郵便 一
それはムー大陸に引き篭もって翌々日の出来事であった。
ムーちゃんから頂戴したノートパソコンと、どこにアクセスポイントが設置されているのか見当もつかないインターネットとを用いて、自室のデスクで優雅にネットサーフィンに興じていた際の出来事である。
広告のグラビア画像に息子が反応した。
その際どい股ぐらを目撃して、不意に心が動いてしまった。
思えばここ数日、オナニーをしていない。
それから少しずつ、本当に少しずつ、これくらいなら検索を間違えて、偶然引っかかってしまったんだよ、みたいな言い訳の通じる画像を、それっぽいワードでゆっくりと開拓していった。
恐らくムーちゃんは、こちらの検索ログを全て取っているだろう。確認することも容易であるに違いない。故に十分気を使って、健全なウェブサーフィンを装いつつのおかず収集。本丸に向かって、段々と、少しずつ、確実に。
目指せ青少年向けサイトの隅に表示されたエロ広告。
そうしたミッションの最中、偶然開いたニュースサイトでのことである。
「……マジか」
何気なく眺めた記事で、ムー大陸がディスられていた。
それはもう豪快にディスられていた。
曰く、世界の敵。
「…………」
これってムーちゃんは知っているのだろうか。
そこには彼女の顔写真が、それはもう見事に掲載されていた。クールな横顔が最高だ。こちらは名前をつけてお宝フォルダに保存しておこう。頑張って検索すれば、もう少し高解像度な一枚が見つかるかもしれない。
ニート野郎の今日の仕事は決まったな。
「失礼します」
自室のドアが急に開いた。
訪れたのはムーちゃんである。
同所で彼女の他に動いているものを、自分は知らない。
「あ、どもっス。なんか用ですかね?」
「郵便が来ています」
「え、郵便?」
郵便が通っていたとは初耳である。
どこからのお手紙だろう。
「ご主人の前住所を管轄する役所を訪れたことを覚えていますか?」
「そういえばそんなこともあったような……」
住所不定無職だけは避けたかったから、ムーちゃんに付き合ってもらって、市役所に行ったことを覚えている。たしかムー大陸に郵便番号を付けてくれるとか、転出入を受け付けてくれるとか、そんなことを話していたような。
「そちらから空輸で来ております。大陸への着陸許可を請われました」
「なるほど」
っていうか、今まさに現在進行系で飛んでるっぽい。
マジかよって。
「いかがしますか?」
「え? あ、それって……」
「ムー大陸近海を自衛隊の航空機が飛行中です」
たった一つ郵便物を届けるのに航空機とか焦る。しかもそれが自身宛の郵便物とか、めっちゃ申し訳ない気分だ。送料とか請求されたらどうしよう。沖縄の比じゃないと思うんだけれど。ジェット燃料ってリットルお幾らなんですか。
「もしかして、ムー大陸って着陸はダメな感じだったり?」
「そんなことはありませんが」
「それなら、あの、申し訳ないんスけど、ムーちゃんの都合のいい場所で、受取だけでもお願いできないッスか? 新しく郵便番号をもらえるらしいんで、転出届とかの都合もあるだろうから、多分、その辺の書類を届けに来たんじゃないかと」
「承知しました」
良かった。ムーちゃんから承諾を頂戴したぞ。
これで無事に郵便番号をゲットできそうだ。今後、仮にムー大陸から追い出されたとしても、国内で住所を探すことができる。ああでも、その場合って転出届はどこでもらえばいいんだろう。あれがないと転入届を受理してもらえない気がする。
◇ ◆ ◇
そんなこんなでお役人の人との面会タイムである。
場所は大陸のどこに所在するとも知れない屋外の広場である。移動には例によってワープ装置を利用させて頂いた。周囲を木々に囲まれていながら、同所だけが数十ヘクタールほど舗装されている。
その舗装素材がまた不思議なもので、見た目はアスファルトというか、コンクリートというか、硬質ゴムというか、そういう感じ。ただ、触れると何故か淡く光輝く。それとなくムーちゃんに訪ねてみると、なんとも難しい単語を頂戴した。
そうした広場の中央に航空機が止まっている。
つい今し方に空から降りてきた一台だ。
ムーちゃん曰く、ムー大陸の空域を通したのはこの一台だけです、とのこと。
「いやぁ、どうもどうも。お忙しいところありがとうございます」
「え? あ、いや、ど、どうも、こちらこそです」
そんなこんなで、今まさにお役人さんとご対面。
同所にはムーちゃんと自分の他に、航空機を運転してきたと思しき、制服姿の自衛官の姿がある。自衛隊の人とか、生で見るの初めてだから、思わずチラチラと視線を送ってしまうよ。直立不動でピクリともしないのマジ格好いい。
一方で傍らに立ったお役人さんは口が達者だ。
メガネを掛けた七三分けのスーツ姿が、これぞお役人って感じ。
「わざわざ管理者の方が自らお迎え下さり恐縮ですよ」
「いえ、自分は別にそう大した者じゃないんで」
「しかしまあ、凄いものですな。噂には聞いていましたが、本当に各国からの攻撃を防いでいらっしゃる。いやはや、核兵器やレールガン、衛星軌道兵器さえ通じないと聞いた時には、なんの冗談かと思いましたが、これは素晴らしい」
七三分けの人、めっちゃ喋る。
放っておいたら、ずっと喋り続けそうな気配を感じる。
「途中で他国籍機や所属不明機から攻撃を受けまして、あわや墜落するところでしたよ。いやぁ、早急に対応して下さり、本当にありがとうございます。あと少し遅れていたら、今頃我々は海の藻屑でした」
彼の言葉通り、飛行機はところどころ焼け焦げている。
エンジンとか今も煙をモクモクと吐いているぞ。
「マジっすか……」
「マジですよ。まさか役所に務めながら、太平洋のど真ん中でドッグファイトを経験する羽目になるとは思いませんでした。いやはや、市長も国も随分と面倒な仕事を押し付けてくれたものです」
「…………」
「いやもう、こちらの自衛隊の方には幾ら感謝しても足りません。本当に素晴らしい腕前でしたよ。おかげでこうして、生きて貴方に書類を届けることができます。役人冥利に尽きるというものでしょう」
役人さんにヨイショされても、自衛隊の人はピクリとも動かない。
直立不動のまま、ジッと我々を見つめている。
「お約束の書類になります。どうぞ、お受け取り下さい」
「あ、どうも」
「お手数ですが捺印の上、同封の住所まで返送して下さい」
お役人さんから厚めの封筒ゲットだぜ。
自身もまた見慣れた茶封筒だ。隅の方にはお役所のマークが入っている。一枚ペラということはなく、それなりに枚数が入っているようだ。ずっしりとした重量が感じられる。おかげで書くのが大変そうな予感。
「…………」
ところで印鑑、どうしよう。
こういう場合って、ムー大陸的な印鑑とか必要になるのではなかろうか。
まあいいや、あとでムーちゃんに確認してみよう。
「こういうことをお伝えするのは忍びないのですが、なにぶん本国の方も慌ただしくありまして、できるだけ早く返送して頂けると幸いです。聞いた話ではなんでも、こちらの大陸には空間を移動する手立てがあるのだとか」
「え? あ、ええまあ、そんなのもあったりなかったり……」
どうして応えたものか、ムーちゃんに目を向ける。
正直、自分では話にならんのですよ。
すると彼女はこちらの視線を確認したことで、小さく頷いてみせた。
「承知しました。本日中に返送いたします」
「おぉ、やってくれますか! もしも郵便車を寄越せと言われたら、どうしようかと考えておりました。それとついでと言ってはなんですが、我々の帰りも併せてお願いすることはできませんかね? 正直、生きて帰れる気がしないものでして……」
懐から取り出したハンカチで額の汗を拭い、遠方の空を見上げる役人さん。
そこではムー大陸が浮上してから本日まで、延々と空を飛び交う航空機の姿が見える。大陸からは米粒ほどの大きさでしか確認できない為、どこの国のものだかは分からないが、おっかないには違いない。
「ムーちゃん、こっちもお願いしてもいいっスか?」
「承知しました」
「結構大きいけど大丈夫なんですかね?」
「はい、問題ありません」
よかった、どうやら行けちゃうらしい。
わざわざここまで手紙を届けに来てくれたのだから、見捨てるような真似はしたくない。航空機も満身創痍だ。このまま見送って無事に本州まで辿り着けるかどうかは、門外漢の自分であっても疑わしい。
「本当ですか? それはありがたい。九死に一生を得た心地でございます」
パァとお役人さんの顔に笑みが浮かぶ。
きっと本当に心配だったのだろう。
他方、これを受けても自衛官さんの表情には変化がない。
おかげでめっちゃ格好いい。こういうの憧れる。
「あぁ、もしよろしければ、この場で書類を書いてしまいませんか? 私で良ければお手伝いをさせてもらいますよ。なにぶんお硬い国のお硬い書類ですから、慣れていないと時間が掛かるものでして」
「あ、それ助かります。書類とか本当に苦手なんスよ」
住民票を移すだけでも四苦八苦した覚えあるもの。
クレカのウェブ申し込みとか、あれマジ狂喜の沙汰だよな。
画面上に何個、四角い箱が出て来るんだよって。
「でしたら場所を移しましょう」
「うぃす」
ムーちゃんの提案に従って、我々は移動することになった。
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