第9章:運命さん、いたずらにしてもやりすぎです!

「グレゴリー……ここに何をしに来た。そしてマーガレットまで。お前は一体どこにいたんですか? 魔法警察に失踪届出しちゃったんですけど、何か詫びの一言ぐらいくれない? これ、おねだりじゃなくて命令なんですけど?」

 コロンバス先生が独特の言い回しながらマーガレットに憤る。


「マーガレット、どうして今、ここに帰ってきたんだ」

 僕も複雑な思いで彼女に第一声をかけた。

「いやあ、ちょっと、対戦相手がどんな顔かチェックしに来た。もしかして本当はソイツもビビリか?」


 相変わらず嫌味のこもった脚韻を唱えるグレゴリー。

「お前に聞いてないの!」

「こっちもじいさんと会話なんて求めてない。練習場に漂ってるぜ、チキンの気配」


 グレゴリーは我が物顔で体育館内を闊歩する。ウィザードたちがグレゴリーを恐れるあまり、次々と後ずさりしてしまう。奴の三歩後ろを、マーガレットが律儀について行く。まるで従者のような元カノの姿に、僕は高まる心拍数を抑えられなかった。


 木から取ったブドウを僕の部屋に持って帰ってきて、僕と笑いながら実を取り合ったマーガレット。


 いつも負けてばかりの僕を、「きっとあなたの場合は、才能が花開く時間が人よりちょっと遅いだけなのよ」などと慰めたマーガレット。


 あの日になってグレゴリーに寝返ったマーガレット。それらの場面が、僕の脳の中を次々と駆け巡る。


 僕はいても立ってもいられず、マーガレットを追いかけた。

「マーガレット、僕の話を聞いてくれよ」

「何よ、近づかないで、弱虫毛虫、はさんで捨てるわよ!」

「マーガレット、彼はヒト科だ、ひ弱な」


 グレゴリーは忠告の仕方まで韻にこだわっていてくどい。

「……だってソイツはヒト科の虫けらなんだから」

「ヒト科の虫けらって何だ!」

「黙ってろ、虫けら、自重しなきゃ死刑だ」


 急にゾッとする言い草に、僕は返す言葉を失った。

「おい」

 亮治がグレゴリーの前に立ちはだかった。

「オレこそが、次の大会のお前の対戦相手や」


「ああ、お前か。アイリーンの乳首を吸ってから、この世界に飛ばされたって噂の」

「お前までそんなん言うか! そのネタは、ここの虫けらがもう言うとんねん! アンタそれでもチャンピオンかいな!?」


 亮治だって、僕を虫けらって認めてるじゃないか! 今の僕は何か、色んな意味で恥ずかしいぞ!


「威勢いいな? それとも虚勢かな?」

 グレゴリーは慌てず騒がず、亮治を品定めするように見つめた。

「何だ、ここでやるんか? つうかやるんは今日やないやろ?」

 亮治が杖を構え、臨戦態勢を取りながら敵を牽制する。修羅場の予感に、僕は思わず後ずさりする。


「今のその動きは何?」

 マーガレットが僕をじっと真顔で見つめながら問いかけた。


「やっぱりアンタはヒト科のチキンなわけだわ。気骨のあるウィザードなら、ここで『人の道場を荒らす奴は僕が許さないぞ!』ぐらい食い気味で言いながら臨戦態勢になるはずなのにね。あっ、それさえできないから80回も負けちゃったんだっけ~」


 マーガレットは僕に対し、躊躇ない嘲笑を見せた。

「おい、元恋人だからって調子に乗るなよ」

 僕は一歩だけ前に戻りながら彼女に忠告する。


「その踏み出した一歩もパフォーマンスでしかないわね。『一歩だけ踏み出したからチキンじゃないだろう』っていう幼稚園レベルの理屈。『一日ぐらい本気で練習したからいいだろう』っていう、下流の下流を彷徨うすすけた男の理屈ね」


 マーガレットのニヤニヤが止まらない。しかもその奥には、憑りつかれたかのような悪意が見え透いている。


「あっ、実際にアンタがそうだったんだっけ? 友道”虫けら’’幸助」

「勝手にミドルネームを作るな!」

 僕は顔の中に熱いものが通るのを感じながら叫んだ。


「だってそうじゃん。少なくとも私がアンタと付き合い始めたときから、少なくとも10回ぐらいアンタの負けを見た間はそうじゃん」


 その言葉に、僕は思わずゾクゾクとする。やましいことを暴露されると分かったら、こんなに体中がムズムズするのか。


「アンタが練習を抜け出して市場にクッキーを買いにいくとき、私が、『もう練習しなくていいの?』って言ったら、『三十分あんなに激しく動き回ったなら充分だよ。試合もあんな感じなんだって分かったし』と言いながら、呑気に草地に座り込んでクッキーをかじってたっけ。そして蝶々を見た途端、『おっ、レアなバタフライ発見!』とか言いながら追いかけていって一時間ぐらい戻らなかったし」


 練習場内を包む失笑のおかげで、僕の体は無数のミミズが這っているように震えた。


「思えばアンタの屁理屈に慣れすぎた私も私だったかもね。「昨日一日中本気で練習したから、今度は抑え目で二十分あればいいや」と呟いて、実際に練習したのは十五分。理由は十五を四捨五入すれば二十になるから」


「ハハハハハハハハハハッ!」

 コロンバス先生が人目をはばからずに爆笑した。


「先生!」

「あっ、ごめん。私は魔法学生時代、数学が得意科目だったからね。数学に関するジョークを聞くと、笑わずにはいられない。嫌なら四捨五入をサボリの理屈になどもう使わないことだな」


 先生は取り繕うように僕を諭したが、すでにこの地点で僕の心はヒビだらけだ。

「マーガレット、もう気は済んだか」

「一応」

 グレゴリーの問いかけに、マーガレットが一転して朗らかに応える。


「で、コイツがオレの次の相手、お前にも勝てる希望はないね。赤系のコスチュームから察するに、そこの負け犬と同じ炎属性か、だがオレが勝つのが運命だ」

「何やと、ヘンチクリンな喋り方しよって、オレがその口塞いだるから、当日見とけ」


 グレゴリーと亮治がにらみあう。しかし、グレゴリーは亮治を鼻で笑いながら、なぜか僕をもにらむ。僕はギョッとして後ずさりするだけだ。グレゴリーが亮治の方へ視線を戻した、次の瞬間だった。


 グレゴリーの杖からいきなり白い針のようなものが発射され、亮治の体のド真ん中を捉える。不意打ちに尻もちをつく亮治。周囲が思わず亮治やグレゴリーから離れる。そのとき、僕はグレゴリーの顔に浮かぶ、鬼畜の笑みを見た。


 奴の神聖なほどに白い杖の先にある黄金の水晶体が、あの日のようにきらめく。異常な眩しさに、僕の目がまた眩む。


「レイジング・フラッシュ・バースト!」


 グレゴリーが技の名を叫んだ瞬間、杖の先から、高貴なる黄金の光線が放たれ、亮治の体を一瞬で呑み込んだ。壁が爆発し、衝撃波が僕たちにも襲いかかり、否応なしに散り散りに飛ばされた。


 地面を転がりきってもなお、エネルギーが織り成す爆風が吹き付け、僕は必死に地面に這いつくばり、飛ばされまいとこらえるのが精一杯だった。


 失いかけた意識が戻ると、僕は周囲を確かめた。コロンバス先生や多くのウィザード、そしてマーガレットまで、練習場にいたほとんどの者が、地面に倒れた状態から、ゆっくりと立ち上がる。その有様が、グレゴリーの必殺技の威力を証明していた。


 当の奴はというと、周囲の誰一人として気にも留めずに、涼しい顔で立っていた。僕は彼の魔法が当たった方の壁に、天井に達するほどの巨大な穴が空いていることに気付く。


「亮治……亮治!?」

「奴なら消したよ」

 グレゴリーが悪びれることもなく言い放った。


「あの方向だったら、飛んじゃったかな、街の方まで。こうなりゃ彼は戦闘不能だね、オレとの対戦なんて不可能だね」


 何事もなかったかのように韻を踏むグレゴリーに、僕は憤りをあらわにし、奴に詰め寄った。

「この卑怯者! 自分の対戦相手のもとへ乗り込んであんな攻撃するなんて、どういう神経してんだよ!?」


「仕方ないだろう。奴はオレの対戦相手じゃない」

「いや、亮治は僕にも言ってたよ。今度の大会で、お前と対戦するって!」

「オレが違うと言ったら違うんだよ!」

 グレゴリーの意味不明な怒声に、僕は戸惑った。グレゴリーは懐から一枚の巻物を取り出す。


「これが巻物、ここに映るのは何者?」

 奴が巻物を開き、縦方向にして僕に示す。そこには、倒れている一人の男子を前にして、勝ち誇るもう一人の男子。倒れている方の衣装は、グレゴリーと同じ純白に、黄金の縁が伴った衣装である。勝ち誇る男子の方は、僕が今着ているコスチュームそっくりだ。僕は目を見開き、絶句した。


「黒い外套に赤いジャケットとパンツ、白いシャツに黒いクロスタイ、敗北の女神との結婚式に急ぐような格好をしたこの衣装。目の前にいるお前と同じ衣装か! ノルマーレムの森の池に棲む駄女神が突きつけた現実は非情だ!」

 グレゴリーは怒りに身を任せてまくし立てた。


「ノルマーレムの森、この場所からさほど離れていないところの、何でもない森ってやつ。そこの池に女神がいたはず。お前、その人と会ったのか?」

 先生が真顔でグレゴリーに問いかける。


「落ち着いて尋ねてんじゃねえ。そこの駄女神に会ったから言ってんだよ。そこの森でオレは時々練習してんだよ。オレの住んでいる町が、ここからあの森を越えた先にあるからな。地理的にもあそこは練習にピッタリの条件で、オレのスキルアップに貢献してんだよ」


「まず、あの場所に棲む女神であるヌンティアを駄女神と言って罵るんじゃない。お前はヌンティアとどうやって会った?」

「まあ、オレのとっておきの魔法を池へ撃ち込んでたら、ヌンティアのやつ、『バカ野郎!』って怒ってきたな」


「その巻物は、確か予言画だな?」

 コロンバス先生が、絵を吟味しながら問うた。

「『はいこれ次の預言だから覚悟しといて』って言って渡されたんだよ」


「ちょっと待って、と言うことは、僕、君に勝つの?」

 僕は困惑しながらグレゴリーに質問した。

「バーロー。お前みたいなダボはこれに決まってんだーろー」


 グレゴリーは巻物を裏返す。そこでは、僕が傷にまみれてグレゴリーに足蹴にされていた。

「つまり、あの駄女神が出す予言は、二つに一つなんだよ」

「ちょっと待って、と言うことは、僕はどのみち、グレゴリーと戦うことになって、この通りに負けたら……」


「忘れるなかれ。マリスランドに転生してゴキブリになる。そこだけは重要事項だから至るところで言っておく」

 コロンバス先生が釘を刺すように僕の肩に手を置いた。

「そんな……」


「へえ、ゴキブリだって? そういうアンタの姿もちょっと見てみたいわね」

 マーガレットが僕の方へ歩みながら、不謹慎なことを言い放つ。彼女は事の重大さを分かっていないようにクスリと笑った。


「ほお、ゴキブリか。文字通りの虫けら。それなら話は早い。とにかくお前はオレには敵わない。魂百個分かけてもお前の結末は悲しい。アイリスコロシアムの50周年ではせいぜいお前の執念を見せてくれ。それでもオレは悠然とお前を叩き潰す。だが、ただお前を潰すだけじゃ面白くねえから、オレがお前を大ぜいの観衆の前で、お前がゴキブリの方がマシだと思うぐらいにいたぶってやる。それがオレの計画。じゃあな」


 言いたいことだけ言って、グレゴリーはマーガレットとともに杖にまたがり、侵入時に突き破った壁を抜けて飛び去った。僕は体を震わせながら、奴の背中を見送るしかなかった。僕は今度負けたらマリスランドに転生してゴキブリになるのに、その運命の対戦相手がよりにもよってマジックバトル界の貴公子グレゴリーだなんて。運命は、いたずらにしても非情過ぎた。

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