第3章:神様、病み上がりの僕にパワハラですか?

 僕は大草原の中、一人でぽつんと立っていた。置き去りにされたかかしの気持ちが分かるような気がした。遠くの坂の向こう側に、森のてっぺんが見える。別の方角には、岩壁が見える。それでも今立っている場所は、風になびく草の音が虚しく聞こえるくらい、どこか寂しく感じられた。それはきっと、空が一面を覆いつくす雲で汚されているせいだけじゃなかった。


 遠くから、空気を無慈悲に切り裂くような鳴き声が聞こえる。僕はその方へ、すぐさま杖を構えた。来るなら来い。決して強がっているわけじゃないぞ。僕はそう決め込んでいた。


 おどろおどろしい鳴き声が段々大きくなり、それに合わせて姿も大きくなる。独りでに空を飛ぶ影が、こちらへまっすぐに向かって来ているようだ。僕は、近づいてくる影の正体が、はっきりと分かった。


 ソイツは、影でできた竜だった。ワイバーンぐらいの大きさの竜が、僕の耳をつんざくように咆哮を上げた。僕はここが地獄そのもののように感じ、杖を持つ手が震えた。それだけじゃない、口元も震えた。言葉にできないぐらいの恐怖感が、僕を嘲笑っている。


 戦わなきゃいけないということを、頭がひしひしと感じている。しかし僕の心は、影の竜が現れただけで、砕けてしまいそうだった。


 僕は竜に背を向け、走り出した。奴は無情にも追いかけてきた。口元から、闇のように燃え盛る球を放つ。危険を感じ、僕は咄嗟に横へ転がった。激しい爆発音。熱風が僕の方にも容赦なく吹きつける。


 立ち上がると、真横で黒い炎が燃え盛っていた。僕は、これから本当の地獄の恐怖を知るんだと悟った。

 影の竜は、すぐさまこちらへロックオンを図っている。どうしよう。マジで。マジでこんな奴と戦わなきゃいけないの? 僕は杖を自分の体の間近へ握り寄せ、身震いしていた。


「負け犬」

 おぞましい声色で、忌まわしい台詞が聞こえた。僕は思わず周囲を見渡した。誰もいない。

「だーれも助けてくれないぞ、負け犬」

 まさか、言葉を発しているのは、あの影の竜なのか?


「お、お前は、一体、何だ!」

 僕は精一杯に声を絞り出す。

「お前の心を巣食う、ディープ・シャドウ・ドラゴンだよ。お前を、微塵の希望もない、出口もない深淵へ閉じ込めにやってきた」


「そんなところ、行くもんか」

 僕は一生懸命に反抗した。でも心中は、正直怖い。どうして僕は怖がっているのかさえ分からないくらい、怖い。


「お前の意志など、関係ないのだ、友道幸助」

 僕は一瞬にして狼狽した。

「何で、僕の名前を知っている?」

「私の世界では有名なんだよ、友道幸助。お前は、人間の心の奥底に渦巻く、恐れの象徴だ」


「恐れの象徴?」

「そうだ。だからお前は多くのものを恐れている。この私、ディープ・シャドウ・ドラゴンはもちろんのこと、戦い、苦しみ、未来、あと一つは、ピーマン」

「ピーマンはいいだろ」


「うるさい! 自分の弱さを認められぬその姿勢こそが、恐れの象徴だ!」

 ドラゴンは、闇の火球を三度放った。僕は声を上げながら、必死で連続攻撃を避けていく。新たに三ヶ所で真っ黒な火の手が上がった。物珍しさとおぞましさの入り混じったその炎に言葉を失う。


 影の竜は、真っ黒な火の手の間を縫って、僕に飛びかかってきた。

「うわあっ!」

 僕は叫びながら、横へ転がってかわす。ドラゴンが急旋回した隙をつき、僕は杖を差し向けた。


「ヒートヘイズ!」

 僕は杖の先の水晶体から、熱風でできた光線を放つ。ドラゴンは真正面からそれを受けた。奴が怯むのを見るや、僕は距離を取って一旦落ち着こうと走らんとした。しかし、走れない。行く手を阻む者がいたからだ。


「ぐあああああっ!」

 アンデットのような顔のついた巨大なピーマンが、うめき声を上げながらこちらを睨んでいた。ピーマンだけでも充分嫌だ。今は、そのピーマンが巨大化プラスアンデット化している。そんな奴を目の前にしたら、足がすくむのも当然だ。これは神様からのパワハラですか?


 そう思っていたら、急に全身の力が抜けて、僕は尻もちをついた。巨大なアンデットピーマンは、容赦なく、ゆっくりと僕の方へにじり寄る。

「来るな! ヒートヘイズ!」


 僕は感情に身を任せるように放った。巨大ピーマンが真っ向から受け止めるが、ダメージよりも怒りがましたようで、その形相がさらにいかつくなった。

「嘘だろ、効いていないのか?」

「その通りだ」


 背後の声に振り向くと、ディープ・シャドウ・ドラゴンが、どこか僕を嘲笑っているようだった。

「お前の攻撃なんか、三歳児のパンチと一緒だ。一から修行し直せ。いや、あいうえおから覚え直せ」

「何、意味不明なこと言ってんだよ!」


「声が恐れに満ちているぞ。やはりお前は恐れの象徴だな。ほら、今にも裁きが下るぞ。そっちを見るがいい」

 僕は後ろを振り向いた。直後に、燃え盛る巨大ピーマンが、下を向き、力をため始めたようだった。僕はすっかり目を奪われる。背筋が凍り付く。草原の所々が燃え盛っているのに、こめかみの辺りを流れる一筋の汗は冷たかった。


「ぐああああああああああっ!」

 ピーマンが空に向かって咆哮した。僕もつられて上を見上げた。正に僕の真上で、黒ずんだ空が、数度、怪しく光ったかと思うと、稲妻が一気に落ちてきた。


「ぎゃああああああああああっ!」

 稲妻が文字通り、僕の体を撃った。全身を無数の針で突き刺され、刃で切り裂かれるような痛みが走りまくった。



「ちょっと、何? しっかりしてよ」

 女子の声で、僕は我に返った。確かこの人、僕の隣の部屋にいる女子だ。ツンとした目が、控えめな印象をうかがわせる。

「何でこんなにシーツがビチョビチョなの?」


 ドン引きした彼女を見て、僕も慌ててベッドを確かめた。端から端まで、汗で濡れている。おかしいな、夏はもう過ぎたはずなのに。


「もしかして、悪夢でも見た? あっ」

 女子は至極落ち着いたトーンで、何かを思いついたような声を上げた。

「アレでしょ? ナイトメア・スネイル」

「何で知ってるの!?」

 ものの見事に深いワケを言い当てられ、僕は仰天した。


「だって、私の友達の弟も、ナイトメア・スネイルに触っちゃって、その日にえげつない悪夢を見ちゃって。気がついたら、ベッドがおねしょしたみたいにビッチャビチャになってたのよね」

「そうなんだ」

「まあ、その時、彼女の弟は本当におねしょまでやっちゃってたけどね」


 僕は思わず、布団に潜り込み、匂いを確かめた。うん、やましい匂いはない。て言うか17歳でおねしょしてたら、ナイトメア・スネイルのせいにしてもさすがにヤバい。そこまでやっちまうほど僕は落ちぶれちゃいない。僕は安堵のため息をついて、女子の方を見直した。


「ところで、君、誰?」

「私?」

 僕は「君しかいないだろ」と言わんばかりに、強めに二度頷いた。


「加賀(かが)芽(め)衣(い)花(か)。守護術師。要するにバトルしてるウィザードみたいに、攻撃魔法じゃなくて、回復をはじめとした補助魔法を中心に操るウィザードってことね。アンタは誰? 本当のバトルウィザードなの?」

「そうだよ。名前は友道幸助」

「へえ、バトルウィザードなんだ? これまでの戦績は?」


「おかげさまで4勝している」

 僕は得意げに語った。次の瞬間、芽衣花の人差し指が、こちらを向いた。しかし彼女本人は、戸惑っている。指が独りでに動いたのか?


 そう考えた直後に、指先から白っぽい針がミサイルのように僕の肩に当たった。思わず肩を押さえるが、針は刺さったままじゃなく、消えている。そのとき、僕の頭の中に、エネルギーが宿った感覚がした。しかも、どこかで誰かが僕の脳を操るために、エネルギーを宿しているようだった。口が独りでに開く。


「僕の戦績は、4勝80敗です」

 脳に宿ったエネルギー的なものが消えたあと、僕は気まずさのあまり口を押さえた。


「あー、やっぱり嘘だったの。男ってそればっかり」

 芽衣花は機嫌を損ねて、足早に寝室を出てしまった。僕が事態を掴めず、しばらく呆然としていると、左隣の部屋が乱雑に開けられては閉められる音が聞こえた。気になった僕は松葉杖をつき、その部屋を訪れることにした。


 扉に貼られた札には確かに「加賀芽衣花」の名前がある。中からはか弱い泣き声が聞こえた。


「すみません。入っていいですか? さっきの友道幸助なんですけど」

 反応が見られないため、僕は迷ったが、このまま放っておくのも可哀想だと思い、中に入った。そこには、ベッドに顔を預け、涙の河を作らんとする芽衣花の姿があった。僕はどうしていいか分からず、キョロキョロと、何もあるわけない周囲を見渡した。


「グレゴリー、グレゴリー!」

 このシチュエーションで出るにはあまりにも信じられない名前だった。僕は憑りつかれたかのように、芽衣花の名を叫び、彼女のもとへ駆け寄った。

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