17 怯える猫耳男子

 ぴりりと空気冴え渡る朝焼けの中、テントの中をがさごそ跳ね回る猫に起こされたあたしは、外に出て大きく伸びをした。

 ここは地球でいうオーストラリア辺りの位置にある大陸の南端で、今は秋の入り口。だから朝晩はそれなりに冷え込むと千草さんに聞いてはいたんだけれど。


「……寒っ!!」


 ぶるっと震えが走り、あたしはブランケットを羽織って猫を抱え、竈に駆け寄った。

 竈には太い薪が数本くべられていて、まだ火は残っていたけれど冷えた体を暖めるには少し足りない。

 炭を反して露になった細い火の中へ枯れ枝と針葉樹の落ち葉を足してやると、徐々に火の勢いが戻った。


「はぁ~染みるぅ……」


 膝の上で丸まる猫は、あたしの手の動きを目で追ってはちょいちょいとかわいらしい手を伸ばしてちょっかいをかけてくる。

 火を怖がらないのね。それに人馴れしてるみたいだし、やっぱりどこかの飼い猫だったのかしら。

 だけどどこから拐われてきたのかわからないし、飼い主を探すのはさすがに無理だものねぇ……。

 あの婆さんならどうにかしてくれるかも、なんて思ったけれど、迷い猫としてギルドに連れていった方がいいのかしら。


「にぁー」

「はいはい。ごはんにしましょうね」


 テーブルの上や竈まわりはきれいに片付けられていて、昨日渡された果物と陶器の瓶が大小ふたつ置いてあった。

 大きな瓶の中身はミルク、もうひとつは昨日使わせてもらった胡椒。

 鍋や食器も全部ピカピカになっていて、きちんと重ねて置かれていた。


「ふふ、マメな子ねぇ」


 せっかくの置き土産ですもの、ありがたくいただいちゃいましょう。

 早速小鍋にミルクを注いで火にかけて、人肌に温めてカップとお皿へ。魚も炙ってあたしはチョキで、猫にはほぐして与えてあげる。

 そうしている間に日が昇り、辺りもすっかり明るくなった。テントや荷物を鞄にしまい、砂を掘って炭を埋め、竈の跡もキレイに均す。

 立つ鳥跡を濁さずってね。ゴミもなし、忘れ物もなし! さぁて一旦宿に戻ってお風呂入って、それから婆さんのところへ行きますか……。

 あぁそうだ、その前にを拾って行かなくちゃね。


「さ、行くわよ猫ちゃん」

「にぁん」



 ノット港には、さっきまでいた砂浜から漁港を挟んで北側に、客船や遊覧船、渡し船などのための船着き場がある。

 そこを管理している建物の裏手で、口いっぱいにチョキを頬張ってもぐもぐしている猫耳男子の前に、あたしは腕を組んで立ち塞がった。


「…………ごーひけここがーかっか?」

「飲み込んでから喋りなさいよ」


 必死でもぐもぐしながら尻尾を両足の間に挟み、耳をぺたんと寝かせる姿はそれはもうはちゃめちゃにかわいかったわよ。こねくり回してやりたい。

 だけどここはぐっと我慢。

 ようやくごくんと飲み込んであたしを見上げるランディは、尻尾を抱えて恐る恐る口を開いた。


「……どうしてここがわかった?」

「さぁ、どうしてでしょうね」


 目を瞑っててもね、あたしには視えちゃうのよ。

 怯えるランディがかわいいから教えてあげないけどね。

 窺うように、耳をぴるぴる寝かせたまま上目遣いで申し訳なさそうな顔をする猫耳の美青年。この破壊力たるや!!

 カメラ! 誰かカメラ持ってきてちょうだい早く!!


「……その、レイ、俺」

「お食事は終わったのかしら?」

「え? あぁ」

「じゃあ行くわよ」

「ど、どこに」

「いいからついてらっしゃい」

「待て、待ってくれレイ!」


 さっさと歩き始めるあたしに、ランディは食い下がってきた。

 んもう。今日はあたしに付き合ってもらうわよって言ったじゃない。つべこべ言わずについてらっしゃい。


「……俺はやつらに顔を知られてる。一緒にいるのは危険だ」

「なら猫になったらいいじゃない」

「は、え?」

「猫の姿は知られてないんでしょう?」


 あたしはまだ渋るランディを言いくるめ、大きな黒猫に戻った彼を引き連れて宿へと戻った。

 宿の支配人に頼み込んで部屋へ猫二匹を連れて入る許可をもらい、揃って三階の奥へ。

 広い広いスペシャルルームへご案内よ。


「凄い部屋だな……」

「こっちの人が見てもやっぱりそう思うわよねぇ」


 ギルドと宿からの心尽くしなんですけどね。

 あたしひとりじゃ絶対こんないい部屋取らないもの。


「じゃあ、あたしお風呂入ってくるわね」

「ふ、風呂!? ちょ……レイ、まさかそんな」

「んふ。いい子にしてるのよぉ? ……ベッドで待ってらっしゃい」

「ひぃっ!!?!?」


 耳元でそう言い含めると、あたしはバスルームへ足取り軽く向かう。

 ふふふふふっ、かーわいいったら!

 冷えた体をじっくり温めて隅々までピカピカに磨き、準備は万端。

 さぁ、たーっぷり楽しませてもらうわよ?



「食われる食われる食われる食われる食われる食われる食われる食われる…………」


 寝室へ戻ると、ランディは猫姿のままベッドと壁の隙間にうずくまって壊れかけていた。

 その背中を小さい猫がてしてし叩いているけれど、無反応でぷるぷる震えている。

 あたしは笑いを堪えながらそーっと近寄って、後ろから声をかける。


「お・ま・た・せ」

「ひいぃ!?」

「んもう、ここまで来ておいてビビってんじゃないわよ。男らしくないわねぇ」

「レ、レイ、すまん俺やっぱり帰……っ、え?」

「ほらあんたもお風呂入ってらっしゃい」

「……服、」


 ランディは目をぱちぱちさせて固まってしまう。

 んふ、今日のコーディネートも完璧でしょう? 上から下まで秋色でシックにまとめてみたの。

 素敵でしょ? 誉めてくれてもいいのよ?


「え、なん……てっきり、俺」

「あらぁ~てっきりなぁに? んもう一体何を期待してたのかしらねぇこのす・け・べ」

「……っ、騙したな!?」


 おほほほほほほ、人聞きの悪いこと。

 あたしはなーんにも、ひとっつも嘘なんかついてないわよぉ?

 勝手に想像膨らませて怯えてたのはあんたじゃないの。うふふ、おバカさんねぇ。


「くっそぉ……」

「んふふふっ、ほら早く温まってらっしゃい。あんな寒いところにいたんだもの、冷えてるでしょ?」


 打ちひしがれるランディを宥めながら、預かっていた荷物を渡してバスルームへ送り込む。

 あー、笑った笑った。かーわいかったぁ。

 ほんっと食べちゃいたい。


 ベッドに腰かけて猫とじゃれて遊んでいると、しばらくしてランディが戻ってきた。

 まだ少し顔がふて腐れてるわね。拗ねてるのかしら。


「おかえり。早速だけど行きたいところがあるの。ついて来てくれる?」

「……さっきも言ったが、俺と一緒に出歩くのは危険だ。レイまであいつらに目を付けられたらどうする」

「どうしましょうねぇ」

「茶化すな。俺は真面目に言ってる。そもそもどうして俺を連れていく必要があるんだ」

「だーってあんな場所、ひとりじゃ行きたくないんだもの」

「どこへ行くんだ?」

「こわぁい所よ」


 さてさてどうしましょうか。思ったより渋るわねぇ。

 ここはやっぱり奥の手の出番かしらね?


「どうしても行かなくちゃいけないのよ。ねぇランディ、あたしを助けると思って、一緒についてきて。お願いよ」

「……だが」

「その耳と尻尾は消せないのよね?」

「それはできない」

「要はあんただってバレなきゃいいのよね?」

「まぁ、そうだが」

「そのマントじゃ隠れきれないのね?」

「顔を知られているからな。気配は断てても、目立てばバレる」

「ふぅん?」

「レイ、あんたは目立つ。一緒にいたら、きっと巻き込む」

「オッケー、わかったわ」

「……すまない」

「じゃあはいこれ、お着替えしましょ?」


 あたしは魔法の鞄から女神様の衣装セットを一式取り出して、きょとんとするランディに手渡した。

 ほらほら早くと急き立てて、有無を言わさずあれこれいじり倒して鏡の前へ。

 この衣装、サイズが着た人の体型に合わせて変わるって聞いてたけど本当だったわ。あたしより背の高いマッチョな青年に、しっくりぴったり馴染んでくれたわよ。


「っふふ、素敵よランディ……っ!」

「どうしてこうなった……」


 鏡に映るランディは、どこからどう見ても立派なオネェに大変身していた。

 生成り色のゆるめトップスに、足首まで隠れるたっぷりした生地のカーキ色のガウチョ。

 尻尾はガウチョに仕舞い込んで耳はキャスケットを被らせる。仕上げにタータンチェックの大判ストールを巻いて体型をカバー。

 もちろんメイクもばっちりよ。


「ほら、これなら問題ないわ」

「問題だらけじゃないか……?」

「いいから行くわよ。猫ちゃん連れてついてらっしゃい」

「え、本当にこの格好で行くのか?」

「逃げた罰よ。今日は一日その格好してなさい」

「マジか……」

「うふふふっ」


 最早抵抗する気力もなくしたランディを連れて、あたしは例の魔女屋敷へと向かった。

 ほらほら背筋伸ばしてしゃきっとしなさいな。堂々としてればいいのよ。誰もあんただなんて気付きゃしないわ。


「メルネ婆さーん、開けてー」


 嫌がっていた割に、あたしは屋敷へ辿り着くと開き直って門扉をガンガン叩いた。

 宿であれこれしているうちにだいぶ時間も過ぎてるし、老人は朝早いものだし、起きてるでしょ。


『なんだいこんな朝から喧しいね』

「入っていいかしら?」

『断ったって入るんだろう?』

「まぁね」

『ヒヒ、まぁいいさ、入りな』

「お邪魔しまーす」


 勝手知ったる人の家。低く前方を遮る枝葉を潜り抜け、あたしはノッカーも鳴らさず扉を開ける。

 ランディはその後ろでキョロキョロしながらも黙ってついてきた。


「おはようメルネ婆さん」

「ったく朝からいい迷惑だよ。まさか手ぶらじゃないだろうね」

「初っぱなから相変わらず強欲な婆さんねぇ……。お昼作ってあげるのでいいかしら?」

「なんだ。後の坊やじゃないのかい」

「ダメに決まってるでしょ!?」

「ヒヒヒッ」


 何を言い出すのよこの婆ぁ!! あげるわけないでしょう!?


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