最終章 遺されたもの
34 彼の答え
「あいつ、どうしてる?」
面会室の静寂を先に破ったのはスウェットを着た廉司だった。
アクリルガラスの二重窓から夏目が戸惑うような目を向ける。
「とらだよ、とら」
無数に空いた穴の向こうから廉司の失笑が漏れる。
夏目は一度、奥歯を噛み締めてから、努めて淡々と返した。
「死にました」
「……死んだ?」
「正しくは死んでました」
「いつ?」
「多分、あの夜。次の日、甲本が若の寝室の床下から見つけました」
「ふーん」
「……」
「そうか」
また沈黙が二人を包む。
夏目が表の顔を使って手に入れた貴重な十五分間が刻一刻と過ぎていく。
焦る気持ちを抑えるように黒縁の眼鏡に手をやる。初めてこれを着けた時、廉司は屁理屈の好きな大学生みたいだと夏目を馬鹿にした。
本当は聞きたいことがたくさんあるのだ。
どうして一人で行ったんですか。
どうして何も言ってくれなかったんですか。
どうしてこんな事になったんですか。
どうして。どうして。どうして。
でも、そのどれもが、この時間を使って彼から聞き出したいことではないような気がして何一つ口に出来ない。
一番の質問を口にする勇気がなかなか湧いてこない。
自分の情けなさに溜息をつく。そんな夏目に廉司がまた、ふと笑った。
「なぁ、夏目」
「はい」
「……今まで、いろいろ悪かったな」
「は……?」
何のことですか?
そう聞き返そうとした時、担当が十五分を告げた。
廉司が立ち上がり、外されていた手錠が再びかけられる。夏目も思わず椅子から腰を上げ、表情を歪めた。
「若……っ」
黙って退室しようとした廉司を呼び止める。
アクリルの窓にしがみつき、通るはずもない穴から手を伸ばそうとする夏目を廉司は静かに見返している。
夏目は震える体を必死で抑え、声を絞り出そうと苦悶した。
俺がいます。俺が待っています。
何年経っても、何十年経っても、貴方の居場所を用意して待ち続けています。
だから安心してください。何も心配しないで。
だから今は。今だけは――
「若」
「……」
「泣いてもいいんですよ……?」
漆黒の瞳が見開く。
ほんの一瞬、眉間に皺をよせ、切なそうに顔を歪めたが、ごまかすように下を向いて笑みを零す。
「……バーカ」
長く伸びた前髪の隙間から覗く二つの瞳の中に、蔵で過ごしたあの夜の雨が降っている。
「なんでお前が泣いてんだよ」
夏目に背を向けた廉司の後ろで扉が閉められる。
廉司の姿が見えなくなっても、夏目はその場に立ち尽くしたまま動けずにいた。
廉司は逮捕後の取り調べの中で、立てこもりに至った動機を辻組の覚せい剤密売が発端で生じた争いであると自供し、それを裏付ける証拠として警察に押収された鍵を挙げた。朴の恋人であるリリーから受け取った駅前のロッカーの鍵である。
廉司の供述をもとに捜査員が中身を調べたところ、浜岡と運び屋、そして半グレの行いを捉えた写真と画像が大量に見つかった。
廉司立会いの下、辻組事務所での実況見分も行われた。
廉司は辻組組員に対する暴行及び拳銃発砲については容疑を認めたが、拳銃の入手方法については一貫して「拾った」と供述。
一花との関係については黙秘し続けた。
勾留期間の終わりが近づいたある朝、若い警官が留置場の鉄格子にスウェットを巻き付け、首を吊っている廉司を発見した。
検視の結果、自殺と断定。
夏目が面会に訪れた翌朝の事だった。
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