第6章:転生したら巨大ゴキブリになる予定だった件

 僕たちがコロンバス先生に案内されたのは、SHOOT OUT 練習場の隣に建てられている学習棟である。そこでは僕たちが魔法に加え、数学や言語などの一般科目を勉強している。僕たちが訪れたのは、二階にある資料室だった。


 そこではすでに何人かのウィザードが本を読んでいて、その奥にはおびただしい数の本棚が揃えられている。コロンバス先生はそこを一瞥したあと、僕たちを学習スペースの脇にある階段へと連れていく。僕は左手に松葉杖、右手に手すりを持ち、慎重に地下二階まで降りる。そこでは何匹ものリュシオルと呼ばれる照明生物が、頭を青白く光らせ、半径一メートルほどを照らしながら飛び回っていた。


 コロンバス先生と僕たちは、リュシオルに頼りながら先を進んでいく。地下二階の奥で、二匹のリュシオルが扉を照らしていた。

「ここだな。インヴァイト・オーダー」


 先生が杖を扉にかざすと、扉がゆっくりと開かれる。その岩が擦れるような音から、扉の重量が想像できた。

「リュシオル、お手数かけるけどよろしく」


 先生の一声で、十匹ものリュシオルが集結し、僕たちとともに中へ入っていく。その広さは、先生室とあまり変わらないが、室内の両脇に、大量のホコリを被った本棚が置かれているのが見えた。正面には黄金の額縁がそびえていたが、囲んでいるのはただの壁だった。


「おーい、四匹、よろしく」

 先生が再び一声を発することで、四匹のリュシオルが集まり、額縁の四隅に陣取った。これにより、リュシオルの頭で額縁全体がくっきりと照らされる。


「これが『真実の枠』だ。本みたいに字で書かれたり、人によって話されたりした内容を画で表す。おい五匹目、この中に、マリスランドに関する資料があったはずだが?」

 五匹目は、入口から見て左側の本棚の、奥の下の方の角に動いた。


「よーし、友道、そこにあるもの持ってきてくれない?」

 僕はリュシオルが照らした本を手に取った。確かに背表紙には、「マリスランド入門」とシンプルなタイトルが刻まれている。僕は小走りでそれを先生に持っていく。


「サンクス」

 仏頂面で砕けた謝礼を述べる先生の横を、さっきのリュシオルが急ぐように通り過ぎた。先生が本を、リュシオルが照らした枠にはめ込む。


「芽衣花、今何が行われてるか分かる?」

「あの本をセットすることで、その内容がここに出る仕組みね。私、自分でやったことあるわよ?」

「マジで?」

 こんな門外不出感ハンパない場所を全うしたことがあるという芽衣花の告白に、僕は軽く驚いた。


「は~い、静かに、間もなくスタートです」

 先生が僕たちに注意を促して間もなく、額縁の中にビジョンが映り始めた。その中では、限りなく黒に近い灰色の雲が空一面に垂れこめ、街に並ぶ建物は、まるで覇気がなく、腐食しているのかとさえ思えてしまう色合いばかりだった。


『ここは、絶望の国、マリスランド。一言でいうなら、恐らくどこの世界よりもホリフィックな場所』


 おどろおどろしい声が挿し込まれる中、街を歩く人たちは皆、死んだような顔をしている。まるでゾンビみたいだ。かと思ったら、文字通りのガイコツが、市場でリンゴを盗み、それをまた覇気のない目をした店主のオジサンが無言で追いかける場面が映し出される。


 次は、草原から上半身を突き出したゴーレムが、呻き声を上げながら暴れている。いわゆる地縛霊か。上半身だけで、すでに僕の身長ぐらいある。あの体格の持ち主に暴れられたら、確かに勇者の手でも借りない限り、ひとたまりもないだろう。


「うわあっ!」

 次の場面に、僕は声を上げて驚愕した。ゴーレムが封印された草地は、ミイラ、ガイコツ、ゾウ、ドラゴン、そしていかにも人相の悪い人間、ソイツの後ろに集結する数十人の取り巻きらしき連中などが、地縛霊となって、ここから抜け出そうともがいていた。

 酒場の人たちが食べる料理は、どれも見た目がくすんでいてマズそうだ。


『マリスランドで食べられるものは、9割方腐っている』

 衣食住の「食」の摂理を全否定するような語りに、僕は衝撃を受けた。


『マリスランドで人が着る服は、9割方ボロボロだ』

 酒場や街を歩く人の、穴や修繕の跡だらけの服を見て、最初からみんなこんな感じなのかと、僕は目を疑った。


『マリスランドの家の中は、9割方こんな感じ』


 マリスランドのとある家族の生活風景である。食卓にて、灰色に濁った水か何かを、ヒビ割れたガラスのコップで味わう父、鬱蒼さのこもった赤色の毛糸でできかけの手袋を編むも不手際で隙間だらけな母。


二人の兄妹の子どもは、無邪気に遊ぶでもなく、睨むようにただ母の作業を見つめるだけ。目線が左回りに流れていくと、壁に二ヶ所ほどの穴が開いており、ホコリを被った床には、大きな穴がある。子どもが踏み入れば、確実に落ちてしまうぞ。


いいのか、こんなのに住んで。ていうか、9割方住まいがこんな感じの国じゃ、床の穴さえも甘んじて受け入れるしかないのか。


『マリスランドでは、時折、街が賑やかになるようなイベントがある。50%の確率でここに来るかもしれないと言われている、一人の少年の未来の例で紹介しよう』

 あまりに回りくどく、トンチンカンな語りに、僕は戸惑った。

『ケリー、知ってる? この辺に最近、コースケ・トモミチが出没するんだって』


 広場を歩く女子が友人の女子に語ったのは、僕の名前だ。姓と名の順番を入れ替えても僕の名前は僕の名前だ。

『イヴリンってまたその話? もういい加減怖いんだけど』


 もう一人が感情のこもっていない応答をしながら、隣の女子の肩に頭を寄せる。

『昨日もコースケ・トモミチが街の外れの森に出て、冒険者が襲われちゃったとか』

『え~、かわいそう』

 到底同情しているとは思えないぐらい無感情な顔と言いぶりだった。


『コースケ・トモミチが出たぞ!』

 おじさんの叫び声が響き、二人の女子がハッとなる。街路の噴水広場では、住民たちが、まさに恐れおののくオバケのごとくあちらこちらへ逃げ惑っていた。その間も、『コースケ・トモミチが出たぞ!』という声が飛び交っている。


 もしかして僕、マリスランドでそんなに凄いモンスターになっちゃったの? 一体、僕はどんな姿になっているんだ? 興味津々になって、真実の枠に注目した。

 広場に現れたのは、猟犬程度の大きさを誇る、ゴキブリだった。

『見ろ、あの犬ぐらいの大きさしたゴキブリ! あれこそがコースケ・トモミチだ~!』


 パニック状態の男性の叫び声がとどろく中、コースケは広場をジグザグしながら駆け抜けていく。広場に残っていた人たちに容赦なく向かっていくコースケ。一人の女子が前のめりに転んだ。イヴリンだ。コースケが彼女に容赦なく彼女に飛びかかっていく。


『イヤアアアアアアアアアア!』

 感情に乏しすぎるマリスランドの住民と言えども、これには絶叫した。だって彼女を襲っているのは、猟犬ぐらいのデカさを誇るゴキブリ……。


「って、これ何!?」

 真実の枠による可視化が終わらぬうちに、僕は抗議の声を上げた。

「コラッ、ビジョナイズ中は静かに!」


「いや、だからこれ何ですか!? 僕の未来がゴキブリってどういう意味ですか!? て言うか、あのゴキブリって何であんなにデカいんですか?」

「それを説明するために真実の枠をビジョナイズさせているんだろ! 静かにしないとサンクションだぞ!」

 先生に一喝され、ひとまず僕は押し黙った。その間に、真実の枠ではと言うと……。


『誰か、イヴリンを助けてあげて!』とケリーが叫ぶ。

『オレに任せろ~!』

 と叫んだのは、筋骨隆々で上半身裸の若い男だった。生気が見られないのは顔だけで、正直すぎるほどに筋肉が盛り上がっている。


『お嬢さん、これか?』

 と尋ねながら、青年は何のためらいもなくコースケを拾い上げる。

『それに触ったら……』

『毒にでもかかる? タランチュラとかじゃないから、別に問題はないだろう。だが、下がっていてくれるか?』


 と言葉だけはやたら自信を持ったマッスル青年は、コースケを地面の上に押さえつけた。

『こんな感じで、どうかな?』


 青年は何のためらいもなく、右足を振り上げ、コースケ・トモミチの顔面目掛けて勢い任せに踏み潰した。その瞬間、コースケの肉片的な黒いものが、四方に吹っ飛んだ。顔面がぺちゃんこになり動かなくなったコースケに対し、青年は残りの部分も、まるで遊ぶように踏みまくった。


 ひととおり踏んづけたマッスル青年が額の汗をぬぐう仕草を見せたとき、鬱蒼さの残る歓声に街が満たされた。


『どうもありがとう、どうもありがとう。じゃあ、今からコイツの体をどう処分しようか』


 ……待てよ。ていうことは何?


『こんな形で、マリスランドには、時折異世界から転移やら転生やらという形で移る者が現れます』

 またも語り手の淡々とした説明である。


『そうなった者の中には、コースケ・トモミチのような奇妙な生物への生まれ変わりもいます。でも、大体あんな感じで、ロクな生涯にはならないでしょう。これぐらい説明すれば分かりますよね?』


「分かるかああああああああああっ!」

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