第2章:皆さん、少しはケガ人を思いやってください
「こんな体なんだから、せめて誰か僕をここまで送り届けてくれよな。魔法薬、二千種類もあるんだから、行きたいところへテレポートできる魔法薬とかあるんじゃないのかよ。『それはないから、五キロ離れた魔法道場まで、松葉杖をついて歩くしかないですね』って、美女過ぎるマジックドクターだからって調子乗ったこと言うなっつーの」
僕は一人ぼっちで病院のことを愚痴りながら、街のはずれにある魔法道場の前に来た。そこからさらに百メートル離れたところに寮があるが、わずかそれだけの距離でも、ぶっ続けで杖をつく気力まではなかった。だから僕は道場に寄り、扉を叩く。
「すみません、ただいま、退院しました」
こう言った僕を出迎えたのは、僕の師匠であるデビッド・ベイト・コロンバス、僕の師匠、すなわちウィザードバトル道場『SHOOT OUT』の名物トレーナーだった。壮大に伸びきった髪とアゴヒゲが、ベテランという言葉では収まらないほどの貫禄を証明している。
「何ですか? 劣等生の中の劣等生くん。退院できたはいいけど、『ここまで一キロの道のりが長すぎたもんで、本当はもう百メートル先の寮まで行ってとりあえず休みたいけど、そこまでたどり着く気力まではありませんから、ここで休ませてもらっていいですか』って頼みに来たの? 答えはNOだよ? 何甘えてるの? だから君は80敗ボーイなんじゃないの? あっ、一応4勝してますけどとかいうフォローは必要ないからね。それだったらひと思いにデビューから80連敗している方がまだ清々しいくらいだから」
「何で4勝している事実から目を背けようとするんですか?」
「ああ、だるっ。ヘボ太郎の屁理屈聞くのだるっ」
コロンバス先生は壮大に伸びきったアゴヒゲをいじくりながら中へ戻っていく。この通り、僕はもう、あの人からは完全に見切られている。それは80回も負けている僕のせいでしかないのだが。とにかく、僕は先生の後を追うように、道場へ入っていく。玄関から奥へ進み、その先の、扉が開きっ放しの練習場へ向かう先生の後を追うべく、僕はがむしゃらに松葉杖をさばいていく。
「はーい、皆さん注目してくださーい」
先生が声を張り上げて、練習中の皆に呼びかける。稲妻やら炎やらの魔法が飛び交っていた喧噪が、水を打ったかのように一気に静まる。その間に、僕は申し訳なく先生の横に並び立った。
「コイツ、思ったより早く退院したと思わない?」
およそ先生とは言えない、フランクかつ嫌味な言い方だ。
「ええ」
「何だよ、負け犬」
「もっと入院してろよ、お荷物」
予想通りと言うか、明らかにみんな嫌がっている。そのとき、赤いモヒカン頭が特徴である、僕と同い年のトンパチ少年、泉田良治がズカズカと僕の前に進み出てきた。
「おい、何やお前? たった九秒で醜態晒しといて」
「待て、泉田。公式記録では十秒だって」
「どっちだっていいですよね!」
オレに対する嫌悪の弾みで、亮治が先生にツッコむ。
「こちとらな、大阪のあいりん地区っちゅうドヤ街からこの世界に転生して、貧乏暮らしからの一発逆転狙っとんのや」
「アイリーンの乳首を吸ってドヤ顔したら、この世界に来たんですか?」
「ふざけとんか、オラ!」
亮治が赤い杖を差し向けると、いきなり液体が凄まじい勢いで飛び出し、僕の顔面に浴びせられた。尻もちをついた僕だが、直後に液体の本当の怖さを知った。
「ああああああああああっ! 目痛い! 辛い! 何これ! 何これ! 先生! ああああああああああっ! 水! 水! 水!」
「バニラ・パウダー!」
新たに、冷たい粉が弾け、僕の全身に降り注ぐのが感じられた。不思議なことに、僕の全身を苦しめていた辛味が、霧が晴れたかのように癒えていった。
「うわあ、何か気持ちいいです」
「さあ、目を開けな、劣等生」
先生の言われたとおり、そっと目を開けると、安心したように微笑む先生の顔がそこにあった。先生は僕を見つめたまま、亮治に人差し指を向ける。先から黒いエネルギーが真っすぐに伸び、亮治に当たって転ばせる。
「亮治?」
僕は彼を心配するあまりに、松葉杖なしで立ち上がった。亮治は喉を押さえてもがき苦しんだ後、口から真っ黒いかたつむりのような生物を吐き出した。
「うわあああああっ!」
近くにいた二人のウィザードが同時に悲鳴を上げる。
「ナイトメア・スネイルだ! こいつに触れたら、死ぬほどおぞましい悪夢を見る!」
「うわあああああっ!」
「ウエッ」
一斉にパニックになるウィザードたちを尻目に、亮治は二匹目を吐き出した。
「さあ、君はこちらへ来るんだ」
先生が僕のために松葉杖を拾って渡し、道場から避難する。僕も後に続く。ところが、その後から、亮治がナイトメア・スネイルを吐きながら追ってきた。
「来るなよ!」
「誰が乳首吸ったや!? オレが何なんか知っとんか!? ウエッ」
「それやめろって! ああっ」
足がもつれて、転んでしまった。打撲中の右腕を地面についてしまい、息が止まりそうなぐらいの激痛が走った。亮治が容赦なく僕に馬乗りになり、胸倉を掴む。
「アイリーンの乳首を吸ってドヤ顔したんちゃうねん! あいりん地区のドヤ街からこの世界に転生したんや! ウエッ」
奴は狙ったかのように、僕の顔面にナイトメア・スネイルを吐いてくれた。僕の顔の上で描かれる不快極まりない軌道に、もう、叫び声すら上げられない。
「何をしているんだ、やめんか!」
気付いた先生の一喝で、亮治は渋々僕のもとを離れた。
「大変だ、このスネイルを取ろうにも、触ってしまうと私まで悪夢を」
先生はこう言っているが、すでに僕の悪夢決定は撤回されないのか? 先生、その魔法の力で、僕が何とか悪夢を見れないようにしてくれませんか?
「そうだ」
何か思い立ったように、彼は近くにあった部屋の扉を開き中に入る。確かそこは用務室だ。て言うか、別の場所で何かを探してもらっている余裕さえない。かたつむりが文字通り、僕の顔を這っているからだ。
五秒ぐらい経ったところで、軍手をはめながら出てきた。
「スネイルが人に悪夢を見せるという効力は、人の皮膚に直接触れない限り発揮しないはず」
軍手の理由を述べながら、先生はスネイルを除去すべく僕の顔へと近づいた。
「あれ? スネイルはどこだ?」
「僕の……髪の毛の中に入りました」
「どこだ? よく見せてみろ」
「ここですよ」
僕は床に倒れたまま体を反転させ、先生に自分の頭を見せる。
「ここだ!」
先生の手で、スネイルが取り払われるのが感じた。安心したら、全身から力が抜けた。
「はあ、良かった……」
「ようし、スネイルちゃん、君はこんな場所に甘んじてないで、ちゃんと自立して生きていくんだよ~」
かたつむりを外へ連れ出す先生の背中を見送っていたら、急激に眠気が襲いかかった。どうしよう、ここで寝たら、すぐに悪夢が訪れるのか? だとしたら……。でも、まぶたが、段々重くなっていく。ダメだ、寝ちゃダメだ。頑張れ僕。頑張れ僕。頭を起こせ。いや、頭が冷たい床から離れたがらない。せめてこの目ぐらいは……zzz。
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