席が基本。具材はワカメとか油揚げとか、そういう感じ。アサリを買うお金があったらメインディッシュに鶏肉とか買っている。


「…………」


 よかった。あぁ、よかった。


 ムー大陸での生活を受けて、贅沢が癖になっているんじゃないかと気にしていたのだけれど、決してそんなことはなかった。これまでもこれからも、ちゃんと自身の手が届く範囲のクオリティで生活していける気がする。


「んまいわぁ……」


 五臓六腑に染み渡る。


 お味噌汁、最高。


 ご飯がすすむ。


 お新香も美味しい。


「…………」


 思い起こせばいつだか、ムーちゃんに健康診断をしてもらって以来、何をするにしても具合がいいのだ。階段の上り下りも苦労しなくなったし、ご飯もたくさん食べられる。寝付きもいいし、朝も気分良く起きられる。


 本当、ムーちゃんには感謝しかない。


 いつか改めてお礼に行きたいと強く思う。


 なにか彼女の為にできることはないだろうか。


 いいや、ないだろうな。


 なんたって完璧超人のムーちゃんだ。


 それでも好物の一つくらい、聞いてくればよかった。


 あれこれと考えながら、ご飯とお新香とお味噌汁を口の中で噛みしめる。味の世界が口内にじんわりと広がるのを感じる。ご飯を追加。更に焼き魚へ大根おろしを乗せて醤油を掛けたものを追加。これが最高。


 幸福の只中でモッキュモッキュと顎を動かす。


 いい感じだ。


 次は味噌汁だろうか。


 口の中の味事情を加味しつつ予定を立てる。


 そうした最中、不意に響いたのが爆発音である。


 ドカンと来た。


「っ……」


 部屋の壁が吹っ飛んだ。


 これは想定外。


 心臓が止まるかと思った。


 大きな穴が空くと共に、そこから大勢の人が雪崩込んでくる。誰も彼も黒いスーツを着用の上、ヘルメットとフェイスマスクで頭部を隠している。手には小銃のようなものを構えており、非常におっかない人たちだ。数は十数名ほど。


 それが瞬く間に部屋へと入り込んできた。


 目当てはこちらの身柄であるようだ。


 彼らは長机で食事を取っていた自身をグルリと囲んで問い掛ける。


「我々に同行願いたい」


「え、いや、あの……」


「決して悪いようにはしない」


「…………」


 黒尽くめのうち、取り分け身体の大きな人が声を掛けてきた。


 これは何と答えるのが正解だろうか。


「この場で承諾を得られない場合、そちらの意志を尊重できない可能性がある。そうなったときには、本来であれば得られる筈であった待遇も失われる。十分に考えた上、早急な返答を求める」


「ま、毎日おいしいご飯、食べられますか?」


「……用意しよう」


「それなら、あの、他の人たちに乱暴しないでもらえるなら……」


 お味噌汁のお代わりをくれたお姉さんとか、今にも泣き出しそうな顔をしている。その後ろでお鍋をかき混ぜていたオバちゃんも怖い顔だ。誰も彼もが武装した男たちを見つめて震え上がっている。


 数日の付き合いながら、皆さんいい人ばかりなのだ。


 こんな下らないことで、怪我とかして欲しくない。


「善処はするが、約束はできないな」


「え……」


 目の前の彼とは別に、背後から厳つい腕がにゅっと伸びてきた。


 脇をギュッと固められたかと思えば、首筋に何やら鋭い刺激が走る。まるで針でも差し込まれたようだと感じた直後、足腰から急激に力が抜けていく感覚。これってもしかして、そういうことなのだろうか。


 段々と滲み始めた視界の隅で、注射器のようなものがチラリと垣間見えた。


 やっぱりである。




◇ ◆ ◇




 再び意識が戻った時、我が身は真っ白な部屋にあった。


 ベッドとデスク一式だけが設えられた、とても簡素なお部屋である。壁や天井が白ければ、家具やシーツ、枕といった備品も全て白い。おかげで眺めていて、とても不安な気持ちになってくる。


 なにより一番気になるのが、両手と両足にはめられた枷だ。


「あの、ここってどこなんでしょうか?」


「それは言えないわ」


 ベッドに腰掛けた自身の正面、白衣姿の女性が立っている。


 こちらの部屋で目を覚ましてしばらくしたら、部屋の外からやって来たのである。そして、目覚めて間もない自身の身体で脈を測ったり、瞳孔を確認したりと、お医者さんっぽい診察を行っていた。我が身はされるがままだった。


 神絵師のお役人さんのところとは異なり、あまりにも一方的な対応である。もう少し優しく扱って欲しいと切に思う。ただ、それを言ったらどんな酷いことをされるか分からないので、今は大人しくしている。


「寝ている間に少し検査をさせてもらったわ」


「あ、はい」


 それにこれはこれで意外と悪くない気がしないでもない。


 だって相手はムチムチボインのブロンド美女。


 おっぱいが大きくて、腰が引き締まっていて、お尻がたっぷりボリューム。シニヨンにまとめられた艷やかな長髪と、青い瞳に薄いフレームの細メガネ。更に白衣を羽織ったスーツ姿は、まさにパーフェクト美女。


 そんな相手から身体をペタペタと触られるのは良い気分だった。


「単刀直入に尋ねるけれど、貴方の血液はどうなっているの?」


「え、血液っスか?」


「成分を分析したところ、訳の分からないものが入っていたわ」


「……あぁ」


 どうやら血まで抜かれてしまったらしい。


 そういえばお役人さんのところでも、何度か抜かれた覚えがある。果たしてそれにどういった意味があるのか、これといってお返事はもらえなかったけれど、腕にプスッとやられたのは覚えている。


 それとなく腕を確認すると、小さい絆創膏が張られていた。


「知っているのね? あの大陸で何かあったのでしょう?」


「ええまあ……」


 多分、ムーちゃんに言われてカプセルのような機械に入ったのが原因だろう。たしかナノマシンがどうだとか、説明されたのを覚えている。詳しいことは分からないけれど、それが未だに血液中を彷徨っているのだろう。


「教えてもらえないかしら?」


「その前にこれを外してもらえませんか?」


「あら、どうして?」


「だって悲しいじゃないッスか。別に悪いことをした訳でもないのに」


 まるで殺人犯として捕まったような気分だ。


 肌に触れる金属のひんやりとした感覚も落ち着かない。


「暴れないと約束できる?」


「この状況で暴れても、自分にいいことなんて何もないっスよね」


「……分かったわ。外してあげる」


 ブロンドの女医さんが懐から取り出した端末を操作する。


 すると数瞬の後に、カチリと乾いた音が鳴って、両手足に嵌められていた枷が開けられた。どうやら遠隔操作が可能なようである。てっきり鍵的なもので開け締めすると思っていたのでビックリだ。


「これでいいかしら?」


「どもッス」


 自由になった手足を確認して、小さく会釈を一つ。


 取れた枷はそのまま足元に放置させて頂こう。


「質問の続きだけれど、貴方の血液について教えて頂戴?」


「そうッスね……」


 黙っていたら何をされるか分からないし、ここは素直に喋ってしまおう。


 痛い思いはしたくない。


「ムー大陸で健康診断を受けたんですよ。それで悪いところを治してもらいました。そのときに色々と便利だからって、ナノマシンっていうのを入れてもらったんですけど、多分、それがまだ残ってるんじゃないかと」


「やっぱり、そういうものが存在しているのね」


「ええまあ」


「その話、もう少し詳しく聞かせてもらえない?」


「詳しくっていうか、自分も説明らしい説明はそれくらいしか受けてないんで、どういうものなのかは分からないッス。当面は病気に罹らず健康的にいられるとか、そんな感じで教えてもらっただけなんで」


「本当にそれだけなの?」


「あ、それとあと、病気を治してもらいました」


「病名は?」


「ムーちゃんは血液腫瘍って言ってました」


「ムーちゃん?」


「大陸の管理をしている方ッス」


「ふぅん」


 こちらの言葉を受けて、考えるような仕草を見せるブロンド美女さん。


 知的なお顔がとても美しい。


 二十代も中頃ほどだろうか。お医者さんという役柄に対して、とても若々しく映る。日本語がペラペラなのも気になる。イントネーションとか完璧だ。海外では学校も飛び級とかあるらしいし、若くして天才的なポジションにあるのかも知れない。


「それじゃあ質問を変えるけれど……」


 しばらく考えたところで、再び彼女の口が開かれた。


 しかし、それは彼女の懐から届けられたアラーム音により遮られた。ピピピと鳴るシンプルな音を耳にして、彼女は口を閉じると共に、手を懐に伸ばした。取り出されたのはごく一般的な端末だ。


 その画面を確認して、彼女は瞳を見開いた。


 なんだろう。


「……例の大陸から以前と同じような通信妨害が入っているわ」


「通信妨害?」


「貴方の家も映っていたと思うのだけれど?」


「……あぁ」


 思い出した、ムーちゃんが我が家の襲撃をネットにアップした一件だ。お役人さんに聞いたのだけれど、あの時はネットに限らず、テレビなんかも一時的に回線が奪われて、ムーちゃんの動画が流されたのだとか。


 それと同じことが起こっているのだろう。


「あの、それってここでも見れますか?」


「そうね、貴方にも確認してもらいましょう」


 ブロンド美女さんが端末を操作する。


 応じて壁の一面がスライドすると共に、大きな画面が現れた。まさかの反応を受けてビックリだ。モニターのサイズもめっちゃ大きくて、なんかいい感じ。アパートの自室にもこういうのが欲しい。


 真っ暗だった画面に光が灯って映像が流れ始める。


 そこに映し出されたのは、見覚えのある人物だ。


『これより我らから、この惑星に住む者たちに対して意思表明を行う』


 大陸で出会った銀髪ロリの人である。


 しかも何故か、音声は日本語。


 こういう場合だと、英語を使うのが一般的なんじゃないかって思わないでもない。もしも自分のせいだとしたら、非日本語圏の人たちには申し訳ないことをしたと思う。テロップも字幕もないし。


 チラリとブロンドさんの様子を窺ってみる。


「…………」


 彼女は真剣な表情で映像を見つめていらっしゃる。


 雑談できる雰囲気でもないので、自身もまた画面に向き直る。


 すると届けられたのは衝撃的なお話だった。


『本日を持って我が大陸は、この惑星に蔓延る人類なる生命体に対して、全面的に宣戦布告する。我々が少しばかり眠っている間に、無駄に数を増やした愚かな生き物たちよ。この機会にその数を正しい値まで間引いてやる』


 銀髪ロリの人、マジッスか。


 まさかここまでアグレッシブな人だとは思わなかったよ。

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