第18章:これは聖戦ですが、最後ではありません
コロシアムにいる一万人あまりの客の歓声が一体となって、控え室のなかにもかすかに伝わってくる。
「いよいよね、幸助」
「今までの、私とかコロンバス会長とかの教えを信じれば、きっとやれるはずよ」
芽衣花は言葉少なに、ヌンティアは明るく僕に声をかけてくれた。しかし、正直言って、僕の体の中では、心臓が興奮状態だ。口から飛び出して女子たちを失神させないことを祈る。
「あなた、本当に大丈夫なの?」
芽衣花が口をつく。
「大丈夫だよ」
僕は椅子から立ち上がり、決心を告げた。
「おお、幸助がこんなに頼もしくなってるとは」
ヌンティアが感心の声を上げる。
「泣いても笑ってもじだばたしても、このときは来るって分かってんだ。僕は前に進むしかない。目の前にグレゴリーという名の壁があるなら、突き破るだけだ」
「でも、グレゴリーのスキルは、 千年に一度かと思われるくらいの天才クラスなのよ。そしてあなたは負けたらゴキブリに」
「やるしかないんだよ」
僕は芽衣花に力強く語りかけた。
「昨日、さんざん泣いちゃったけど、朝起きたときに分かったんだ。僕は戦う運命にあるって。恐怖心が消えたわけじゃない。でも、自分に勝つと決めたから。グレゴリーとの勝負ももちろん大事。でももっと大事なのは、これは過去の自分との戦いでもあること。それを悟ったから今、僕はこうして、迫り来る現実と向き合えるんだ」
「幸助……」
「確かにグレゴリーはムカつくチャンピオンだ。破壊的な力を持っているし、マーガレットを奪われた。奴にフラれた君の無念だって晴らしてあげたい。それよりも大事なことは、もう今までの80敗ボーイじゃないってことだろ?」
芽衣花がこくりと頷いた。
「確かにアンタがここまで立派に頑張ってくれるとは思わなかった。実際、アンタがゴキブリになって消えちゃう不安はまだ残ってるわ。でももっと大事なこと言っていい?」
「何?」
「今のアンタなら、何かやってくれそう」
芽衣花はわずかに微笑みながら語ってくれた…
「わかった。僕、やるよ」
「やっちゃって、あんなゲスチャンピオン」
「うわ、両手にぎにぎして、互いに切実に見つめ合っているよ」
「ヌンティアは割り込み厳禁」
「芽衣花って、こんな時に限って突発的に冷たくなるんだから」
「冷たい冷たくないの問題じゃないから」
「私からも最後のエールを送らせてちょうだい。幸助、ちょっとこっち』が
ヌンティアが差し向けた手に従い、僕は動いた。
「背中見せて」
僕はとまどいながらもその通りにした。ヌンティアの大きな深呼吸の音が聞こえる。次の瞬間、僕の背中に手のひら大の衝撃が刻み込まれた。
「いったあ~っ!」
「緊張を飛ばす方法。チキューってところから転生した妖精に教えてもらったのよ」
「そうか」
「友道幸助選手、そろそろ出番です」
「じゃあ、行ってくるね」
僕は控え室を出ると、コロシアムの様子を映し出す壁画を眺めるコロンバス会長ど出くわした 。
「あの、すみません」
「何だい、君。今ちょうど、ジェレミーが勝った余韻に浸っていたところなんだがね」
「僕、行ってきます」
「分かったよ。最後の聖戦へ行くがいい」
「すみません、最後じゃないんですが」
「どっちだっていい。これが最後じゃないなら、それを素直に喜ぼう。最後なら最後で、私がお前をゴキブリとしてマリスランドに転生させちゃえばいいんだからな」
コロンバス会長は「最後まで」素っ気ない語り口だった。と思ったら、彼は僕の肩に手を置いた。
「お前の気持ちは、これまでの練習でしかと受け止めたぞ。信じているからな」
今まで僕が聞いた会長の言葉で、こんなに身にしみるものはなかった。だから僕の目頭が熱くなった。
「潤んでいるな。泣くのはまだ早いぞ。それは試合が終わってからにしな。嬉し泣きをするか、『どうかゴキブリにするのだけはやめてください。僕はここまで頑張ったんです。だからなんとかこの世界にいさせてください』と私に泣きすがるかだ」
「わかりました。それでは行って参ります」
僕は会長のもとを去ると、入場口付近で出番を待った。
僕の運命が、もうすぐそこまで迫っている。
「青コーナーより、友道幸助、入場!」
僕は意気込んで フィールドに踏み出す。その瞬間、アイリスコロシアムの観客席のいたるところから、壮絶なブーイングや罵声が波のように押し寄せる。小さな杖で自分の声をコロシアム中に伝える紹介役に視線を訴えるが、ソイツでさえ、半笑いを隠さない。僕に対するリスペクトが全くないのは明らかだった。
「赤コーナーより、グレゴリー・ダニエル・ジェイ・クリフォード入場!」
その瞬間、アイリスコロシアムはフィールドを真っ二つに割らんばかりの大歓声に包まれた。グレゴリーは惜しげもなく、僕の元カノであるマーガレットを従え、悠々と闊歩してきた。
グレゴリーは360度のファンを見渡し、時折投げキッスをアピールした。僕からみたら正直吐き気がする。僕だってそんなふうに愛されたい。マーガレットを奪った男がそんな権利を手に入れていることが恨めしい。
「いよお、ポンコツ、今日殺す」
グレゴリーが嘲りの表情で僕を睨んだ。
「僕は強いんだ、あの頃から強くなったんだ」
言い返したかったというより、自然と言葉が口から出た。
次の瞬間、グレゴリーは僕の髪をわしづかみにする。
「お前が昨日までどんな研鑽を積んできたのか知らねえし、知る価値もねえ。オレはお前どころか、他の誰も届かない領域を見据えて進んでんだよ。あのヌンティアの予言でオレの人生はすでに乱されてんだ」
グレゴリーは怒れる死神のような形相を近づけ、僕に語りかけた。
「おい、やめろ、身体的接触は禁止だぞ!」
審判が間に入り、僕と奴を分けた。一体、なぜ奴はヌンティアをこんなにも恨んでいる? そして、なぜ僕なんかを視界にとらえている? この場が謎に満たされたまま、戦いの幕が開くことになるのは明らかだった。
「勝負は時間無制限1本勝負、レディー、ファイト!」
鐘が鳴り、僕は魔法を構えるために、グレゴリーから後退する。
「ウィル・オー・ウィスプ!」
いきなり奴は、杖の先から光の霊魂のような集団を飛ばしてきた。僕は伏せて回避する。スプラッシュ・サイクロンの轍は、もう踏まない。
「ヒートヘイズ!」
返しの一撃を放つが、グレゴリーは大きくジャンプしてかわす。宙を舞ったグレゴリーの靴の先から無数の銀河のような星が飛んできた。不意をつかれた僕は、モロに銀河を浴び、後ろに飛ばされる。
起き上がろうとする僕の眼前に、グレゴリーが立ちはだかった。
「お前なんかこれで十分だ」
そう罵ったグレゴリーは、至近距離でつま先をかざす。僕がとっさに倒れて避けると、真上を凄まじい勢いで銀河が通過した。
すかさずグレゴリーが上から杖を突きつけてきた。僕が転がって避けると、杖から放たれた光のエネルギーが至近距離から地面に当たって爆発を起こす。砂煙が晴れると、グレゴリーが顔を押さえて悶えていた。反射したエネルギーをまともに食らったわけだ。
「ヒートヘイズ!」
僕は奴の足元を狙って陽炎の光線を放った。熱風に足をすくわれ、グレゴリーが転ぶ。客席からは失笑や、「どうしたチャンピオン、ちゃんとやれ!」という罵声が飛ぶ。
「てめえ……!」
「ドロップバーナー!」
僕はすかさず、マグマの水滴を奴の胴体に向かって放った。無抵抗のまま技を受けるグレゴリー。僕は自分がまさか優勢に試合を進められると思わず、ちょっと嬉しくなってしまった。
グレゴリーは、何事もなかったかのように立ち上がった。それも鬼の形相で。胴体からは炎の魔法エネルギーを食らったことで一筋の黒い煙が流れているのに。
「そんなぬるい攻撃で、オレに敵うと思うのか?」
グレゴリーは憑りつかれたかのように、僕を睨んだ。そして、口元だけが不気味に微笑む。マーガレットを寝取ったときのグレゴリーでさえ見られない、怪しい姿だ。
「クリスタル・ジャイル!」
グレゴリーは天に向かい杖の先の水晶体を光らせた。そのとき、僕の頭上から、透き通った檻のような、明らかにヤバい物体が落ちてくる。
「バーニング・バリア!」
僕は天に向かい、炎の盾を繰り出した。檻が炎にぶつかる異様な衝撃音に続いて、その檻がまるで戦う意思を持っているかのように、炎を押しのけようときしむ音が響き渡った。
僕の杖にも、凄まじい圧力がかかる。両手でしっかり握りしめ、その力をはねのけようと、上へ上へと抗った。
バリアは、檻を力づくで放り投げた。地面に落ち、壮絶な音と砂埃を立てたクリスタル・ジャイルは、底が熱で溶け、ぐじゅぐじゅになっていた。僕はそのビジュアルに面食らう。
「ホーリー・チェーン!」
すかさずグレゴリーが鎖を飛ばしてきた。僕はあっけなく捕まってしまう。何かにつながれているように伸びきった二本の鎖が、僕の両手から自由を奪った。
「離れろ、離れろおおおっ!」
懸命にもがく僕を、グレゴリーは冷たく嘲笑っていた。
「それがお前の現状だ。 自分の弱さという名の鎖に縛られた少年よ、そのまま腐りきるがいい。ウィル・オー・ウィスプ!」
銀色の怪しく輝く霊魂が、次々と僕の体にめり込んでいく。動けない僕はひたすら耐えるしかなかった。
グレゴリーは自ら、鎖にもウィル・オー・ウィスプを当てる。鎖が破壊され、僕は地面にへたり込んだ。
うずくまった僕が顔を上げると、グレゴリーは見せつけるように宙に杖をかざす。
「ギャラクシー・カース・マグネット・ボム!」
宙に現れたのは、紫色に輝くいかにも物騒な、オルゴール大の箱であった。
「行け!」
箱の爆弾が、スタジアム中に響くほどに時のリズムを刻みながら、ふらっと僕の方に寄ってきた。あまりのヤバい雰囲気を感じ取り体が震えた。
「何だ、やめろ、やめてくれ!」
僕は逃げ惑った。容赦なく箱はついてくる。
「バーニング・バリア!」
炎の盾を作り出すことで、爆発を防ごうとした。しかし、容赦ない爆発音とともに、結界を織り成した炎が方々に砕け散り、僕は体を焼き尽くされる思いを抱えたままフィールドの後方へ飛ばされた。
「さあ、遊びの時間もこれで終わりだ。お前が俺を叩き潰す予言なんてフザけたものを愚直に信じるなど、愚の骨頂もいいところよ」
グレゴリーは杖を手に掲げ、おぞましく燦然とした黄金のエネルギーを先端の水晶体に集め始めた。
「オレはお前をぶっ潰したら、あのクソ精霊と話をツケねばならない。この先、お前ごときに構うことなど、1秒でも時間の無駄なんだよ。消えな」
そうこうしているうちにも、グレゴリー集めたパワーは巨大化していく。あっという間に奴よりも大きな塊をなしていた。
ダメだ、やられる……! こんなに簡単にやられるために僕は練習していたんじゃない。僕は、僕は、強くなったことを示すために、その強さで彼女を奪った悪を制すために立ち上がったはずだ……!
「さあ、皆さん、この虫けらは、太陽よりも眩しき燦爛 (さんらん)たる力の裁きを受け、散々な人生に凄惨なピリオドを打つ。これが、アイリスコロシアム50周年における、オレ流の祝砲である! レイジング・フラッシュ……!」
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