4 若

 セレブの家が立ち並ぶ閑静な住宅街。その地区の突き当りに高い塀で囲われた一軒の屋敷が見えてくる。

 重厚感のある数寄屋造りの門前にベンツが停車すると、待機していた男達が流れるような動作で後部座席のドアを開け、頭を下げる。開かれた門から屋敷の玄関まで整列した強面の男たちが続くように膝に手を当て、屋敷の主を出迎える。


「おかえりなさいませ、若」


 この国を拠点として活動する暴力団の中で1,2を争う勢力を持つ鏑木組かぶらぎぐみ。その次期八代目組長の座を約束されているのが、廉司である。

 今は実父である、現在の組長――鏑木司郎かぶらぎしろうが別荘として建てたこの屋敷を住まいとし、鏑木組若頭と、自身が鏑木組の二次団体として立ち上げた飛廉会ひれんかいのトップを兼任して約70名の組員を纏めている。


 出迎えの挨拶に返事はしないが、頭を垂れる一人一人の様子を眺めながら玄関をくぐる。大きな木製の引き戸の向こうで、外にいた男達より二回りほど年が上の男――甲本こうもとが廉司を迎えた。


「おかえりなさいませ」

「おい、甲本。アレ止めさせろよ」

「『アレ』?」

「オーバーな出迎えだよ。肩が凝って仕方がねぇ。」

「はは、止めたって誰も聞きゃしません。許してやってもらえませんか。皆、若を慕っての事ですから」


 至極嬉しそうな笑みを浮かべる男に冷めた目を向けながら、廉司は革靴を脱いだ。

 飛廉会の会長でもある廉司のことを「若」と呼ぶのも、いずれ彼を鏑木組の組長、頂点として担ぐという皆の意思の表れだという。


「って、俺ももう三十路前だぞ……」

「若、何か?」

「なんでもねぇ。それより留守の間変わったことはなかったか」


 木目彫刻の施された豪華な和風シャンデリアが照らす吹き抜けの廊下を通って応接間に入る。羽織っていたダンヒルの上着を甲本に渡し、先月購入したばかりの革張りのソファに腰掛けた。


畠山はたやまが来ています。若にご相談したいことがあるようで」

「ふーん」

「こちらに通しても構いませんか?」


 襟口から抜き取ったグレーのネクタイを渡そうとした時、甲本の脇から細いグラスを手にした夏目が顔を出した。


「あぁ、呼んでくれ。甲本、お前はもう下がっていい」

「はい。では」


 受け取ったネクタイを丁寧に丸めてから手の中に収め、一礼をした彼は部屋を後にした。


 夏目に手渡されたグラスから冷えたミネラルウォーターを一口含み、シャツの袖ボタンを外す。新しいソファの柔らかさを背中で楽しみながら天井をぼんやり眺めていると「失礼します」という声の後に応接間の襖が一枚開いた。

 頭を上げた男の目が血走っているのに気づいて苦笑した。


「お疲れのところ、すみません」

「相談にしちゃ随分怖ぇ顔だな。どうした?」


 畠山、と名を呼ぶと男は敷居の手前で立ち尽くしたまま項垂れた。


「すみません」

「あ?」

「……昨日、ウチの北川きたがわ戸部とべがやられました」

「北川?戸部?」


 ふと向かいの壁際に立っていた夏目に目を向けるが、彼も無言のままこちらを見返している。


「自分と兄弟盃を交わして3年になります。何度か若にもご挨拶を。剃り込みのツーブロックとピアスだらけの坊主頭で――」

「あぁ、か」

「……はい」

「誰に?」

「わかりません」

「『わかりません』?」


 上体を起こした廉司の問いかけに畠山は言葉を詰まらせた。


「……どうやらヤクザ者の仕業ではないようで」

「ハッ!カタギにやられたのか」

「すみません」


 思わず失笑を漏らした廉司とは対照的に、深々と頭を下げる畠山の両手は自身の膝を掴んで震えている。

 だが、上辺だけの慰めや軽率な発破をかけるようなことはすべきでない。そんな事をすれば、廉司に頭を下げているこの男の立場がない。

 組というよりもグループと呼ぶ方が相応しい規模とはいえ、十五人ほどの若い人間を任せている意味が無くなる。


 廉司は窮屈さから解放された手首をクルクルと回した。


「舎弟二人やられて、頭にきたから上に相談か」

「……」

「自分で探し出してケリつけようとは思わなかったのか?」

「カタギが相手ですから」

「ふん?ちょっとは利口になったみてぇだな」


 十代の頃は気に入らないことがあると、わざわざ相手の顔を覗き込んでまで殴るきっかけを作っていた畠山だ。

 責任を与えることは、人を成長させる。


 しかし、畠山は体を二つ折りにしたまま動こうとしない。

 廉司には何となく、彼が求めていることの察しがついていた。


「何が気に入らねぇ?」


 決して責めず、静かに促す。

 なかなか本題を切り出せずにいる畠山に、夏目も気遣うような目を向ける。


 いつまでも待つつもりだった。

 両手の震えが全身に伝わり始めたころ、畠山がようやく口を開いた。


「き、たがわから」

「……」

「瀕死の北川から、連絡を受けて駆けつけたのが、ぱくなんですが」


 朴。ヤクザ者にしては珍しく女のように小綺麗な顔をした金髪の青年だ。


「ヤツの話によると、どうやら相手は半グレらしいんです」

「……ふーん」


 廉司のリアクションが期待していたものと違ったのだろう。畠山は弾かれたように頭を上げ、小さな叫び声を上げた。


「半グレです……っ!」


 訴える彼を視界の外へやり、廉司は心底だるそうに立ち上がった。


「アイツら、カタギな事を盾に無茶苦茶やりやがって……っ。北川も戸部もまだ意識が戻りません。加減ってもんを知らねぇんです!素人が、ガキが調子に乗りやがって……!」


 湧き上がる怒りを歩いてくる廉司にぶつけることを避けようとしたのだろう。

 床に膝をつき、拳を握って唸る畠山の前で廉司は一度、深く息を吐いた。


「半グレか」

 ぽつりと呟いた後、姿勢を低くし、怒りに震える男の耳に言い聞かせる。


「でもカタギには違いねぇんだろう?」

「……」

「畠山」

「はい」

「相手が悪かったな」


 ゴツい男の肩に手を置いて自身の上体を起こすと、廉司は脇を通り過ぎていく。

 畠山は慌てた。


「若っ、」

「疲れてんだ。俺は寝る」

「そんなっ――」


 縋る畠山をよそに廉司は大きく欠伸した。

 ぼんやりした目で応接間を振り返り、廉司の正面に立ち続けていた男に目を向けると、


「夏目」


 彼の名を呼んで、項垂れる畠山を目で指し示した。

 その意味を飲み込んだ夏目がサッと頭を下げる。


「じゃあな。話が済んだらとっとと帰れよ、畠山」

「……」

「ご苦労様です、若」


 床板を踏む廉司の足音が遠ざかっていく。


 彼が居なくなった応接間に沈黙が広がる。

 一度しか出番の無かったグラスを手にした夏目は、力なく床に座り込んだ男に声を掛けた。


「電気、消すぞ?」

「……うるせぇ。勝手にしろ」


 主に見捨てられたと自棄になる畠山に、夏目は喉の奥で笑った。


「畠山」

「ほっとけよ。テメェに言われなくてもそのうち帰る――」

「『話が済んだら』、だろ?場所変えるぞ」

「あ?」


 思いがけない夏目の言葉に、間の抜けた返事が返ってくる。

 顔を上げた畠山の目に涙が滲んでいるのを見つけて、夏目は「ダサ……」と嘲笑った。

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