第14章:精霊はとんでもないことをやっちゃったみたいです

「いきなりどうしたの? 何があったの?」

 ヌンティアが心配そうに声をかけてきた。それも両腕でしっかりと抱かれたままだから、鮮やかな吐息まで感じる。

「あの、ちょっと……」


 僕は池に飛び込んだ瞬間とは違う意味でうろたえていた。ヌンティアの胸元からせり出した二つの豊満な膨らみが、柔らかな弾力性で僕の胸元に訴えかけていた。

「放してくれませんか? 僕の体に、当たってるから」

「何が?」

「い、いや……何というか」


 正直言って、僕にとってヌンティアとは、強烈な予言を提供する精霊という認識しかなかった。だからこんなに胸が大きいなんてノーマークだった。それが今になって、僕のボディに触れることで、いけないゾーンに入ってしまっているという羞恥心をかき立てている。


「別に恥ずかしがることないじゃん。ていうか私が今助けなかったら、あなたは今頃どうなってたと思う」


「確かにそう考えると、助けてくれたこと自体はありがたいんだけど」

「ほらほら~、別に恥ずかしがることないじゃん。むしろこういうときは、あなたの方から『助けてくれてありがとう』とか言うもんじゃないの?」

 ヌンティアはそう言いながら、自身の胸元を僕の体に押しつけることで、弾ませていた。


「うん、分かった。助けてくれてどうもありがとうございます。だから早く陸に上げてほしいな」

「分かったわよ」

 ヌンティアはちょっとムッとした様子だった。いや、そこでムッとする意味が僕には分からなかった。ともあれ、彼女は僕を抱きかかえたまま、池の間際へ運んでくれた。


「あ~っ!」

 突然、女子の叫び声が聞こえた。僕がそっちの方を向くと、マーガレットがこちらを指差していた。

「アンタ、精霊に惚れてたのね?」

 マーガレットは憤慨を露にした。僕は最も望まれぬ来訪者を目の当たりにし、周囲をキョロキョロさせて現実からの逃げ道を探した。


「どうしたんだよ、マーガレット」

「この負け犬男、精霊とヨロシクやってるんだけど」

「違うよ! 僕はSHOOT OUTで練習してたら、相手が放った竜巻にやられて、ここへ飛び込まされたところを、ヌンティアが助けてくれて」

「で、そのままイチャラブタイムでしょ?」

 マーガレットが呆れるような笑みを浮かべながら言った。


「思えばアンタがいつかの試合で、コロシアムから外まで吹っ飛ばされて、道を歩いていた私の前に落ちてきたときもそうね。私が介抱したら、アンタは『助けて』と弱々しい声で言いながら私の手を握っていた。傷だらけの手だったけど、すごくなめらかな触れ心地だった。顔もそのとおりにイケメンだったし。そうなったら私も『助けてあげなきゃ』と思った。私が騙された瞬間ね」


「騙したって何だよ。人聞きが悪いな」

「そして今度は精霊を手にかけるのね。練習をサボッて精霊とイチャイチャイチャイチャ。ここまで来たら呆れるしかないでしょ」


「何言ってるの。これがイチャイチャに見える?」

 ヌンティアまでもが抗議の口火を切った。しかし、同時に僕の頭をおさえ、自分の胸の谷間に埋めていた。


「それ、それよ! 結局アンタもその気になってるんでしょ! 騙されちゃダメよ! ましてや予言者でしょ! こんなクズ男、いつまでたっても強くならないわよ。アンタがいくら声をかけたって結果は一緒。結局はゲンナリさせられるだけ! 負け犬の彼女って言われたら、精霊のお仕事にも悪影響だったりしてね!」

 マーガレットはヒステリーにまくし立てた。


「あのさ、僕と君はもう別れてるからいいじゃん」

「別れてるわよ! 自分のことだから分かってるわよ! でもアンタが今まで積み重ねた負けに無反省で彼女とそんなことしてるのを見たくなかっただけ! いつまで私をガッカリさせる気!?」


「もう充分反省したよ! おかげでナチュラル・アーマーって特殊能力の存在が分かって、今は自分の体がより頑丈になるように、相手の攻撃に立ち向かう特訓をしているんだよ」


「へえ、じゃあ、ドMを極めるってこと?」

「ドMになりたいわけじゃない。強くなるためにやってんだ」

「ただのドMだろ? 言い訳したって無駄だぞ」

 グレゴリーがそう言い放つと、マーガレットの隣に進み出た。


「ナチュラル・アーマー、確かにそれは特殊な殻。相手から受ける攻撃を軽減させ、余分なケガを制限させる。痛みは抑えられない、だが身体的ダメージは引き立てられない。生まれつき体に宿る鎧と共生、でも今のお前は妖精と遊びほうけ」


 グレゴリーは淡々とナチュラル・アーマーの概要を、いつもの韻を交えて語ってくれた。最後の一言は余計だが。

「だがその特殊能力でお前は何をする気だ? ただの頑丈アピールか? お前から勝ちたい気持ちが全くオレに反響しない。ウィザードバトルは我慢比べに該当しない。これは殺し合いという名の格闘技なり」


 ヌンティアに抱えられたままの僕の体が震える。チャンピオンの言葉の重みだけではない、凄まじい念が、グレゴリーから伝わってきたからだ。


「おい、精霊。お前に命令だ。クソみたいな予言画、ふざけんな。オレは真剣だ。お前とお前が見せた予言画に、オレは借りがある。覚悟しろ、変態ガール」

 意味深な言葉に、ヌンティアは息を呑む。話は僕の分からない領域に入った。

「借り? アンタ何かしたの?」

 マーガレットさえも困惑した様子でヌンティアに問いかける。


「私、グレゴリーの両親を、マリスランドへ送っちゃった」

「えええええっ!?」

 僕はヌンティアに光線を浴びせるように、大声を上げてしまった。

「ちょっと、じゃあなおさら放して。僕を陸に上げてよ」


 僕は彼女の腕の中でもがいた。

「ダメよ。だって、この話はまだしばらく終わりそうにないわよ。今アンタを陸に上げたら、しばらくブルブル震えなきゃいけないし。風邪を引いてしばらく練習できなくなるの怖いでしょ?」

「いやいや、そういう問題じゃないから」


 次の瞬間、ヌンティアの池が、嵐の前に空に立ち込める雲のごとくどんよりした色に染まった。そして、実際の空も、煙のように早く分厚く、暗澹(あんたん)とした雲が立ち込めた。

「何これ、どういうこと?」

 僕は空を見上げながら、得体の知れない不安感に襲われた。


「アレだ……」

 グレゴリーがそう呟いた直後、雲のあちこちの隙間から稲光が顔を出し、最後に壮絶な閃光が、近くの木を襲った。僕とヌンティアは、恐怖のあまりに絶叫しながら、互いにきつく抱きしめあった。


 さらに僕たちの真上から、青白くて怪しい光が照らされた。何やら堕天使でも降りてくるような前触れだった。

「どうも、雷神ヴロンティです」


 威厳に満ちた重々しい自己紹介が聞こえた。この名は僕も知っていた。リンデン国の天より世界を司る十二神のひとつにして、悪行中の者の上に現れ、その場で裁きを下すのだ。


「ヌンティア」

 精霊は名前を呼ばれた瞬間、悲壮感に満ちた息を呑んだ。


「不純異性交遊により、精霊失格に処す。さっさとこの泉から出ていけ!」

 ヴロンティの怒りの宣告を聞くや否や、池全体が突如、渦巻きと化した。さっきのミリアの竜巻に勝る激しさで、僕たち二人は抱き合ったまま、水の底へと引きずり込まれる。やがて、僕の視界は真っ暗になり、全ての感覚がシャットアウトされた……。

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